第43話
進んで行った先に東屋があった。
ランタンに照らされた東屋に誰かいる。フェリクス様を追ってきたので、フェリクス様かと思ったが違った。東屋のベンチに座っていたのはとても美しい女性だった。もちろん生きている。
ミルクティー色の髪を綺麗に編み込んだ小柄な女性で、泣いていたのか紅玉の瞳に涙が浮かんでいた。
「義姉上、こんなところで何を」
「……まぁ、バージル様。すみません、こんなところをお見せしてしまい」
泣いていたことを隠すように目元を拭い俯いてしまう。
バージル様の義姉上ということは、第一王子のお妃様だ。東の国から嫁いできたお姫様で、結婚式の時は国中がお祭り騒ぎになったことを覚えている。まさかお会いする機会があるとは。お名前は確かアルフィローネ様だったはずだわ。
「アルフィローネ様にご挨拶致します」
「楽になさってください。貴女はアシュリーですね? 噂はよく聞いていたのですよ」
「わたくしの噂ですか?」
「ええ、ずっと会いたいと思っていたのよ」
「わたくしもアルフィローネ様にお会い出来てとても嬉しいです」
「……フェリクス様も貴女に会いたがっていたのよ」
フェリクス様の名前を呼ぶアルフィローネ様の声がとても切ない。愛した男性が亡くなり、儚く消えてしまうのでは? そう不安にさせる。
よく見ると東屋の近くに側仕えだと思われる女性が控えていた。この状況のアルフィローネ様を一人にさせてはおけないので当たり前だが、気配が全くなくて人がいることに気が付いた時は驚いて身体が一瞬ビクッとなってしまった。声をあげずに我慢出来た自分を少しだけ褒めたい。バージル様は気がついていたのか無反応だったが、手を繋いでいたのでわたしが驚いたことはバレただろう。
アルフィローネ様は膝にブランケットのようなものを掛けているが、顔の色が紙のように白くなっている。いつからここにいるのか分からないが、身体が冷えきってしまっているのではないだろうか。
「義姉上、こちらは寒いですから部屋に戻った方が良いのでは?」
「……この東屋はフェリクス様がわたくしのために建てて下さったのです。今は暗くて見えないかもしれませんが、この辺りはわたくしの故郷の庭園様式で造ってくださったのですよ」
座っているベンチを愛しげに撫でながら苦しそうに息を吐き出したアルフィローネ様の瞳から新たに涙がこぼれ落ちる。見ているだけで胸が締め付けられるようだ。赤い瞳から次々落ちていく雫をハンカチで拭い、華奢な身体は涙を堪えきれずに震えている。
「フェリクス様はとても素晴らしい方でした。わたくしが寂しくないようにと、たくさんの時間を此処で一緒に過ごしましたわ。此処はわたくしにとってとても大切な場所なのです。めそめそ泣いていては駄目だと分かっているのですが……ここにいれば、少しでもフェリクス様を感じられるのではと思って」
ここを離れられないのですと。
何と言葉をかければ良いか分からない。愛した人が亡くなり、悲しみに打ちひしがれているアルフィローネ様は、フェリクス様に会えないと分かっていながら思い出が多く残るこの場所から離れられずにいる。
その時、アルフィローネ様の背後に淡い光が浮かび上がり、そこにフェリクス様が現れた。アルフィローネ様の肩に透明な手を乗せ、フェリクス様はとても穏やかな顔で泣いているアルフィローネ様を見つめている。
愛しい人を見つめるその瞳にアルフィローネ様が気がつくことはない。
バージル様にもフェリクス様が見えている。
わたしの手を強く握り、真っ直ぐ二人を見つめていた。こんなに近くにいても気が付くことが出来ないのだ。生きている者と死んでいる者は触れ合えるほど近くにいても、遠い場所にいるのと変わらない。
フェリクス様がアルフィローネ様からこちらに視線を移した。アルフィローネ様の腹部にそっと手を添え、穏やかで幸福そうな笑みを浮かべている。
それだけで分かった。
フェリクス様が何を伝えたくてバージル様の前に現れたのか。
わたしはバージル様から借りた上着を脱ぎながらアルフィローネ様に駆け寄り、肩に上着を掛けながらアルフィローネ様の耳元で恐れながらと小声で月のものがきているかの確認をする。
突然の質問に怪訝な顔をするアルフィローネ様だったが、質問の意図を理解し自分のお腹に手を当てる。奇しくもちょうどフェリクス様の手と重なる場所だった。
「……え、そんな、でも、確かに……本当に?」
「医師を呼んで診てもらいましょう。アルフィローネ様、お身体を冷やしてはなりませんわ。そこに控えている方、すぐにこちらへ。アルフィローネ様を早くお部屋にお連れして下さい」
困惑しているアルフイローネ様が妊娠している可能性があることを側仕えの人に説明し、すぐに王宮の中へ戻るように告げる。説明を聞いた側仕えの女性は驚き、慌ててアルフィローネ様を暖かい場所に連れていくために支えになりながら歩き出した。もし妊娠していた場合、こんな寒い場所に長い時間座らせたままにして何か起きたら大変な問題となる。
わたしとバージル様、それとフェリクス様は離れていくアルフィローネ様を見送るために東屋に残った。
「フェリクス様はバージル様にこのことをお伝えしたくて会いにやってきたのですわ」
「……兄上」
淡い光はもう消えてしまいそうなくらい薄くなっている。フェリクス様は陽炎のように揺れ、今にも消え去ってしまいそうだ。
バージル様を見つめ、一度頷いてから微笑んだ。弟を見守る優しい眼差しをしたフェリクス様が夜の闇に溶けるように消えていく。
消えてしまう最期の一瞬に弟をよろしく頼むと男性の声が聞こえた気がした。
アルフィローネ様とお腹の子。それにバージル様が心配だったのだろう。さっき聞こえたのはきっとフェリクス様の願いだ。
フェリクス様が消えてしまった空を見上げているバージル様の隣に寄り添う。同じように空を見上げ、心の中でフェリクス様に約束をする。
バージル様が辛い時はわたしがバージル様を支えますので安らかにお眠り下さいと。