第15話
「……何でしょうか?」
「いや、伯爵の屋敷で生活するバージル様を見て、今なら公爵家に移動出来るって判断を下してしまったことを反省していた」
「メイナード団長様のせいじゃありませんわ」
「まさか突然あんな風に倒れるとは。バージル様はアシュリー様のところに戻りたがったんだが、さっきまでの通り移動させられる状態じゃなかった……アシュリー様を連れてくると言っても絶対に連れてくるなの一点張りだったから、勝手に貴女を迎えに行ったんだ」
わたしを呼んだのはバージル様ではなかったらしい。
さっきもバージル様は自分から私に触ろうとはしなかった。わたしを苦しめないよう、一人で堪えようとしていた。
「ヤマアラシの威嚇が弱まったと思ったら、貴女限定だったようだ。それどころか貴女がいない時の拒絶と威嚇は増したかもしれない」
「ヤマアラシですか?」
「バージル様を見てそう思わないか? 威嚇して攻撃するためにハリを立ててるところがそっくりだろ」
「わたくし、そんな風に思ったことないですけど……」
「そりゃ、貴女の前ではヤマアラシじゃなく猫になっているから思うわけないよな」
「ふふふ、前もこんな話しましたよね? 猫やヤマアラシなんてバージル様が聞いたら怒ってしまいそうですわね」
確かメイナードに初めて会った時のことだ。その時もメイナードはバージル様を猫に例えていたことを思い出して笑ってしまう。
バージル様が寝ているので小さな声で話していると、部屋の扉がノックされた。メイナードが返事をすると体格の良い男が室内に入ってきた。藍色の撫で付け髪の男は豪奢な衣服を身に付け、人好きする笑みを浮かべている。
メイナードより身長が高いこの人がヴァルトラン公爵様か。レオノア様とはあまり似ていないような気がする。レオノア様はきっと奥方様に似たのね。
「こちらがアシュリーさんかな?」
「はい、わたくしがアシュリーです。ヴァルトラン公爵様ですね? ご挨拶が遅くなってしまい申し訳ございません」
「いいんだ。こちらこそわざわざ来てもらって悪かったね。バージル様の調子はどうだい?」
「熱がとても高くて少し心配です」
「医者を呼んである。もう少しすれば来ると思うんだが……疲れていないか? ここに来て休まずこの部屋に来たのだろう? 娘がいるから一緒にお茶でも飲んで来たらどうだ?」
「お気遣いありがとうございます。ですがバージル様が目覚めるまで側にいるとお約束したのでこちらにいます」
バージル様と繋いでいる手を公爵様が見ている。
そういえばレオノア様はバージル様の筆頭婚約者候補だとメイナードが言っていた。少し気まずく思いながらもバージル様の手を振りほどくことができない。
「バージル様とアシュリーさんは随分仲がよろしいですな」
「いえ、バージル様がこちらに来る前に我が家に数日いらしたので、恐れ多いことなのですが……」
「ほう、そうなのか。私は執務室にいるので、何かあったら声をかけてくれ。医者が来たらすぐ連れてこよう」
「ありがとうございます、ヴァルトラン公爵様」
公爵様は最後まで笑ったまま部屋を出ていった。
「……相変わらず胡散臭いオッサンだな」
「メイナード団長様。聞こえてしまいますよ」
「もう気配が離れていったから大丈夫だ。貴女も少し肩の力を抜け」
気がつかないうちに肩に力が入っていたらしい。メイナードに言われて思った以上に公爵様との対面に緊張していたことに気がつく。
ヴァルトラン公爵家に睨まれたら伯爵家は大変な窮地に陥ることになる。
深く息を吐き出して、バージル様の顔を見つめた。今はバージル様のことだけ考えていよう。公爵様のことは後回しだ。
それからすぐにお医者様が来て、バージル様を診察していった。
身体が衰弱しておりそのせいで熱が上がったと診断された。我が家に来た時も一度お医者様をよんでいるが、メイナード曰く以前からよくこんな風に倒れて何度もお医者様に診察をしてもらっているため、バージル様はとても病弱と思われ静養のため城から出されたとのことだ。
わたしにはバージル様が倒れてしまう原因が分かっているが、他の人は分からない。分からない人が悪いという話でもないので、誰も責められない。
結局バージル様次第なのだと思う。
自分の力でどうしようもないことを嘆くより、受け入れて強くなるしかない。きっとバージル様なら大丈夫だ。
「バージル様、りんごを剥いたので食べてください」
「あぁ」
「それともドリンクを飲みますか?」
「いや、りんごを食べる」
バージル様が眠っている間に厨房をお借りして経口補水液を作っておいたのだ。砂糖と塩と水とレモンで簡単に作れるので、熱が高い時から何度かそれを飲んでもらい水分補給をさせていた。その時作ったドリンクがまだ残っていることを思いだし聞いてみたのだが、りんごの方をご所望らしい。
バージル様の熱は一眠りした後、夜には波が引くように一気に下がった。
熱が出た理由は精神的なものが多分にあったのだろう。“それ”が消えて見えなくなったことが大きく影響して熱が下がったのだと思う。
小さく切られたりんごをフォークに刺してバージル様の口元に持っていくと、当たり前のようにバージル様もそれを食べる。「あーん」をしてあげるのは二回目だし、今は部屋に二人だけなので何の躊躇いもなくやっていた。
「……りんごってこんなに美味しかったんだな」
「そうですね。流石、公爵様のお屋敷です。すごく美味しいりんごですわ。実はわたくしもさっき少し味見させてもらったんです」
「美味しい理由はそれだけじゃないと思うが」
「すりおろそうかとも思ったんですけど、あまりに美味しいのでそのまま切ってもらってきました」
「ありがとう」
「ふふふ、これを少し食べたらお薬を飲んでまた寝てくださいね」
「わかった。今日はアシュリーもここに泊まるのだろう?」
「ええ。公爵様がわたくしの部屋を準備してくれましたので。バージル様の体調が落ち着いたらわたくしは家に帰ります」
バージル様の体調さえ戻れば公爵様のお屋敷にわたしがいつまでも残る理由はない。お父様に迎えをお願いするか、公爵様に馬車をお借りするか……と思ったが、ここに連れて来たのはメイナードだった。お願いすれば家まで送り届けてくれるだろう。いや、送り届けてもらえないと困る。
するとバージル様もわたしと一緒に帰ると言い出した。