閑話 王子様の成長記1
目覚めると王宮の自室だった。
朝になったようだが、まだ部屋は薄暗い。
王宮に戻ってきてから私はずっと長い時間の睡眠が取れず寝不足状態だった。眠れば必ず悪夢に魘され、起きている間は始終頭痛に苦しめられる。食欲もわかなかった。昨夜もなかなか寝付けなかったのに、今日の目覚めはすっきりしていた。
「……夢のおかげだな」
夢とは思えないリアルさだった。
久しぶりに本当にアシュリーに会えたような気がする。ようやくちゃんと呼吸が出来たような、そんな感じだ。
最初現れた時は髪と瞳の色が真っ黒で、アシュリーだと気がつかず乱暴なことをしてしまったが、見た目が変わっていてもアシュリーはアシュリーだった。
ただ太腿が見えるくらい短いスカートは私の願望だったのかもしれない。すらりと伸びた真っ白い太腿を思い出して顔を手で覆う。顔に熱が集まっている。鏡を見ずとも、自分の顔が赤くなっていると分かる。
夢の中で、アシュリーは私のために泣いてくれた。
兄上が死んでしまってからずっと泣けず苦しかった。周りから亡くなったのが兄上ではなく私だったら良かったのにと影で言われているのは知っていた。好きなように思えば良い。兄上さえいれば、私なんていらないんだ。
もうどうでも良い。
そう思っていたのに。
「……アシュリーに会いたい」
私のために泣いてくれるアシュリーがただただ愛しく、これから先アシュリーとずっと二人で一緒に生きていきたい。絶対に手に入れたい、その気持ちが今までよりも更に大きくなって、どうしても彼女に触れたくなった。
もう少しで唇が触れ合うという時に目が覚めた。
夢の中でアシュリーは口付けしようとする私を拒むことなく、瞳を閉じて受け入れようとしてくれていた。
「あれも、私の願望だろうな」
とてもじゃないが、もう眠れそうにない。
兄上が亡くなってから初めて悪夢じゃない夢を見た。
ずっと両親や兄上との間に壁を感じて生きてきた。
兄上に最後に会ったのは王宮を出た時だ。ヴァルトラン公爵のところで静養するように両親に言われ、旅立つ直前に少しだけ話をした。あの時の私は幼く、いろいろなところがボロボロだった。誰かに助けを求めることを諦め、ただ怯えて生活していた。
そんな私に元気になって帰って来いと兄上は言っていた。
大人達の目から見て、食事も睡眠も満足にとれない私はこのままではただただ弱っていく一方だと思われていた。それどころか生きていくのも難しいだろうと思われていた時期もあった。優秀な医師達が王宮に集められて私の治療にあたったのだが、結局何の改善もみられず、更には母上も憔悴してしまったため、私が王宮から出てヴァルトラン公爵のところで静養という流れになったわけだ。
結局は見捨てられたということだ。
父上が、母上が、兄上が何を思っていたのか分からないし、私は聞きたくなかった。何もかも諦めて王宮を出て、アシュリーに出会い、私は変わったと思う。
レオノアの誕生会で王都に来た時は、両親や兄上に会いに来いと言われたが会いたいと思えず会いには行かなかった。
ちゃんと会いに行っておけば兄上と話すことが出来たかもしれないが、今更それを言ってもどうしようもない。
オマえガ、悪イ
ふと声が聞こえた。天井の隅に逆さに張り付いて、にたにた笑っている不気味な影の声だ。姿ははっきりと見えないのに声だけは耳元で囁かれたかのようにしっかり届く。
私は影を無視して寝台に身体を戻した。何も見えない、何も聞こえない。アシュリーに何度も言われたことを頭の中で繰り返し思い浮かべる。
目を閉じ、耳を塞いでアシュリーのことを考えると怖いことなどなくなるのだ。
朝食の時間になり、贅を尽くしたものが並んでも食欲はわかない。
水だけ飲み席を立とうかと思った時、窶れた顔の母上が現れた。黄金色の髪をきっちりと結い上げ、目鼻立ちがはっきりした美人の表情は憂いに沈んでいる。
「おはよう、バージル」
「おはようございます、母上。顔色が悪いですね、お邪魔にならないよう私はこれで失礼致します」
「……お待ちなさい。わたくしよりもあなたの方が心配です。食事もしていないらしいわね」
一口も手をつけられていない食事をちらりと見つめ、困ったわとため息を吐いている。
椅子に腰を下ろすと、付き人の女性がお茶の準備を始めた。離れるタイミングを逃してしまい、立ち尽くしてしまう。
「あなたに面会の依頼が来ているわよ」
「……面会の?」
「ヴァルトラン公爵よ。早い時間から来て待っているみたいだけど、どうしましょうか? 食事が取れないようなら今日の面会はお断りする?」
ヴァルトラン公爵の面会?
身体がぴくっと反応する。夢の中でアシュリーが言っていた言葉が頭をよぎる。もしかして本当にアシュリーが王都に来てくれたのでは?
「会います」
「……それでは少しでも食事をしなさい。面会の準備をさせます」
母上から視線を感じたが何を話せば良いか分からず、椅子に戻りフルーツを少し食べた。母親と二人だけというのはこんなにも息苦しいものなのだろうか。
甘いはずのフルーツがまるで石でも飲み込んでいる気分になる。
別のことを考えよう。もし、ここにアシュリーがいたらどうだろうか? たったこれだけしか朝食を食べないところをアシュリーが見たら怒るだろうなと想像したら少し笑ってしまった。
「どうかした?」
「……いえ、何でもありません」
表情を無に戻し、フルーツの入った皿を空にして今度こそ立ち去るべく立ち上がる。落ち着かないので早く母上から離れてしまいたかった。
「わたくしも後で公爵に挨拶に行きましょう」
「……分かりました。それでは母上、私は失礼します」
お辞儀をしてから部屋を出た。
一緒にいた時間はほんの少しだけだが、気が滅入ってしまった。