第1話
わたしは転生したらしい。
ぽかぽかと暖かな陽射しが降り注いでいる。昼食を食べ終わり広い庭をメイドのロゼと一緒に散歩している時間は至福だ。美人なメイドと手入れの行き届いた美しい庭。
たかが昼食後の散歩で大袈裟なのでは? といわれるかもしれない。それでも何気ない日常がどんなに美しく素晴らしいものなのか……
しみじみと庭を眺めているとロゼに声をかけられた。
「いつも幸せそうですわね、アシュリーお嬢様」
「ええ、幸せだわ。本当に」
そう、わたしは幸せなのだ。
わたしがこの世界に転生してもう十年になる。
成長するにつれてわたしは前世の記憶をはっきりと思い出し、五歳になる頃には前世とほぼ同じ人格が形成されていたと思う。知能や知識はすっかり引き継がれ、なおかつ容姿や家柄は前世よりもアップグレードされていた。
水色の長い髪に、光の加減で金色にも輝くアンバーの瞳はアーモンドのような形をしている。目力が強く、気が強そうに見えるところも気に入っていた。鼻や口もバランスよく配置されていて、自分でいうのもなんだが将来を約束されたすごい美少女だと思う。
家は由緒正しいブロード伯爵家で、父と母と兄と使用人たちに愛されてすくすく育っている最中だ。
前世と今世の知識や一般常識のすり合わせに四苦八苦することもあるが本当に毎日幸せなのだ。
こうも今世が幸せと感じる理由。
それは前世のわたしの体質のせいだ。わたしは“見える子”だったのだ。つまり人間ではないものが見えていた。
前世のわたしは地球の日本という国で生まれ、一般家庭で育った。
父はサラリーマンで母は専業主婦。ごくごく普通の家族だったが、その中でわたしだけが異常だった。わたし以外には見えていないあれらが幽霊や悪霊と呼ばれる類いの存在であるということは幼いころから理解していた。
もはや人間とは呼べないおぞましい姿をしたそれらが視界に入る度に泣き叫んだ幼少時。小学生の頃は友達に不気味がられ友達が一人も出来なかった。不登校になった中学時代。しかしこのままじゃ人生まずいと一念発起し“見えない子”を演じて高校に通い、そのまま大学にも通った。
少しだが友人もでき、視界に入るものたちを無視して生きていく生活に慣れ始めた頃。
わたしは二十歳を超えることなく、亡くなった。
前世の不幸が帳消しになるくらい良いことが今世で待っている。そうじゃなきゃわたしが可哀想だ。
何にしても、今のわたしは本当に普通の女の子。精神年齢はほぼ三十歳だが、今世のわたしはもう“見える子”じゃない。どこを見ても不気味な存在を見ることはなく、怯えて生活をする必要はないのだ。
それが一番嬉しい。
「お嬢様、午後はお客様がいらっしゃると旦那様がおっしゃっておりましたので、そろそろ屋敷に戻りましょうか?」
「ええ、分かったわ。お客様って誰かしら?」
「申し訳ございません、大切なお客様としか伺っておりませんでしたので……」
「そうなのね。じゃあ、早く戻りましょう」
ロゼと屋敷に戻る途中、庭に設けられている生垣の所に誰かがしゃがみこんでいるのが見えた。あら? と思いロゼを見ると、ロゼも気がついたらしくわたしを守るように前に立ち塞がる。
「ロゼ、大丈夫よ。見て、子供みたい」
生垣に背中を半分突っ込み、埋まるようにして膝を抱えて座るのは子供だった。何でこんなところに? と言わずにいられない。
ここは伯爵家の屋敷で、簡単に侵入出来るはずはないのだけど。
「お嬢様、危ないですのでお屋敷へ参りましょう」
「体調が悪いのかもしれないわ。このままあの子を放ってはいけないよ」
屋敷に戻ろうというロゼの横を通りすぎ、座り込んでいる子供の前に立つ。髪の長さからして少年だろうか? 膝を抱えて小さく丸まっている少年はわたしに気がついていないのか顔を上げようとしない。
「大丈夫? 具合でも悪いの?」
わたしが声をかけると面白いくらい肩が持ち上がった。
それでも顔を上げようとしない少年の前にしゃがむ。同じくらいか、それとも年下か……膝の上でぎゅっと握り拳を作っている少年は何かに怯えているように見える。
「大丈夫よ。誰もあなたを叱ったりしないわ。顔を上げてくださる?」
わたしの言葉に従うように少年は顔を両手で覆いながらゆっくり上げた。
急かさないように少年の行動を見守る。指の隙間から少年の黒い瞳と視線がぶつかった。その瞳の色を見てわたしは懐かしい気持ちになる。そういえばこの少年は髪の色も黒い。この世界で黒髪黒目の人を見たことが今までなかった。元日本人のわたしからしたらこの世界の人たちは髪や瞳の色の組み合わせが奇抜だ。ちなみにロゼは真っピンクの髪に若葉のようなやわらかい黄緑色をしている。
そのせいか何だか少年に親近感が湧いてしまったらしい。
「こんなところでどうしたの? ゆっくりでいいから話してくれるかしら?」
普通にしていても目力が強く、子供のくせに威圧感があると認識しているのでにっこり微笑むことを忘れない。
「…………い」
「え?」
「何も見えてない、何も、聞こえてない」
「え?」
「誰か、たすけて……」
両腕を掴まれ肩に頭突きされる勢いで少年にしがみつかれた。
「お嬢様!? 誰か呼んできます。少々お待ち下さい!」
ロゼが慌てて屋敷の方に走って行ってしまう。その後ろ姿を見送りながら、少年の背中を撫で擦った。ぶるぶる震えている小さな背中は何かに怯えている。わたしにしがみついているのだから、わたしに怯えているわけではないよね?
「大丈夫よ、わたくしが助けてあげるから。怖がらないで」
しがみついていた力が弱まった。
幼い子供といえど男の子。全力でしがみつかれたら振りほどくことが出来ないものなのだなぁと思いながら、少年の顔を覗きこむ。
目の下に子供とは思えないような青紫のくまがあり、まるで何日も眠っていないかのように目が血走っていた。
「お前に何が……」
言いかけた少年がもう一度私にしがみついてくる。
「ちょ、痛い!」
「俺は何も見えていない! 聞こえていない!」
「何を」
「……顔が、ない男がっ」
少年の視線がある一点を見つめている。
嫌な予感がした。見るなと誰かの声が聞こえた気がしたが、顔を真っ青にしている少年が見ている方向に視線が向いてしまう。
久しぶりの感覚に背筋が震えた。
いつもの見慣れた庭に不気味な男が立っている。顔の部分が絵の具でぐちゃぐちゃにしたみたいに塗り潰されており、目がないはずなのに明らかにこっちを見ているような視線を感じる。
今世で初めて見た人ならざる者。
「……そっちを見ないで」
「え」
「わたくしの目だけを見て。絶対に男の方は見ないで」
「お前、あれが見えるのか?」
「ええ、残念なことにはっきり見えているわ。いい? 絶対に男の方を見ちゃダメよ」
「分かった」
「見えないふりをするの。そうしていればいなくなるから」
前世の記憶が甦る。
何だってまたこんなことにーー