第33話
「大丈夫だよ。バージル様はきっとすぐ帰ってくるさ」
「そうですわね」
しかし、バージル様は戻っては来なかった。
理由はすぐ知ることとなる。第一王子のフェリクス様の薨御の報が国中に流れたのだ。それはつまりバージル様のお兄さまが亡くなってしまったということ。
第一王子は熱病にかかり亡くなってしまったらしい。
まだ若い王子の死を国中が悲しんだ。
王子の葬儀は国中の神殿で一斉に執り行われる。
わたしもお父様達と祈りを捧げに神殿に行った。第一王子にお会いしたことはなかったが、周りから聞こえる声は優秀で将来は良き王となるだろうと言われていた方だった。
バージル様は大丈夫なのだろうか。
言葉にはしないが、わたしはそればかり考えていた。
第一王子が亡くなってしまったことはとても残念だが、あまりに遠い人過ぎてまるでテレビの向こうの出来事のようにしか思えない。これから国がどうなるとか難しいことよりも、バージル様はちゃんとごはんを食べて寝ているだろうかとばかり考えてしまう。
第一王子が亡くなってから半月がたつ。
バージル様からいまだ何の便りもない。
ある雨の日の昼下がり。
伯爵家にヴァルトラン公爵様とエリオットがやってきた。子ども達の交流が始まってから、公爵様とお父様も交流が増えたらしい。たまにこうしてふらっとやってくることがあるのだが、今日は二人とも神妙な顔をしている。
「やぁ、アシュリー。今日はお父上はいるかな?」
「こんにちは、公爵様。エリオット様。お父様を呼んで参りますね」
「いや、使用人に案内をお願いできるかな? エリオットがアシュリーと話をしたいらしい」
ちょうどロゼがいたので公爵様をお父様のところに案内するようにお願いし、相変わらず神妙な顔をしているエリオットにどうしたの? と話しかける。
「……第一王子の話なんだが」
周りに誰もいないことを確認したエリオットが口を開いた。すぐ近くにいるわたしにしか届かない小さな声に耳をすます。
「シナリオとどんどん変わってきている。フェリクス様はゲームでは死なないはずなんだ」
「え?」
「悪役令嬢のアシュリーを弾劾する時、バージル様の手助けをするのがフェリクス様なんだ。攻略対象キャラじゃないんだけど、バージル様の兄というだけあってかなりのイケメンで人気キャラクターだったんだ。ネットでは何で攻略キャラじゃないんだと嘆く人が多かったんだよな。フェリクス様とバージル様の間には幼い頃から確執があったんだが、リリーと出会ったことで二人の関係にも変化が表れるっていう感動的な話が」
「それで?」
話が逸れてしまいそうだったのでまだ話したそうにしていたエリオットの続きの言葉を遮って説明を促す。
「……なんて説明すればいいかな。俺が言いたいことは、この世界が俺の知っているシナリオからどんどん離れていっているってことなんだ。最初はレオノアを助けるためにシナリオを変えるつもりだったんだが……あっ、あとアシュリーの悪役令嬢回避もか」
「人の人生をついでみたいに言わないでもらいたいわね」
「悪い、悪い。でも色々変わりすぎて対策のとりようがない。ヒロインも見つけられないままだし……あ、でもアシュリーがバージル様の婚約者になることは完全になくなったのかも」
「本当?」
「もとからアシュリーがバージル様の婚約者になれたのはレオノアの死があったからってのもあるけど、第二王子だったからってのが大きい。フェリクス様と王太子妃の間に子供はいない。バージル様がもし王位を継ぐとなると他国のお姫様とかレオノアのような上級貴族の娘じゃないと婚約は許されないだろう。相手は王妃になるということだからな」
「確かにそうね。でもそうなってくるとリリーは?」
「ヒロインのリリーなんてもっと身分の低い男爵家の子どもだったはずなんだが」
ますますバージル様の相手は難しいのでは?
出会って恋に落ちても大変な未来になりそうな予感しかない。他人事だったらまるでシンデレラみたいでロマンチックねーなんて言えるけど、バージル様のことなのでつい慎重に考えてしまう。リリーのあの攻撃的な性格も不安要素の一つだ。ちょっとヤバい子っぽかったのよね。
「そこまで思い出せていて、まだリリーを見つけられないの? お兄さまからバージル様とレオノア様の婚約の発表が近々あるって学園で噂になっているって話を聞いたんだけど」
「そっちも間に合うか分からない。ゲームだとヒロインが入学した時にはアシュリーとバージル様はすでに婚約をしていたから、どのタイミングで婚約が決まるか正直分からん。そもそもフェリクス様が亡くなってしまったから婚約も一回白紙に戻るか、このまま強行されるか……大人達がどう動くか分からない。もう俺の知らない世界なんだ」
先が読めないことをエリオットは不安に思っているようだが、わたしはそれが逆にほっとした。決められた未来を考え不安に思う必要がなくなったのだから。
「ねえ、エリオット。あなた王都に行ってきた?」
「ずっと王都にいた。フェリクス様の葬儀が終わってもなかなか王都を離れることが出来なかったからな」
「バージル様には会えた?」
「遠目から見ることしか出来なかった」
「元気そうだった? 食事や睡眠は取れているようだった?」
「遠目からだと言っただろう。みんなフェリクス様のことばかりで、バージル様の話は聞かなかった。きっと平気だろ」
バージル様は実はとても繊細な子なのだ。今一人で苦しんでいるんじゃないかしら。周りにバージル様を気にかけてあげる人はいるのだろうか。
エリオットを責めるわけじゃないけど、ちゃんとバージル様を見てきてほしかった。
「心配だろう?」
ずっと心の中でもやもやが渦巻いている。
「心配ですわっ!」
それはもちろんだ。
背後からの質問に思わず大きな声で返事をしてしまった。口をおさえながらゆっくり振り返ると呆れた顔をしたお父様と微笑んでいるヴァルトラン公爵様が立っていた。