第70話
暗い階段の下の方に灯りが見えた。
壁に手を付きながらゆっくり階段を下りるわたしの後ろにルーナが続く。階段の下まで進むと松明を持った男が二人立っており、顔が分からないように口元と頭に布を巻いている。遅いぞと叱責されたルーナがごめんなさいと謝罪をしていた。
男達の目的や情報を得られたらと思い話しかけてみるが、それを無視した男達は素早くわたしの手を後ろで縛りあげる。視界を遮るために頭から何かを被らされ担がれるようにして運ばれる。
「もし騒いだら二人を殺す」
騒いで暴れてやろうかと思ったが男の脅しの言葉に抵抗するのは止めることにする。誰をとは言わなかったがレオノアとエリオットの二人の顔が頭に浮かんだ。
今は言われるがままに口を閉ざす事しか出来ない。それにしてもどんどん悪い方に進んでしまっている。後先を考えずルーナについて来てしまったが、これは本当に最悪の展開かも。
でもまさか、あんな場所に隠し通路があるなんて思わないよ。
しばらく大人しく運ばれていたが、投げ捨てられるように硬い場所に落とされた。
そうしてすぐにがたんがたんと揺れ始める。この揺れかたは馬車だろうか。
周りに人の気配があるのに誰も口を開かないので、不安は更に高まっていく。わたしは一体どこに連れて行かれてしまうのかしら。
どれくらい時間がたったのか分からない。数分なのか、数時間なのか……暗く、息苦しいし、手を縛られたまま転がされているので体勢も辛かった。
「……外して」
女性、それもまだ少女といえる幼さがある声だ。
でもルーナじゃない。
少女の指示によって視界を覆っていたものを乱暴に取られ、見上げるとローブを目深く被った少女がわたしの前にしゃがんでいる。
一瞬目が眩んだがすぐに少女の正体が分かった。
聞き覚えのある声だと思ったのだ。
「本当に馬鹿ね。こんな罠に引っ掛かるなんて」
「……リリー」
リリーは少しだけローブをずらし正解と言いたげに笑みを浮かべている。
「なんでリリーが?」
「まだ分かんないかな? 今回のことは全部私がやったのよ」
「嘘でしょ? 何のためにこんなことしたのよ」
リリーに今回の誘拐事件の黒幕は自分だと悪びれもなく告げられ、わたしは笑ったままのリリーを呆然と見上げた。
悪いことなんて一つもしていない。元のストーリーに戻すだけ。悪いのは全部アンタよ。
リリーはとても機嫌が良さそうだ。早口で歌うように次々と言葉を続けるリリーはまるで天使を思わせるような笑みを浮かべているのに、わたしの背中には冷たい汗が流れる。本当にヤバい子だ。全然話が通じていない。
リリーは多くの人を巻き込んだこの誘拐騒動について悪いことをしたという認識はこれっぽっちもないらしい。それどころか私は正しいことをしているのよと胸を張っているくらいだ。
「そんなことより二人は……レオノアとエリオットは無事なんでしょうねっ!?」
「煩いわね。まだ二人とも生きているわよ。それに私はエリオットしか連れ出していないもの。あの女は勝手についてきていたのよ。アンタと同じで本当に邪魔くさいんだから」
「そもそも何でエリオットを連れ出したの?」
「ふふふ、アンタもすぐに分かるわ。楽しみにして良い子に待ってて。って言ってもアンタ聞きそうにないものね」
目的地に着くまで眠らせちゃいなさいとリリーはわたしをここに運んできた男の一人に声をかけた。
リリーの指示を聞き小瓶に入った液体を布に染み込ませ始めた男の姿に焦りを感じる。今眠らされるわけにはいかない。
この窮地から脱するための手段を探すために、辺りを見渡して自分の置かれている状況を確認する。予想通りわたしは幌馬車に転がされており外は見えない。馬車の中にはリリーとわたしを学園の女子寮から運び出した男二人とルーナが乗っている。他に御者もいるはずだから少なくとも敵は五人以上いるわけね。
ちらりとルーナの方を見ると両手を強く握り可哀想なくらい震えている。活路を開くにはここから逃げ出すための手助けが必要だ。そうなりえるかもしれない可能性にかけてルーナを呼ぶ。
「……ルーナ様」
びくっと肩を大きく揺らしたルーナは怯えた顔でわたしを見た。
「なぜこんなことを?」
「……わ、私っ」
わたしの知る限り、レオノアにもエリオットにも恨みがあったとは思えない。それにリリーとルーナの接点は何? リリーは学園に来たばっかりだと言うのに、なぜルーナがこんなことに手を貸したのか分からなかった。
「ルーナ、貴女は何も悪くないわ」
「リリー……」
「貴女は私の言う事だけ聞いていればいいのよ。約束したでしょ? 貴女の婚約者をあの女から奪い取って、貴女に返してあげるって」
「リリー、本当に? ダミアンを私に返してくれるのよね?」
「ええ、約束だもの。ルーナの願いを叶えてあげられるのは私だけよ」
リリーはルーナの隣に移動し、震えるルーナの手を握り優しく微笑みかけた。
すると震えていた手はぴたりと動きを止め、ルーナはうっとりとリリーを見つめる。縋るようにルーナはリリーに身体を預け「そうよね、ダミアンは私のところに帰ってくるわ。彼を誰より愛しているのは私ですもの」と繰り返す。リリーはそれに何度も相槌をうち、「ええ、そうよ」と甘い言葉を囁いた。
「ルーナ様、リリーの言葉を信じちゃダメです!」
「私は嘘を言っていないわ。アンタも目覚めた時に理解するはず……やって」
リリーの合図でわたしの口を何かが覆う。
薬品の臭いがすると思った時には意識も一緒に遠ざかってしまった。