第28話
「アシュリー様!」
正面玄関でメイナードが馬車の手配をしているのを待っている間に本日の主役であるレオノアが小走りでやってきた。
「使用人から話を聞きました。大丈夫ですか」
「レオノア様、わざわざ来てくださったのですね。申し訳ございません、ご挨拶もせずに帰ろうとしてしまい……」
「こちらこそ嫌な思いをさせてしまいごめんなさい」
「あ、そこは全然大丈夫です。ただ、ゆっくりお話出来なかったことが残念です」
「あの子達には厳しく注意しておきますので」
確かにあんなことはしないようにレオノア様から注意をしてもらったほうが良いだろう。今回はわたしだから良かったが、お咎めなしのまま育った子達が更に増長してしまったら大変だし、あんな意地悪を他の子が受けたら可哀想だ。
「そちらはよろしくお願い致します」
「任せてください。あと、こちらを使ってください」
レオノア様が合図をすると使用人が持っていたショールを手渡され、受け取るとレオノア様の手で肩にかけられた。
眉尻を下げ胸の前で手を組み「本当にごめんなさい」とレオノアが悪いわけじゃないのに申し訳なさそうに謝られると、こちらの方こそ申し訳ない気分になる。
「すみません、お借りしますね」
「遠慮せずに使ってください」
「……レオノア様。気を付けてくださいね」
「?」
今日はレオノア様のXデーだ。
元凶であるわたしは早くここから離れたほうがいい。別れの挨拶をして馬車の方に歩いて行こうとすると「ちょっと待ちなさいよ!」と甲高い声が辺りに響いた。
わたしとレオノアはびっくりして声がした方を見る。外灯が照らしていない暗闇から少女が現れる。
「何やってるのよ! 悪役令嬢のあんたがレオノアを殺さないとストーリーが始まらないでしょ。さっさと殺りなさいよっ」
金色の髪を二つに結んだ美しい少女が顔を歪めて怒っている。
突然姿を現した少女に警戒して使用人の女性がレオノア様の前に立ち塞がった。
「何者ですか? ここがヴァルトラン公爵様のお屋敷と知ってのことでしょうか?」
公爵令嬢であるレオノアを呼び捨て、本人を前に殺せですって?
かっと頭に血が上り、睨み付けながら一歩前に足を進める。
「あら! やっぱり睨むと迫力が違うわね。さすが悪役令嬢だわ」
「悪役令嬢!? あなた、もしかして」
「キャハハハハ!」
少女は殺せ殺せと笑いながら街路の方に踊るように走り出した。わたしは咄嗟に少女を追うことを選んだ。
後ろからわたしを呼ぶ声が聞こえ、走りながら振り返り、驚いた顔をしているレオノアと使用人の女性に屋敷の中に戻るように叫ぶ。
走り去る影と笑い声を必死に追った。
「ま、待って!」
今世でこんなに走った記憶なんてなかった。
ドレスを着た淑女は当たり前だが本気で走ったりしないのだ。ドレスの裾を持って知らない道を走り抜けると、笑いながら走っていた少女がようやく止まってくれた。
「ちょっと! 何で私を追ってくるのよ? アシュリーには大事な仕事がまだ残っているでしょうが。悪役令嬢らしく派手に殺っちゃいなさいよ!」
「や、やっぱり……あなた」
「レオノアが死んでくれないとただのキャラ被りになってしまうもの」
言っていることは最悪だが、少女はきらきらしている。
蜂蜜色の柔らかな髪に、澄んだ海の色をした宝石のように美しい瞳。陶器のように白い肌はまるで内側から発光しているような抜けるような透明感だ。
バージル様やレオノアに並ぶ美しさに息をのむ。
「あなたも日本人なの?」
日本人という単語に少女は青い瞳を僅かに見開いた。
ぱちぱちと数回瞬きをして、さっきよりも大きな声でお腹をおさえながら笑いだした。
「うそ! アシュリーも転生者なの? ストーリーが進まないはずだわ。ちゃんとやりなさいよね、あんたのせいでこっちは迷惑してるのよ」
「迷惑って……」
「分かるでしょ? あんたがレオノアを殺してくれないと、私の幸せな未来も来ないってことじゃないの」
「ちょっと、待って! 何でわたしがレオノア様を殺さなきゃ……」
「あんたここが乙女ゲームだって気が付いてないわけ?」
ふんっと鼻を鳴らしながら少女はわたしの肩を人差し指でつく。
「私はこの乙女ゲームのヒロインのリリーなの! ってことは、このゲームは、私が、幸せになるためにあるものでしょ?」
言葉を区切る度に私の肩を突く指の威力が増して行く。
「だから、ちゃんと働けよっ!」
最後は肩を強く押され踏みとどまれず、わたしは地面に尻餅をついてしまった。
確かにエリオットもヒロインの名前はリリーと言っていてが、この子が本当にヒロインで良いのか?
口をぽかんと開けてリリーを見つめる。確かに顔面は文句なくヒロインをやれるだけの可愛さはある。でもヒロインってこんなじゃないでしょ。エリオットから聞いた話ではトラウマのあるキャラ達を、癒し克服させるんだよね? 本当にこの子ヒロインなの?
「……あ、そっか。中に入ってるのは日本人だもんね」
わたしが悪役令嬢じゃないように、ヒロインのリリーの中には日本から転生してきた別の子がいるのだ。何だかとても残念だ。
ヒロインに関わりたくはないが、人を癒す少女とはどんな子なのだろうと興味があった。きっと可愛い子なんだろうと思っていたのに、まさか……こんな……
「何よ! 文句あるの?」
「あるわよ! それでヒロインが出来ると思ってるの? わたし、乙女ゲームをやったことないけど、ヒロインってみんなが好きになる子なんでしょ? どんな子なのか正直すごい楽しみにしていたのよ!」
「私じゃ駄目だって言いたいの!?」
「駄目っていうか、あなたよりレオノア様の方がヒロインみたいじゃない? 天使か妖精かってくらい可愛らしいし……それに」
「それに!? なによ!?」
「あなた、多分ヒロインより悪役令嬢の方が向いていると思うの」
そう言った瞬間、頬を平手で叩かれた。
リリーは「ふざけんじゃないわよ」と捨て台詞を吐いて、また走って行ってしまう。今度は追いかける気になれず、地面に座ったまま走り去るリリーを見送った。そんな捨て台詞を吐くところも、わたしが思うヒロイン像と掛け離れているのよね。