『こうして少年はまたひとつ大人になった』(1)
彼の古典的傑作[枕草子]の冒頭には、こう記されている。
『春はあけぼの……夏は夜……秋は夕暮れ』
説明するまでもないが、移りゆく四季の中で、特に美しかったり、趣き深かったりする頃合いを、清少納言が端的かつ情感豊かに書き綴った名文の一節である。
この極東の島国において、四季の中に見えつ隠れつする花鳥風月の儚さに美を見出し、儚さをその儚さゆえに愛でる感受性は、古より尊ばれ殊に大切にされてきた。
様々な祭典祭祀は言うに及ばず、着るものや口にするものに至るまで、四季は我々の生活に密接不可分に関係している。そしてまた我々日本人も、それを至極当然のものとして受け入れている。
おそらく我々大和の末裔には、DNAレベルでそういう感受性が脈々と受け継がれてきたのではあるまいか。
◇◆◇◆◇
──と、なんか社会科の先生みたいなことを神妙な顔付きで考えていたものの、ここに至ってハタと思考が止まる。
えっと、あれ?
冬は──なんだっけ───??
…ガッ(脳内で砂時計が高速回転する音)
……ガ、ガゴッガ
………ガガンゴッ、ガグ…ガ……ピコーン!!
──そう、『つとめて』だ!
俺がまだ中学生だった頃、初めて枕草子を読んだとき『つとめて』を、『努めて』のことだと早合点して覚えてしまっていた苦い過去を思い出す。その当時は子供心に、
なんで冬だけ努力せねばならないのか。
努力するって一体なにを頑張ればいいのか。
そもそも努めてだけなぜ名詞ではなく副詞なのか。
──と一人で清少納言にツッコミを入れていた記憶が蘇る。ヤな中学生だな。あと良い度胸だな、当時のオレ。
──思えば、俺はこの頃からひねくれ者としての才能(そんな才能があったならばだが)を豊かに持っていたようだ。
そして年を経るにつれ徐々に、特にある時期を迎えてからはラディカルに、そのひねくれ具合は進行し、悪化の一途を辿った。
現在に至っては、そのひねくれ具合はもはや凡人には到底手の届かない高みにまで達している。
そんな悲しい現実を、中学生のときの俺は勿論知るよしもないし、知る必要もない。
◇◆◇◆◇
──脱線がすぎた。
良い子たちのために、一応補足しておこう。
『つとめて』という言葉は、古語において[早朝]を意味する。
冬という季節は、まだ雪や霜が溶けだしておらず、辺りが静謐な空気を保っている早朝の時間帯が、最も風情があって良い──というような趣旨らしい。
答えを聞いて納得するようなしないような。
清少納言にこちらの無知無学を、大口開けて笑われたような気持ちになる。まあ清少納言もいちいち小僧一人を相手にして笑うほど暇人ではないと思うが。
──そもそも、いち中学生にツッコまれるような物語が、現代まで古典的傑作として読み継がれるべくもなく。当たり前で周知の事実を、俺が後になって知っただけの話だ。
しかしながら、得てして少年はこういう苦い経験を経て、大人の階段を一歩ずつ登っていくものではないか。
いわば、必要にして不可欠な通過儀礼。そういうこと。
──うん。
かなり強引かつ無理矢理な論法だが、綺麗にオチが着いた──ということにしておこう。
◇◆◇◆◇
閑話休題。いま、辺りはまさしく朝を迎えている。早朝と言うには少し時間が遅いが、まあ朝は朝だ。
辺りは見渡す限りの白。
敢えて形容するなら、豆腐の上にヨ─グルトをぶっ掛けて、さらにホイップクリ─ムをトッピングしたような。そんな白いモノ全部乗せっ☆みたいな。
──周りの世界がほぼ白以外の色合いを失ってしまったような。そんな景色だ。
──そして寒い。めちゃくちゃに。
すでに雪が止んでいるのはありがたいが、いずれにせよ寒いことに変わりはない。寒い寒いと呟きすぎて、『寒い』という言葉自体がゲシュタルト崩壊しかけている。
寒いという感覚や次元を通り越して
──もはや痛い。
山から吹き下ろす風は一切の容赦がなく。まるで腕利きのスナイパ─が、三段揃えで間断なく放った弾丸のように、真っすぐ俺の身体に突き刺さる。
厚手の上着を重ね着してくるべきだった。
──と少し後悔した。
◇◆◇◆◇
それでも、寒さにかじかむ両の掌を脇の下に差し入れ、根本の噛み合わぬ歯をガチガチ鳴らしながら、俺は眼下に広がる光景に目を奪われ続けている。
朝日はまだ中天に至るには程遠く、街はまだ冬の朝特有の、張りつめた静寂に包まれている。高所から見る街は、真っ白なミニチュアの模型のように映る。
──静かだ。
──そして綺麗だ。
ただそれだけを思う。
心なしか、肌を刺す風も幾分和らいだような気がした。
──と、柄にもなく感傷に浸ってしまったが、俺がいま立っているところは、どこぞの山頂でも、高層マンションの屋上でもない。そもそもこんな田舎に高層マンションなどというものは、概念からして存在しない。
高所は高所でも、威風堂々そびえ立つ城の最上階
──すなわち天守閣。
そこに、俺はいる。




