第50話
翌日の入学式は恙無く進められた。
バージル様が在校生の代表としてステージで挨拶を始めると、入学生達は背筋を伸ばして聞き入っている。まだ子供らしさが抜けていない入学生達は頬を赤らめ、私語をすることなく壇上のバージル様を見つめている。会場中の視線がバージル様に集まっていた。
唯一例外がいるとしたらわたしだ。わたしはステージの袖からバージル様ではなく入学生達を見ていた。
バージル様の付き添いで生徒を代表する所謂生徒会の役員になっていたので、今日の入学式も準備やら進行の手伝いをしているわけだが、リリーを探すチャンスだとバージル様の挨拶の最中に入学生を確認していたのだ。たまにバージル様から何してるんだと非難の視線を向けられながらも探し続けているのにリリーを見つけることが出来ない。もしかして、入学式に参加していないのかしら?
あんなに綺麗で目立つ子がいたらすぐに気が付くはずだもの。
「……楽しい学園生活がおくれることを祈っている。以上だ」
バージル様の挨拶が終わると同時に喝采が起こる。
邪魔になると思って隅に寄ろうとしたところ、バージル様に腕を掴まれて連行されてしまった。他の役員もいるし、何より入学式が終わっていない。まだ抜けられないですよと小声で言うのだが「私の仕事は終わった」と聞く耳を持たない。
レオノアとエリオットも役員なのでステージ袖に居たのだが、裏口から出ていこうとしているバージル様と連行されているわたしを止める気はないようだ。他の役員達も見送るための列を作っており、途中レオノアと視線が合ったのだが、レオノアは笑顔で手を振っている。まるでこうなると決められていたかのようなスムーズな流れに、わたしだけどうしたら良いのか分からずバージル様の後をあわあわとついて行っていたのだが、役員の列に真っ黒いマントみたいなものを纏った顔が潰れた女性が数人紛れて並んでいたのを見つけてすんっとなった。慌てていたところに冷水をぶっかけられたみたいに背筋が震え上がり、逆に冷静になれた。
多分だけどあまり良くないタイプの霊だ。バージル様の顔色もあまり良くない。怖い怖くないとは関係なく、体調に影響を与えるタイプのヤツがたまにいるのだが、さっきの女性の幽霊達はバージル様に悪い影響を与えていたらしい。だからバージル様は一刻も早くここから離れたくてわたしの手を引き、強引に会場を去ろうとしていた。
バージル様の気持ちを察してからは腕ではなく手を掴んでもらい、遅れないように早足でバージル様の後ろをついていく。
入学式の会場を離れ屋外に出るまでの間、わたしは何度か振り返り不気味な存在が追いかけて来ていないか確認する。振り返る度に一人だったり多くて三人になっていたりと変化しながらも一定の距離をついてきていた。顔の中央が抉るように潰れているのだが、血が滴っているみたいに赤い唇は耳の辺りまで裂けている。
怖いなぁとは思うがわたしはバージル様みたいに体調が悪くなったりしない分マシなのだろう。
「……バージル様、後ろからずっとついてきていますわ。ここなら誰もいないですしわたくしが」
わたしがバージル様を抱き締めれば消えるはず。
でもバージル様は足を止めない。いつも何でもない時には抱き締めるように求めるくせに、本当に弱っている時はなかなか抱き締めさせてくれない。普通逆でしょと思い、前に一度聞いたことがあるのだがバージル様はわたしを利用しているみたいで気が進まないとのことだった。
複雑な男の子心らしい。
わたしとしては苦しんでいる時にこそ利用してくれれば良いのにと思うのだが、バージル様はそれが嫌らしい。いつもヘロヘロになるのを待ち、わたしからバージル様に無理矢理抱き付くという荒業で解決してきた。
「お願いします、止まってください」
顔の色が真っ白になっている。
本当に限界が近い状態だったのだろう。これ以上前に進めず、力尽きたように立ち止まってしまったバージル様を抱き締めようと思った瞬間ーー
「……誰かそこにいらっしゃるのですか?」
美しい声だ。
突然声を掛けられたことに驚き、わたしとバージル様は声がした方を見る。
茂みの向こう側から現れたのは、以前会った時よりも美しく成長したリリーだった。わたしとバージル様が二人で一緒にいるのを見たリリーが一瞬柳眉を逆立てたのをわたしは見逃さなかった。
しかしすぐに儚げな笑みを浮かべ、「お邪魔をしてしまい申し訳ございません。入学式の会場が分からず迷っておりました」と謝罪の言葉を口にする。
しおらしい態度も前に会った時と随分違った。口許に添えられた指先が震え、不安そうにバージル様を見上げているリリーからは以前の狂暴さが感じられない。
これがバージル様とリリーの出会いの場面か。
ちらりとバージル様を見上げると、何かに驚いたようで少し目が大きくなっている。突然リリーが現れたことに驚いたという感じじゃない。他の人なら気がつかないかもしれないが、いつも一緒にいるわたしは分かってしまった。バージル様はリリーの存在に興味を持ったらしい。
しかもさっきまで死にかけみたいに真っ白だったバージル様の顔に生気が戻っているじゃないか。わたしはまだ抱きついていないのに。
ちらりと背後を振り返ると、わたし達を追いかけていた不気味な女達の姿が消えている。それもリリーがやったのかしら?
「あの、お顔の色が悪いようですが……大丈夫でしょうか? 少し休まれた方がよろしいのでは?」
「……平気だ。入学式の会場ならここを真っ直ぐ行った先にある」
「え? あの、わたくしでしたら……」
「もう行こう、アシュリー」
バージル様はわたしの手を引いて再び歩き始めた。
ヒロインと出会う時には何かしら特別なイベントというものがあるとエリオットから聞いていたのだが、このまま二人は別れてしまっていいのだろうか? バージル様があまりにあっさりこの場を離れようとするため、本来わたしがする必要のない心配をしながらバージル様に引っ張られていく。
リリーの横を通り過ぎる時、こっそりうかがい見たのだが物凄く怖い顔でわたしを睨んでいた。あー、やっぱり人ってそんな簡単には変わらないよね。わたしを見る目が怒りで燃えている。
さっきのヒロインっぽい行動って演技なの? 今、すごい顔してるけど……とてもヒロインとは思えない表情をしたリリーを置き去りにしてわたしとバージル様は校舎へと向かって歩き出す。
リリーは入学式をしている会場に向かわず、立ち止まったままずっとこちらを見ていた。バージル様は一度も振り返らなかったので知らないだろうが、さっき追いかけてきていた女の幽霊達よりもリリーの方がわたしは恐ろしく感じた。