閑話 王子様の成長記2
義姉上の妊娠を知った父上と母上は涙を浮かべ喜んでいた。
妊娠が分かった後に私は義姉上に会った。母親はかくも強いというが、東屋で会った時と顔付きが変わっていて驚いた。兄上の死を悲しみながらも、腹の子を守る覚悟を決めたーーそんな顔付きだった。
兄上は本当に義姉上を愛していた。私は兄上から託された最期の願いを一生守り続けることだろう。
あの夜のことを私は忘れない。星空がとても美しく、静かな夜だった。寄り添う少女は私と共に泣いてくれた。喪失感で胸が痛んだが、私はとても大きく温かな何かに触れた。それは兄上が義姉上を慈しみ、愛していたという感情のようなものだった。それがうねるように私の中に流れ込み、兄上の無念な気持ちに同調して涙が更に流れた。
愛する人の行く末を憂い、置いていってしまう申し訳なさ。幸せになってほしいと目一杯込められた気持ち。ただひたすら義姉上の幸せを願っていた。
幼い頃、夜の暗闇の先には何か恐ろしいものが潜んでいるのじゃないだろうかとずっと思っていた。
でも今の私は暗闇は嫌いじゃない。本当に恐ろしいものは暗闇になどいないと知ったからだ。どこに居たって一人は一人で、孤独は孤独だ。いつも闇の中にいるような自分には関係ないと思っていた。でも、その闇の先に光があることを知った。私にとって、それは奇跡のようなことで、アシュリーに出会えたことはそれだけ私を救ったのだ。
兄上にとって、それが義姉上だったのだろうか?
もし、自分が兄上だったら。
そう考えてみただけで、胸の底からドロッとしたものが溢れる。
兄上のように私はアシュリーの幸せを願えるか。答は否だ。死んでも私はアシュリーから離れたくない。私ひとりが死んでも世界は何も変わらないだろうが、その世界でアシュリーが誰かと笑って共に生きていくなんて考えたくない。逆にもしアシュリーが先に死んでしまったら……想像しただけで私の心臓は動きを止めてしまいそうだ。アシュリーがいないなら私はきっと生きてはいけないだろう。
私など一皮むいてしまえばそこら辺に彷徨っている不気味な存在と変わらない。自分がこんなに嫉妬深いとは思わなかった。兄上とあまりに違いすぎる私の恋心はいつも激しすぎて自分でも苦しくなる。
アシュリーを愛しく思う気持ちが増すだけ、独占したいという欲も増す。
絶対誰にも渡さない。
焦燥感に駆られ、私は父である国王に謁見した。
人は必ず死ぬ。
時間は有限で、その少しも無駄にしたくない。
「私をアシュリーと婚約させて下さい」
父上は無反応だった。
驚きもせず、私を見定めるようにじっと見つめる。いつも苦手だった父上から視線を逸らさず、お願いしますと私は頭を下げた。
とんとんと執務机を指先で叩きながら無言だった父上が口を開く。
「アシュリーは良い子らしいな」
「はい」
「だが駄目だ。諦めろ」
「いやです」
初めて父上に口答えした。それだけは絶対に嫌だ。
ほう、と口の端を持ち上げて笑う父上が続けろと促す。何としても自分は父上を説得しなければならない。ぎゅっと強く手を握り、頭の中にアシュリーが笑う顔を思い浮かべれば何にでも立ち向かえるような気がした。
「アシュリー以外とは結婚しません」
「お前の兄、フェリクスが生きていたらアシュリーとの婚約も許しただろうが今は駄目だ」
「なぜですか?」
「……分かるだろう? お前の兄が亡くなったのだ」
「それが?」
「王位継承問題があるだろう。次の王になる者は、相応の妃を迎えねばならない」
「私は王になれません」
「なに?」
正確にはなる気がない。
国王には兄がなると思っていたので今まで考えたことはなかった。王になりたいと思ったこともないし、これから先なりたいとも思わない。
「私には、父上や兄上のように王になるための資質がないのです」
「資質だと? お前はいったい何を言っているんだ。確かにお前は幼い頃から身体が弱く、王になるために必要なことを何一つ学んで来なかったかもしれない。だが、今お前についている教師達は口を揃えて優秀だと言っている。これからは私の横で学べばいずれ立派な国王になるだろう」
「私は王になるために勉強し、身体を鍛えていたわけじゃありません。全てはアシュリーを娶るためです」
父上はこめかみを指の先で押しながらうなり声を洩らした。頭が痛いと言いたげな表情をしているが、それを無視してつづける。
「今、義姉上のお腹には子どもがいるじゃないですか。どうぞ、王位継承はその子に」
「……娘かもしれんぞ」
「それは分かりません。でも私は男の子が生まれる気がします」
「何の根拠もないことを言うな」
「それか父上と母上で世継ぎを作れば良いのでは? お二人ともまだ若いのですから」
「もし」と勿体をつけた口調でアシュリーが王位を望んだらどうするんだ?と質問される。
「そうですね……アシュリーはそんなもの絶対に望まないと思うので想像も出来ません」
そう返事をしながら、もしアシュリーが望むなら一度玉座についてもいいかなと思う。その時は隣の王妃の椅子にはアシュリーが座ることになるが。
大事なのは隣にアシュリーがいるかどうかなのだ。
だが、アシュリーが王妃になるのはやはり嫌だ。国王も王妃も国と民を常に考えなければならない。アシュリーには何にも煩うことなく、常に私のことだけ考え想っていてほしい。
「そんなものとは随分言ってくれるな」
「失礼な言い方をしてしまいました。申し訳ございません」
「よい。実はメイナードからずっとお前の報告を聞いていたから、お前は断るんじゃないかと思っていた……しかし、本当に興味はないか? 一国の王だぞ?」
父上は一度大きく息を吐いてから私を見る。
「はい。全く興味はございません」
迷うことなく言葉を返すと「きっぱり言いやがる」と父上は苦笑いした。
「私のようなものが国王になったら民の不幸になります」
国より民より大事な人がいる。
こんな人間は絶対に国王になどならないほうが良い。資質とはそういうことだ。私が何を言いたいのか理解した父上は「分かった。婚約を許可しよう」と頷いた。
想像したよりあっさりと許しをもらえて拍子抜けしてしまう。
「何を驚いた顔をしている」
「こんなすぐに婚約を許していただけるとは思っていなかったので……ありがとうございます」
感謝を伝えるために急いで頭を下げると、頭の上から憂いのこもった声が落ちてくる。
「仕方あるまい。そういう決まりだ」
「決まり、ですか?」
父上は王にだけ口伝で語り継がれる話を教えてくれた。
王族にはたまに王位より伴侶を求める子どもが生まれる。その場合、その子どもを絶対に王位につけてはならないというものだ。言い伝えのようなものだが、代々それは守られてきた。そして求めた伴侶は身分関係なく、その者に与えるようにとーー
「先代の王の兄もそうだった」
第一王子だった先代の王の兄は次期の王になるはずだった。とても優秀で期待されていたが、奴隷の少女と恋に落ち、王位継承権をあっさり蹴って少女を伴侶に迎えたたらしい。
奴隷の少女は伴侶になったものの奴隷時代の苦役で身体が弱りきっており、長く生きられなかったらしいのだが先代の王の兄は少女の後を追って亡くなってしまったそうだ。
「無理やり引き離されそうになり国を滅ぼしかけたものがいたり、伴侶を得てから王になっても、お前が言ったように国や民より伴侶を優先する王は結局国を荒らすだけだ。それならば、最初から王位か伴侶かを選ばせ、伴侶を選んだものには王位継承権を放棄させることになった。お前はそれで良いか?」
「はい。アシュリーを伴侶に出来るならそれで構いません」
「勝手に決められてアシュリーは嫌がるんじゃないか?」
「まずは婚約して外堀から埋めていきます。絶対に逃がすつもりはないので」
「……そ、そうか」
「くれぐれもアシュリーには余計なことを言わないで下さると助かります」
父上は私の発言に軽く引いているようだったが余計な口出しをしないと約束してくれた。
それから父上の行動は早かった。アシュリーの父を王宮に呼び出し、私との婚約をすぐにまとめてしまったのだ。学園に通う前に全て終わらせたほうが良いだろうと言っていたが、私としてはその判断に何の文句もない。
学園で変な虫がアシュリーにつくことがないよう堂々と牽制できるのだから。