第35話
進みたくないのに先に誰かが待っているような気がして、暗い通路をゆっくり前に進む。
「うー、何か怖い夢だなぁ。こういう時って……」
振り返ると誰か立っていたりするんだよねと言いかけてやめる。
本当に誰かいたらと想像して恐ろしくなってしまった。一回想像してしまうと次々嫌なイメージが頭に浮かんできてしまう。嫌だなぁと思っていると後ろからコツコツとわたしが歩くスピードに合わせてヒールの音がついてきていることに気がついた。
ウソでしょ
自然と歩くスピードが上がった。
最早、歩いているというより走っている。しかも本気で。でも後ろのヒールの音も離れることなく、わたしの後ろをついてきている。振り返る勇気もないので、わたしは前方を睨み付けるようにして走り続けた。
夢なのになんで息切れするのよー!
脇腹の痛みまでリアルに感じ始めた時に、少し前に真っ赤な扉があることに気がついた。あそこに逃げ込もう。そう決めて扉の取っ手を掴んで転がり込むような勢いで部屋に入り、追走者が部屋に入って来ないように扉を押さえた。
ヒールの音は部屋の前で消えたのだが、誰かが部屋に入ってくる気配はない。扉を背にゆっくり膝から崩れ落ち、口から心臓が出てくるのではと思うくらい大きく鳴っている胸に手を添えながら深呼吸を繰り返した。
「こ、怖すぎる。追いかけて来る系が一番怖いのよね」
ようやく気持ちが落ち着いてきたので、立ち上がって室内を見渡す。ホールのように天井が高く広い部屋のようだ。
通って来た通路と同じく石畳の部屋なのだが、部屋の中央が台座のようになっていて少し高くなっている。そこに倒れている人物を発見してわたしは再び走った。
「……バージル様?」
青白い顔で死んだように瞳を閉じているのはバージル様だった。
美しい顔からは生気を感じられず、まるで精巧に作られた像のようだ。わたしの知っているバージル様ではないような、そんな不安感に襲われる。
「ねぇ、起きてください、バージル様」
震える手でバージル様の胸元に手を置く。
呼吸を確認し、安堵してバージル様の胸元に置いた手の上に頭を乗せた。よかった、生きている。
「……あ、そういえば、これ夢だったっけ?」
何もかもがリアル過ぎる夢に一瞬現実の出来事かのように混乱してしまった。
バージル様まで亡くなってしまったのでは? という心配はそもそも夢なのでする必要なんてなかったんだわ。安心したら涙が出てきてしまった。
「…………っ、誰だっ!」
涙を拭おうとした時にうなじと腕を強い力で掴まれ、そのまま台座の上に押さえつけられてしまう。びっくりし過ぎて声が出なかった。
「……こんな時に忍び込んで来て恥ずかしくないのか? どこの者だ? 誰の差し金でここに来た?」
とても冷たい声だった。そして怒っている。
確かにここに来てしまったのはわたしだけど忍び込むとかどういうことよ。何でわたしの夢なのに、こんな目に遭わなければならないの? しかもすごく痛いんですけど!
「ば、バージル様! 落ち着いて下さい。痛いです」
手を離してと叫ぶと押さえつける力が緩み、ようやく顔を上げることが出来た。走ったり、押さえ付けられたりで髪はボサボサだし、涙で顔はぐしゃぐしゃだ。人に見せられないみっともない姿だと分かっていたが、どうせ夢だから気にしてもしょうがない。
「まさかアシュリー!?」
変化したわたしの姿形に驚いているようで、まさかと両目を大きく見開いているバージル様の手をぺしっと叩く。わたしだと分からず乱暴なことをしたのだろうけど、さっきのは痛かったのでちょっとした仕返しのつもりだった。
猫のパンチのように大した威力はないものの、わたしに叩かれショックで固まっているバージル様に、今度は思いっきり抱きついた。
「もうっ!!」
力いっぱい抱き締めながら、大きな声で叫ぶ。
「ずーっと心配していたんですよ! 色々言えないことがあるっていうのも分かりますけど、毎日毎日バージル様のことばかり考えていたんですから」
「……アシュリー」
「あまりに心配で王都にまで来たんですよ」
「そう、なのか?」
「ちゃんとご飯食べて眠れていますか?」
「……あまり」
食べて眠らないと倒れてしまいますよと背中を撫でた。わたしの手がバージル様の背を上下する度に、バージル様の身体から力が抜けていくようだった。
バージル様はわたしの肩に顔を埋め、片腕を腰に回す。
「泣かせてごめん。思いっきり押さえつけたから痛かったよな?」
「……泣いてたのはバージル様のせいですけど、痛かったからじゃないです。久しぶりにバージル様に会えて安心して泣いちゃったんですよ。……夢なのに不思議ですね。本当にバージル様に会えたみたいな気持ちになりました」
「私もずっとアシュリーに会いたかったんだ。夢でも嬉しい」
「わたくしの夢ですけどね。わたくしがバージル様に会いたかったから見た夢ですよ?」
「私の夢だろう?」
バージル様は顔を少し傾けてわたしの顔を見つめており、わたしも同じようにバージル様を見つめた。本当に変な夢だ。
それにしてもとバージル様がわたしの髪を摘んで持ち上げる。
「ねぇ、それより何でアシュリーの髪の色は黒いんだ?」
「不思議ですけど、夢ですから何でもありなんだと思いますわ。それに今は瞳の色も黒いんですよ。バージル様と一緒ですわね」
「……不思議だな。私はアシュリーの水色の髪に、アンバーの瞳が一番好きだと思ってたけど、アシュリーなら黒い髪に瞳でも好きだ」
「そう、でしょうか?」
「似合ってる、が、その服は?」
改めてわたしの着ている制服を見たバージル様の動きが止まった。
やはりこの世界で足が丸出しになるこのスカートの長さは、貴族の娘として、淑女として許されないレベルだ。
じっくり見つめられると恥ずかしい。
「えっと、これは、その……」
返事に困っているわたしにバージル様は着ていた上着を脱ぎ、剥き出しになっていた太腿を隠すようにそれを置いた。どうやらわたしに貸してくれるらしい。
「マジか」と呟いたバージル様は顔をぷいっと逸らしたのだが、横を向いたバージル様の耳が先まで真っ赤になっている。年頃の少年に生足は刺激が強かったようだ。
「……ありがとうございます。バージル様」
わたしの夢の中のバージル様はとても紳士だわ。