第65話
「私、怖いのです。いつか我慢出来ずに間違いをおかしてしまうのじゃないかって……。その、いつも一緒にいますから……」
「お、おう」
さっきまでの儚げな雰囲気とは違う危うさを感じる。
何かに背を押されればそのまま暴走してしまいそうと不安に思ってしまうのは考えすぎだろうか。
「レオノア様、少し落ち着いてください。エリオットにも少し考える時間をさしあげたほうがよろしいと思いますわ」
「……そうですわね」
「覚えておいて下さい。わたくしはレオノア様の味方ですから。何かあったら溜め込まずにわたくしに話してください。二人はわたくしの大事な友人ですので」
「アシュリー様……ありがとうございます」
「誰にも言えずに苦しんだんじゃないですか?」
レオノアの桃色の瞳から次々と流れ落ちる涙を見ながらわたしは泣いている彼女の背中を優しく撫で続けた。
二人が幸せになるのは難しいのだろうか。
こればかりはエリオットの気持ちもあるからねぇ。
この時のわたしは、抑圧されていたレオノアの気持ちが爆発した後の行動力の凄さを甘くみていた。とんでもない嵐となってわたしやバージル様にまで影響するとは全く考えていなかったのだ。
泣いて少しすっきりしたと言ったレオノアは、用事があるからと一人先に寮へと帰って行った。一緒に戻らないかと誘われたがわたしはそのまま一人中庭に残り、ぼんやりエリオットとレオノアのことを考えていた。
「アシュリー先輩」
ぼーっとしていたわたしは近くまで来ていたクラークの存在に遅れて気が付いた。
「あら、クラーク様。ごきげんよう」
「うん。ここで何してるんですか?」
「ふふふ。見張っていたわけじゃないんですか?」
「へへへ」
こわっ! 疑惑が増した。
じとりと睨むとクラークは肩を竦めて顔を横に振る。「今回は偶然ですよ」と怖いことを言われた。今回はですって? 希望としてはきっぱり否定してほしかったのに。今回以外は見張っているってこと?
「それでどうしたんですか? こんなところでぼーっとして」
「少し考え事を」
「レオノア先輩のことですか?」
「何で……まぁ、いいですわ。聞いてもどうせ答えてくれないのでしょうから」
クラークは微笑んだままわたしを見ている。ただ見られているというより観察されているみたいだ。
「人生って複雑なんだなぁーって考えていました。予想外のことばかりが連続で起きるのでついていけないんです」
「人生なんてそんなものじゃないですか。何に悩んでいるのかもっと詳しく教えてくれたら僕が相談にのりますよ」
「クラーク様に相談したらそのまま誰かに情報が流れていってしまうんじゃないかしら」
「嫌だなぁ。内容にもよりますよ?」
隠す気もないみたいで、そこまでくると逆に清々しいわ。
クラークはさっきまでレオノアが居た場所に座り、このままわたしと話をするつもりのようだ。最近はわたし一人の時には近寄って来なかったのにどうしたのかしら。
「それより大丈夫ですか?」
「え?」
「昨日のことですよ。色々あったから」
どうやらクラークは昨日のことを心配してくれているらしい。
だから珍しいことにわざわざ声をかけてきたのだろう。表情が少しむすっとしているのは照れ隠しのようだ。
「大丈夫です。注目されてちょっと嫌な気持ちにもなりますが、あれだけの騒動が起きたのですもの……仕方ないですわ。それに、レオノア様やお友達のみなさんはわたくしを信じて、助けてくださるのでわたくしは平気です」
「ふーん? じゃあよかった。それでも、もし困ったことがあったら言って下さい。一応アシュリー先輩にはお世話になっていますし、僕に出来ることがあったら力になりますよ」
「まぁ、ありがとうございます。その時は遠慮なくクラーク様に助けを求めますので、よろしくお願いしますね」
「でもその必要もないか。アシュリー先輩はバージル様の大事な婚約者ですからね。僕を頼るまでもなくバージル様が先回りして対処していそうですけど」
「……あははは」
返事に困ることばかりずけずけ言ってくる後輩だが、クラークのことは嫌いじゃないんだよね。クラークはまだ何かを言おうとしていたが、それは突然現れたリリーの大声によって遮られた。しかも遠くからわたしの名前を叫んでいるし……
猛烈に頭が痛くなり、それを和らげるためにこめかみを指で撫でているとリリーが足早にやってきた。
左腕を三角巾で固定し、首の辺りとおでこと右手首には大きな湿布のようなものを貼った満身創痍状態のリリーの登場に、わたしだけじゃなくクラークも不審げになる。手厚くというより、随分大袈裟に治療をされている。あれじゃあ何も知らない人は本当に大怪我をしていると思うだろう。
「アシュリー先輩、お願いがあるのですが……あちらで少し二人きりで話をしていただけませんか?」
自分がやってきた方向を指差し、一緒に来てほしいとリリーは言う。口元は弧を描いているのにリリーの瞳は全然笑っていない。
二人になるなんて絶対に嫌だ。今度も何をされるか分かったものじゃないもの。バージル様にも二人きりにならないでほしいと言われたし、無視してしまいたい。
それにしても昨日の今日でよくこうやってわたしの前に姿を現せたものだわ。まるで昨日何もなかったみたいに話しかけてくるリリーの図太さに呆気にとられ、すぐに返事が出てこなかった。
何と言ってお断りしようかと考えていたら横から助けが入る。
「悪いけどアシュリー先輩は今僕と話をしているので、用事があるなら連れて行くのを諦めてここで話して行くか、また後でにしてもらえますか?」
クラークだ。
「……クラーク」
「リリー先輩に名前を覚えていただけているとは嬉しいです」
言っていることと表情が一致していないわよ、クラーク。
眉間に皺がより、不快だと言いたそうな顔で髪をかきあげながらちらりと視線だけでリリーを見る。リリーは攻略対象であるクラークの前だからなのか、しょんぼりと神妙な表情を見せ、「アシュリー先輩に謝りたいのです」と続ける。
中庭に居たのはわたしとクラークとリリーだけだったのに、リリーが来た方向から新たに数名の男子生徒が現れた。どうやらリリーを追いかけてきたようで、わたし達三人と少し離れたところで立ち止まり、親の仇を見るような目でわたしを睨んでいる。
あらまぁ。二人きりでと言うのを信じてリリーにホイホイと着いて行っていたら、わたしはリリーのお仲間達に危うく囲まれてしまうところだったらしい。待ち伏せしていたのに、立ち上がろうとしないわたしの様子を見て威嚇のつもりでこちらにやってきたのだろう。
昨日学園に来たばかりなのにもう取り巻きを作っていたとは……
「アシュリー先輩に階段から突き落とされたとはいえ、大騒ぎしてご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございませんでした。」
謝罪をしているようで謗ることを忘れない。
貴女が悪いのに、謝罪している私って可哀想としっかりアピールしている。取り巻きの男子生徒達はリリーの思惑通り、可哀想にとリリーを見守っていた。何なの、この茶番は。
リリーに大怪我を負わせたわたしは裁きを受けるべきだと男子生徒達が次々に騒ぎだし、少しずつこちらに距離を詰めてくる。
身体の大きな男子生徒ばかりが集められていて圧がすごい。