第62話
「ごほん。そろそろよろしいでしょうか?」
飲み物の準備をすませて戻ってきていたアルスがわざとらしい咳払いをする。戻ってきていたことに全然気が付いていなかったので、二人で驚いてしまった。
「……アルス、頼むから空気を読んでくれ。今日二回目だぞ」
バージル様の言うとおり。
さすがに二回も見られるのは恥ずかしすぎる。彼氏とのイチャイチャを親に見られる気まずさに似ている。まぁ、前世で彼氏がいたわけじゃないから想像の話なんだけどね。
とにかくこちらの世界は前世と違うのだ。学生として婚約者との節度ある交流を少し超えている自覚はある。
今日、お互い好きです関係になったわけだけど、こうなる前からバージル様はスキンシップ過多の人で、出会った時からそうだったということもあり今まであまり気にしていなかった。お互い身体が成長して気恥ずかしさはあるものの、まぁいいか位の気持ちだった。そして何よりバージル様の体質のことがあったから、同じ年頃の男女より普段からわたし達の距離感は近い。
これからはちょっと注意した方がいいかも。
「おやおや、お邪魔をしてしまい申し訳ございませんでしたね。アシュリー様、紅茶でよろしいですかな?」
「は、はい。すみません」
「謝る必要などございません。バージル様おめでとうございます。ついに成就しましたな」
「やめろ」
「長い片想いでしたからね」
「……うるさいって」
「王宮の皆様も大変お喜びになっておりました。特に王妃様が」
「何勝手に報告してるんだよ」
「それも私の務めなのですよ」
バージル様とアルスはわたしが口を挟めないくらい、ぽんぽんとリズムよく言い合っている。報告も何もわたしとバージル様の婚約はすでに済んでおり、今さら報告する必要性は感じないのだが。
どんな報告がされたのか非常に気になるが、どうせ次王宮に行った時に王妃様やアルフィローネ様に根掘り葉掘り聞かれるだろうからその時に確認しよう。アルスはきっと言わないだろうし。
アルスの淹れてくれた紅茶を一口飲み、バージル様と少し距離を取った。
アルスとの言い合いが続いていたので気がつかないと思ったのだが、バージル様はすぐに反応する。
「どうした?」
「いえ、何でもないですよ」
紅茶をもう一口飲んでいる間にまた身体が触れたので少しだけ身体をずらす。
それでもまた腕が触れたため、ちらりとバージル様を見るとバージル様が観察するようにじっとこっちを見ていた。わたしが避けているのに早速気が付いたみたい。眉間に皺が寄り、分かりやすく気分を害してますといった顔になっているが、文句を言い出すまでは知らんぷりしておこう。
「ほら見ろ。アルスが余計なことばかり言うからアシュリーが離れていく」
紅茶の入っているカップをテーブルの上に戻したところでバージル様がアルスに文句を言い出した。
「ええ? 私のせいですか?」
「バージル様、アルスさんのせいみたいに言うのはやめてください」
「でもアルスのせいだろ? さっきまでは嫌がっていなかったのに」
「……こういうことになって色々考えたのです。やっぱりわたくし達は学生らしく節度のある距離感というのを大切にするべきかなぁと」
「節度ある距離感?」
言っている意味がわからないとバージル様は首を傾げる。
アルスの方はふむっと顎に手をあて、難しそうな顔をしているがわたしの言いたいことは理解したようだ。
「アシュリー様の気持ちは分かりますが、今さらバージル様が納得しないのでは?」
「その通りだ」
ふんっと鼻を鳴らし、断固拒否だと主張をするバージル様。
すんなり頷くとは思っていなかったが、そこまで嫌がられるとは。背もたれ部分にわざとらしく乱暴に背中を預け、「理由は?」と顎をしゃくる。
「だって!……今まではあまり考えていなかったですが、わたくし達は距離が近すぎですよ。アルスさんもそう思いますよね」
「まぁ、そうですねぇ。私は気になりませんが、そう思う方もいるかもしれませんね」
「別に周りにどう思われても私は構わないが」
「構いますよ!」
「どうせあと一年で学園を卒業するのに何をそんなに気にする必要があるんだ? 私はこれ以上は無理だぞ」
「……アシュリー様。バージル様はこれでもいろいろ我慢なさっているんですよ。今が幸せな絶頂とはいえ、このタイミングで距離を取ろうなどと考えてバージル様の溜まりたまったものが大爆発しても困りますからねぇ……どうかお察し下さい」
“いろいろ”をやたら強調するアルスに今度はわたしが首を傾げる。
「いろいろ?」
バージル様もアルスもわたしからすいっと視線を逸らして黙りこんでしまった。
これ以上は聞かないでおこう。それがいいわ。ただ、人生の先輩であるアルスからの忠告は聞いておいたほうが良いってことだけは理解した。
「……もういいです。わたくし、そろそろ寮にもどりますね」
今日は本当にたくさんの出来事が一気におきて、心も身体も疲れている。今はもう一人でゆっくり休みたい。
「それじゃあ、女子寮まで送ろう」
「一人で帰れますから大丈夫ですよ?」
「足を痛めているのを忘れたのか? 心配だから送らせてくれ」
歩いてこれ以上悪化しないように抱っこして女子寮まで運ぶと言うバージル様にそれはやめて下さいと説得するのが大変だった。もうこれ以上注目を浴びたくない。
「抱っこじゃなく腕を貸して下さい。ゆっくり歩けば足も悪化しないし、バージル様と長く一緒にいられますから」
この一言が決め手となり、バージル様の腕を借りて女子寮までの長い道のりをゆっくり進んだ。抱っこで運ばれるよりは注目されないと思ったが、これはこれで長い時間みんなの目に晒されるという問題点があることに後から気が付いた。