第66話
男子生徒達の方が人数も多く、こちらはわたしと華奢なクラークだけ。もちろんクラークは危害を加える対象じゃないだろうけど、味方の人数が多くて男子生徒達の気はかなり大きくなっている。
「リリーちゃんに謝れよっ!」
男子生徒の一人が無遠慮に手を伸ばしてきた。
謝罪もせず、呆れた表情になっているわたしに痺れを切らしたみたい。突然のことに俊敏とはいえないわたしはすぐに避けることも出来ず、迫ってきた手がすぐ目の前にきたところで恐怖から瞳を閉じる。身体を少し丸め衝撃に備えた。
しかしわたしが乱暴な扱いをされることはなく、代わりに男子生徒の悲鳴が中庭に響いた。
わたしに手を伸ばしかけていた男子生徒は地面に膝をつき、手を守るよう蹲っているではないか。よくよく見ると小指と薬指が変な方向に曲がっている。
わたしが目を瞑った一瞬に一体何があったというのかしら。
そこで気が付いた。地面に蹲っている男子生徒以外の視線がクラークに向いていることに。
「……先輩方、何をとち狂ってるんですか?」
クラークはベンチに座ったまま自分の手のひらをじっと見ている。冷淡な声に男子生徒は後退り、警戒を強めている。まさかクラークから反撃を喰らうとは思っていなかったらしく、男子生徒達は困ったような笑みを顔に貼り付けながら猫なで声で申し訳無いのですがとクラークに話しかける。
「クラーク様はご存知ないですか? その女子生徒がリリーちゃんに怪我をさせたことを……」
「もちろんそういった話があるのは聞いています。でもそれは事実を調査中のはずですよ? 色々疑わしい証言が多く含まれているようですからね」
「そんな! リリーちゃんを疑っているんですか? 階段からこんなか弱い少女を突き飛ばすなんて卑劣な真似が許されるので?」
一人の男子生徒が声を荒げてわたしを睨み付けてきた。
リリーを信じ、わたしが悪だと疑わない目だ。
「それじゃあ聞きますけど、か弱い少女を厳つい男達が私刑にするのは良いんですか? しかも相手は王族の婚約者ですよ? 正気ですか?」
「し、私刑だなんて大袈裟な。リリーちゃんに怪我をさせたことを謝罪して頂こうと思っただけじゃないですか」
「あんな乱暴に? 僕が対処しなければアシュリー先輩が怪我をしていたと思いますよ。そうなっていたらバージル様は怒り狂うでしょうから、結果的に僕はそこで丸くなっている先輩を助けたことになったと考えていますが。汚い手でアシュリー先輩を触っていたら先輩達は殺されてましたよ」
「まさか、そんな……」
「冗談じゃないですよ。バージル様はアシュリー先輩のことになると狭量になるから覚悟しておいた方が良いんじゃないですか?」
「……やりすぎですよ、クラーク様」
本当に大袈裟なことを言い出したクラークの口を塞ぐべく、ベンチからゆっくり立ち上がりこちらも真っ直ぐ男子生徒達を見る。足に力を入れ、此方に疚しいことはございませんと堂々と胸を張った。
「わたくしに非はございません。調査の結果を粛々とお待ちします」
男子生徒達はグッと拳を握りまだ何かを言いたそうにしていたが、リリーが「わたしのために喧嘩をしないで」と睨み合うわたし達の間に止めに入ったことで男子生徒達からの剣呑な空気が薄れた。
何がわたしのためだ。
「リリー先輩、やり方が少し汚いのでは?」
クラークがヒロインを気取って微笑んでいるリリーに声をかける。
「何が汚いの?」ときょとんとした顔になるリリーは何を言っているのか分からないわと可愛らしく首を傾げた。クラークも立ち上がってリリーに近付いた。
「この人達を焚き付けたのは貴女ですよね? まるで他人事みたいに。アシュリー先輩がバージル様の婚約者だと理解していらっしゃいますか?」
「……今は、ね。これから先のことは誰にも分からないよ」
「へぇ、まるで自分がとって代わるとでも言いたげですね」
「何か言葉に棘があるよね。クラークは私が嫌いなのかな?」
「僕は貴女を嫌いと言えるほど貴女のことを知りません」
「私のことをもっと知りたいってこと?」
「……これから、よろしくお願いしますね。リリー先輩」
そう言ってクラークとリリーは握手をした。
わたしは二人のやりとりを見守っていたのだが、握手をしたままクラークの動きがぴたりと止まり、普段から猫みたいに大きな瞳が更に大きく真ん丸くなっている。
「まぁ、クラーク。驚いた顔をしてどうかしたの?」
「いえ、あの……」
こんな風に狼狽するクラークの姿をわたしは初めて見た。
リリーは笑みを深め、握手をしたままずいっと身体を寄せてクラークの耳許に唇を近づける。
「悪い子ね。よろしくと言いながら乙女の心を勝手に盗み見ようとするなんて」
「なっ!?」
「まるでバケモノみたいだわ。でも私には効かないのよね」
「……何で知っている?」
「それは私が貴方にとって特別だからじゃないかしら。そう思わない? ねぇ、クラーク」
わざと聞こえるように言ったのか分からないがリリーの囁きはわたしにも届いた。言っている意味は分からなかったがクラークの顔色が突然悪くなったことが心配になり、わたしは軽く咳払いする。
すると、弾かれたようにクラークはリリーの手を離して後ろへと数歩下がった。
「……本当に邪魔くさいわ、アシュリー。私の邪魔をするのはそんなに楽しいわけ?」
ぼそぼそとさっきよりも小声でリリーに文句を言われ、それを鼻で笑う。後ろの取り巻きやクラークに聞こえないように潜められた声に合わせてわたしも小声で「言いがかりはやめて」と言い返すと、真顔になったリリーにぎろっと睨まれた。
「後輩に意地悪するのやめてくださる?」
「意地悪するのはアシュリーの役目だって前にも言ったわよね? いつもいつも出しゃばってくるのやめてよ。あんたゲームのこと何も知らないのよね? つまりあんたには何の権利もないわけ。悪役令嬢をやる気がないならわたしの物語の邪魔しないで。消えて」
リリーはそう言い捨てて笑顔で取り巻き達の方に振り返った。
「みなさん、もう帰りましょう。無理をしたせいか腕が少し痛くなってきちゃった。だれか保健室までついてきてくれる? そこで蹲っている怪我した方も保健室に連れて行ってあげないと」
ちらりと地面に伏している男子生徒を一瞥したリリーがお願いと付け加えれば俺が俺がと次々立候補が上がる。
ちやほやされるのは満更ではないという顔をし、男子生徒達を引き連れて中庭から離れていくリリーの後ろ姿を見ながら、現れる度に騒々しく絡んでくる少女と今後どのように距離を取ればいいか分からずわたしは頭を抱えてしまった。