第60話
「あの、すみません。少しだけリリーと二人で話をさせてもらえないでしょうか?」
保健室でリリーの泣き声だけが聞こえる状況に堪えきれなくなり、右手をそっと上げて提案する。
「ダメだ。こんな危険な女と二人だけに出来ない」
「こんなにたくさんの人達に囲まれたらリリーもわたくしも話したいことを話せませんわ。武器を持っているわけでもないし、すぐすみますのでお願いします」
しかしバージル様にすぐ却下された。
「女同士で話したいことがあるのです。バージル様、お願いします。何かあったら大きな声を出しますから、保健室の外で待っていてください。ね?」
「だがっ!」
「まぁまぁ、バージル様。アシュリー先輩がこんなにお願いしているんだから、叶えてあげた方がいいんじゃないですか?」
「俺もそれがいいと思います。放置するわけじゃなく、すぐ近くで待機しているわけだし。さすがにそこの女も我々が近くにいるのにアシュリーちゃんに危害を加えたりしないでしょう。これ以上噂が大きくなる前に当事者同士で話し合いをしてもらうということで」
アーノルドとクラークがわたしの援護をしてくれる。ダメだダメだとまだ納得していないバージル様の背を押して無理矢理保健室の外まで連れ出してくれた。
アーノルドが出ていく時に片目をつぶって目配せしたのが見え、ありがとうと感謝をこめて軽く手を振る。そのあとエリオットとトーマス、そして空気になっていた保健医が出て行ったのを確認してリリーを見る。
わたしと二人きりになってもリリーは泣いていた。
「ねぇ、いつまで泣いているつもり?」
「……うるさいわ。あんたに何が分かるのよっ! 私はずっとバージル様に会えるのを楽しみにしてたのに。それなのに、何であんな怖い顔をされないとならないのよ! 全部あんたのせいだわ」
「わたしのせいって……」
「何で? 何でバージル様は私に惹かれないのよっ! あんたみたいな悪役令嬢に必死になってバカみたい。バージル様の設定ぶっ壊れたのかしら」
「もしかして知ってるの? バージル様の、悩みを」
「幽霊のこと? ちょっと! 何であんたがそれを知ってるんだよ。知ってたってどうすることも出来ないはずでしょ……私には特別な力があるから、私だけがバージル様を守れて、安らぎを与えることが出来るのよ!」
特別な力。
バージル様とリリーが初めて会ったのは、わたしとバージル様が幽霊から逃げている時だった。リリーが現れただけで不気味な存在は姿を消し、悪い影響を受けフラフラだったバージル様の体調が一瞬で良くなった。きっとそのことを言っているのだ。
確かにバージル様のための特別な力だ。わたしのように抱擁が必要ない分、リリーと一緒にいるだけでバージル様は幽霊の存在に悩まされることなく日常生活を送れることを意味しているのだから。
「……そんなに会いたかったのなら何ですぐに会いに来なかったのよ。レオノア様の誕生日の時に公爵家まで来ていたでしょ? バージル様も来ていたって分かっていたんじゃないの?」
「もちろん知っていたわ。庭の隅からバージル様を見ていたもの」
「じゃあ、何でよ?」
「……苦しんで、苦しんで、苦しんでほしかった」
「はぁ?」
「長い間、辛く苦しんだ分、学園で私に会った時に執着すると思ったのよ! 私だけがバージル様を救えて、幸せにしてあげられる女だって強く思うでしょ」
真剣な顔をしてリリーは叫ぶ。
「しっ! 外に声が漏れるから」
「それなのに……なんで、バージル様の横にあんたがいるのよ」
「ちょっと落ち着いてよ」
「返しなさいよっ! 私のものなのにっ」
「返せってバージル様は“もの”じゃないでしょ」
今、自分がどんなに最低なことを言っているかリリーは分かっているのかしら。
バージル様が今までどれだけ苦しんできたか、近くで見ていたわたしはよく分かっている。前世での経験から、バージル様の孤独や辛さはきっとわたしが一番理解出来ると思う。ただ自分のことばかり優先して、バージル様のことなどこれっぽっちも考えていないリリーの言葉に腹が立った。
それでいてバージル様は自分のものだと言う。
「リリー、貴女もちゃんと考えて」
「……何をよ?」
「わたし達は貴女のための駒じゃないわ。こっちはこっちで幸せになるから、貴女は自分で幸せになりなさい」
「何ですって?」
「言いたいことはそれだけです。もう行くわね」
椅子から立ち上がり、ぽかんとしているリリーを置いて扉の方に歩き出す。これ以上一緒にいたら罵詈雑言を浴びせてしまうところだわ。
足が痛いのでひょこひょこと足を引きずりながらドアノブに手をかけたところでリリーが「待ちなさいよっ!」と叫んだ。
「アシュリー! あんたを絶対後悔させてやるからね!」
保健室は防音じゃないのに。叫び声はきっと廊下にまで聞こえている。
声が漏れるから叫ぶなって言ったのに全然聞きやしない。扉を開けると複雑そうな顔をした男達の顔が並んでいた。
「もう行きましょう。少しリリーを一人にしてあげたほうがいいと思うの」
「……あの女は頭がわいているのか?」
扉の一番近くで待機していたらしいバージル様がわたしの背中に手を添える。閉まった扉を睨みながら小声で話しかけてくるバージル様の問いには答えられず、わたしは苦笑いする。ヤバい子じゃないとは嘘でも言えないわ。