第38話
「公爵、アシュリーを連れてきてくれたこと感謝する」
むにゃむにゃと聞き取り辛い声でバージル様がヴァルトラン公爵様にお礼を言っている。この体勢のままでいるつもりなのだろうか?
ヴァルトラン公爵様は恭しく頭を下げた。
「しかしこのままここに居るわけにも参りませんぞ。王妃様がお待ちだと聞いております」
「遅れたことを私から母上に謝罪しよう。この件で公爵に悪いようにはしないから安心しろ」
「御心遣い感謝致します」
目的のバージル様に会えたが、このまま公爵様のお屋敷に帰るわけにはいかないらしい。王妃様に挨拶をしなければならないとか。
一番大事な用事は済んだのだからこのまま帰ってしまってもわたしとしては全然構わないのだけれども。
「……全部顔に出ているぞ。アシュリー、悪いがもう少し一緒にいてくれるか?」
「それはもちろんです」
何てズルいお願いの仕方かしら。
拒否出来るわけもなく、頷くと手を繋がれた。逃げるつもりはないが、枷をつけられた気分になる。さっきは最後尾を歩いていたのにバージル様がわたしの手を離さないので、今度は先頭で通路を進むことになった。
「バージル様、これはちょっと」
「なんだ?」
「わたくしの格好を見て下さいませ。今、わたくしは公爵家の使用人のふりをしているのです。公爵様の前を歩くことも、バージル様と並んで歩くことも許されません」
「……そういえば、何で使用人の格好なんだ?」
「変装みたいなものですわ。本当ならわたくし、まだ王宮には来られないですから」
じっと見られると恥ずかしいものがある。
あまり見ないで下さいませと文句を言っても無駄だった。隠れる場所もないので、バージル様の視線に堪えるしかない。
「髪を結っているアシュリーも可愛いな」
「ありがとうございます」
ふっと表情を緩め、瞳を細めたバージル様に褒められた。言葉より表情が物語っているというか、あまりそういう目で見ないでほしい。愛しいものを見るような優しい表情。今朝見た夢の最後を思い出してしまった。
「ん? どうした? 顔が赤いぞ」
「いえ、何でもありませんわっ! もういいです。参りましょう」
「そうだな。面会をさっさと終わらせて一眠りしたい」
くわぁっと口を開けて欠伸をしているバージル様の手を引き、先に進もうと促すと後は静かにわたしの後をついてくる。頬の熱を取るため繋いだ手とは反対の指先で己の頬を触る。指先が冷たいと感じるくらい顔に熱が集まっていた。わたしはどうしてしまったのかしら。
案内された部屋は美しく整えられている。
途中までは緊張しながら王妃様が現れるのを待っていた。しかし、バージル様がむにむにとわたしの手を揉むように動かして暇潰しをしているのを見て、少し気が紛れた。
「待っていましたよ、ヴァルトラン公爵」
美しい笑みを浮かべた女性が部屋に入ってきた。
バージル様によく似ており、すぐにバージル様のお母様である王妃様だと分かる。親子揃ってなんて麗しいお顔なのかしら。
「王妃様にご挨拶致します」
「いいのよ、座ってちょうだい」
王妃様が先に座り、その後に公爵様が椅子に座る。
わたしは公爵様の後ろに立っていたのだが、そうなるとバージル様も立ちっぱなしになってしまう。どうするのが正しいのか分からず立っていると王妃様がちらりとバージル様を見た。
「バージル、貴方も座りなさい。それに貴女がアシュリーね……ようやく会えたわ」
「王妃様にご挨拶致します」
メイド服の裾を摘み、膝を曲げて跪礼して敬意を表す。
すると王妃様は満足したように一度頷き、空いている椅子を手のひらで示した。「失礼致します」と椅子の方に歩いて行くとバージル様も当たり前のようについて来る。
久しぶりの子ガモちゃん状態だ。
豪華な椅子は一人掛けだが、大人でも余裕のある大きさなので二人一緒に座ることができる。バージル様はわたしを隅に追いやり、同じ椅子に腰かけた。
王妃様が少し驚いた顔をした気がするのだが。わたしの気のせいでしょうか?
「ずっと会いたいと思っていたのよ。バージルと仲良くしてくれてありがとう」
「わたくしの方こそ王妃様にお会い出来て光栄です。わたくしの方がバージル様に良くしていただいているんです」
「この子難しいところがあるでしょ? アシュリーに迷惑をかけていないかしら? 心配してたのよ」
「そんなことないです!」
王妃様の前だと言うのに少し声が大きくなりすぎてしまった。
慌てて口をおさえ、謝罪の言葉を口にする。頭を深く下げるとバージル様がわたしの背中の上に倒れてきた。一体何が起きたのか分からず、目をぱちくりさせてしまう。顔だけ振り返ってみると寝息が聞こえてきた。
嘘でしょ、さっき椅子に座ったばっかりなのにこのタイミングで眠る? しかも熟睡しているし。
「……まぁ」
王妃様が呆れたような驚いたような口の形で固まっている。
そりゃ、驚くわ。
身体を起こしながら、バージル様に目を覚ますように言うが全然効果はない。わたしの身体と椅子の背もたれに挟まれたまま身動きしないバージル様は随分深い眠りに落ちているようだ。
「バージルは眠ってしまったのね」
「そのようですな。眠れない日が続いていたのでしょう」
「……そうね」
「王妃様もお顔の色がよろしくないですぞ」
「わたくしは大丈夫ですわ。アシュリー、申し訳ないのだけど、バージルをそのまま眠らせておいてあげてくれる? その子、王宮に帰ってからちゃんと眠れていなかったみたいなの。食事もちゃんと食べないし、心配していたのよ。ごめんなさいね、アシュリー」
「いえ、わたくしは何も」
「バージルにとって、やっぱり貴女は特別なのね」
「そんなことはないです」
そのまま眠らせろと言われても、本当にこのままバージル様の身体を押し潰したままにするわけにもいかないので、公爵家の使用人の方に手伝ってもらい、バージル様の身体をわたしの肩に寄り掛かって眠れるようにする。
身体を動かされたバージル様は一度目を開けたのだが、わたしがいることを確認し、わたしの手を両手で握り締めてもう一度目を閉じてしまった。
大人達の見守るような視線を受け、わたしは何だか少し気まずい気持ちになる。今わたしが求められているのはバージル様の安眠のための枕だ。にこりと微笑みを浮かべてそのまま空気のように存在感を消し、王妃様と公爵様の会話に静かに耳を傾ける。
たまに当たり障りのない話題を振られ、それに答えているうちにあっという間に面会の終了の時間となった。