第30話
その微笑みが少し怖いように感じるのはわたしの気にしすぎなんでょうか?
「あの?」
「うん、寝ようか」
「いや……いえ、眠りましょう。何だか疲れました」
「そうだよね。本当にいろいろあったから……」
「おやすみなさいませ!」
責められそうな予感にさっさと会話を終わらせた。
声を荒げたりはしないが、バージル様はずっと静かに苛立っている。苛立っているというか、ずーっともやもやしているみたいだ。執着心もそうだが、バージル様は気持ちのコントロールや制御が上手く出来ない子で、更にそれを表現するのも苦手。
まだ何かぐるぐる考えていそうなバージル様の身体の上に腕を乗せる。
「……」
突然腕が乗ったことにビクッと身体を震わせたバージル様の大きな瞳がわたしを見つめる。
「もうあんな危ないことはしないので安心してください。だからもう眠りましょう。ね?」
心の中で出来るだけと付け加えておく。ふわぁっと大きな欠伸をしてわたしは目を閉じてしまった。おしまいの合図だ。
それでも視線を向けられているのを感じたが、それっきり瞳を開くことはしなかった。眠いのは我慢出来ない。ごめんね、バージル様。
気がついたら朝だった。
我が家の寝台は寝相の悪いわたしのために壁際に寝台が配置されている。しかしこの宿屋は部屋の中央に寝台が配置されているため、壁に守られずに毎朝寝台から落ちかけて目覚めていた。だが今日は完全に寝台から落下して目覚めた。
一緒に寝ていたバージル様に押される形で寝台から転げ落ちたのだ。
わたしの落下した音で目覚めたらしいバージル様が寝台から見下ろしていた。
「……バージル様ひどいです」
「ごめん、アシュリー」
頭からじゃなくてお尻から落ちたのが不幸中の幸いだ。痛むお尻を撫でながらゆっくり起き上がる。
「アシュリーは壁際に寝台を置いておかないと駄目だな」
「そうですね。わたくしが気持ちよく目覚めることができるのは、屋敷の者達のおかげだったのですわね」
「それなら私も伯爵家の者に感謝しなければならないな」
「是非そうしてください」
二人とも寝起きのぼんやりした頭で会話をしていたので、ついつい軽口が過ぎたかもしれない。おっととと口を塞ぐが、バージル様は気にした様子もなく寝台に腕をついたまま顔を綻ばせている。
これくらいじゃ気にしない人だったわ。気を付けねばと何度も思っているのに、やらかしちゃうのよね。この人は王子様、この人は王子様。もう一度しっかり心に刻んでおこう。これ、何度目? なんて考えちゃだめ。
今日は一日ずっと宿屋で過ごさなければならないらしい。
いまだに少し不安定になっているバージル様の気持ちを落ち着かせるのがわたしの今日のミッションらしい。大袈裟に言っているが、つまりはバージル様と一緒に過ごすだけだ。
「暇ですわね」
「そうだな」
「頬を叩かれただけですから、部屋で休んでいなくてもいいと思うのです。せっかく王都に来たのですから観光したいです」
「外に連れていけばアシュリーは一人勝手に行動するんだろう」
「……勝手に行動するだなんて、そんな」
「昨日も飲み物を取りに行ってくると言って、公爵家から姿を消したじゃないか」
「あらあらまあ! まだそのお話します?」
「私だっていつまでもしつこくこんな話をしたくはない」
あまりに暇で椅子にぐったり座っているわたしとは対称的に、机を挟んで反対側に座っているバージル様は優雅に紅茶を飲んでいる。
バージル様も何もすることがなく暇だろうに、何かするでもなく、そんなことよりわたしをここに閉じ込めたままにしたいらしい。
「……せっかくの王都ですよ? わたくし、バージル様と観光したいです」
「……」
「メイナード団長様にお願いしてみましょう? 帽子を被ったりして変装すれば、バージル様も一緒にお忍びで観光出来るんじゃないですか?」
「……私だってアシュリーと一緒に観光したい」
「離れないように手を繋いでいれば良いと思いませんか? それならわたくし一人で勝手に行動なんて出来ないでしょう?」
こほんと咳払いし、バージル様の方に手を伸ばす。
エスコートして下さらないのかしら? と手を差し出した。バージル様は紅茶の入っていたカップをテーブルの上に戻し、仕方ないなと困った顔でわたしの手を取ってくれた。
ちょろいわね。ふふふと微笑み、バージル様を見つめると、わたしが何を考えているのか分かっているぞと言いたげな表情だ。
「あとはメイナード団長様にお願いに行かないとですね」
「二人でこっそり行くか?」
「あら、それはとても楽しそうですわね。でも却下です。バージル様を護衛なしで連れ出すなんてあり得ないです」
「王子なんてつまらんな」
つんと口を尖らせているバージル様の手を引いて隣室に控えているメイナードの所に向かう。扉を開けた瞬間、通路を腕がもげた男が横切って行った。身体が不自然な角度に傾いたまま曲がり角を曲がっていく後ろ姿を見つめていた。
「何か面白い角度で歩いてたな」
男を見たバージル様の感想がそれだった。
数日前にも思ったのだが、この子やっぱりどんどん逞しくなっている。たまに体調に悪い影響を及ぼすほどヤバイ“ヤツ”と遭遇した時は寝込んだりするのだが、概ね幽霊に怯える姿を見せなくなった。
どちらかと言ったらバージル様よりわたしの方が怖がっているかもしれない。
「……余裕ですわね。もう怖くないですか?」
「うーん。アシュリーが近くにいてくれるからかな? 最近はあまり怖くなくなってきたかもしれない」
「それはすごい適応力ですわね」
バージル様が強く逞しくなるのはいいことだ。
うむうむと頷いているとバージル様がこちらを見ていた。何か言いたそうな顔をしている。立ち止まるバージル様に引き止められ、わたしたちは通路で向かい合っていた。
繋いでいた手とは反対の手も掴まれ、向かい合って両手を繋いだ状態になる。
「……怖がらないと手は繋いでくれない?」
真剣な顔をしたバージル様からの質問は予想外なことだった。
「何でそんなこと聞くんですか?」
「……だって」
わたしの手を強く掴むバージル様の縋るような視線。
幽霊が見える見えない関係なく手は繋ぐよ。何をそんなに気にしているのかしら?