我、おかわりを所望ス(3)
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さて流石に志穂が不憫に思えてきたし、俺も起こすのを手伝ってやろうか、と手を伸ばした瞬間
──ドン、ドン、ベキッッッ!
志穂のそれとは似ても似付かぬ、凶暴で不吉な足音。
──いま最後の方、階段の床板を踏み抜かなかったか?
姿を見ずとも分かる。志穂のひとつ年上の姉[秋山沙耶]のおでましである。
志穂が薄幸の星の下なら、沙耶は殺戮と狂乱の星の下に生まれたとでもいうべきか。人々の苦悶の叫びと血と涙をこよなく愛する高校二年生。高校に入学するや否や付けられたホーリーネーム(通り名)が「殺意の波動に目覚めし女」らしい。やべぇ。
──まあ途中ちょっとオーバーに言い過ぎたけど、そんなやつである。ちなみに俺と同じ高校。同じクラス。
──まこと悲劇である。おもに俺が。
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沙耶は足音高く階下から顔を覗かせると、俺と志穂に向かって『おはよ』っと短く挨拶する。そして、夕凪の方につかつかと歩み寄ると、
──話しかけるでもなく、
──布団を揺するでもなく、
──無言で足を振り上げ、
──蹴り飛ばした。布団の山を(倒置法)。
顔色一つ変えず、一切の躊躇も逡巡もなく。
沙耶の音速の蹴りは、的確に布団の山の重心をフォーカスし、射抜いていた。
──すげぇぇ。なんだっけ、こういうときに使う表現、昔に古典の授業で習ったぞ。
──そうそう。
「あやまたずひいふつとぞ射切つたり」(平家物語‐扇の的-より)。こういうときに使うんですね。納得納得。
──放ったのは矢ではなく蹴りだけどな。
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沙耶の蹴りをまともに喰らった夕凪は、布団もろとも床をゴロゴロ転がって、漆喰の壁面に激突してようやく止まった。
衝撃で漆喰の粉がぱらぱらと宙を舞う。まるで室内に雪が降っているようだ──美しい。
『な……なんじゃ!?……天変地異かっ!?……物の怪の襲撃かっ!?……ええぃカチコミじゃぁ。皆の者、出会えぃ、出会えぃぃぃ!!』
ガバっと飛び起きた夕凪が、視線をきょろきょろ彷徨わせながら怒鳴っている。まだ寝ぼけているようだ。
──どーでもいいけど、お前セリフに任侠モノと時代劇モノがごちゃまぜになってるぞ。
『おっはよ〜。ぐっもーにん!夕凪』
沙耶が女神のような笑みを浮かべて挨拶する。
俺と志穂は無言のまま引き攣った笑みを浮かべ、その場に立ち尽くしていた。まあ毎度おなじみの光景ではある。
──こうして、不毛な戦いはようやく幕を閉じたのだった。
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そんなこんなで目出度く(?)俺たち四人が二階に降りると、テーブルの上にはすでに朝ご飯の準備が整えられ、なんとも食欲をそそる芳しい香りがあたりに満ちていた。
テーブルの周りにセットされた椅子は6つ。
曜子さんのほかに、もう一人の先客がいた。
背中の中程まで伸びた、すらりとした金色の髪。透きとおった陶器のような白い肌。深淵な光を宿した蒼い瞳。
──精巧に作られたフランス人形のような少女が、椅子に腰掛けていた。
『あっ……ふらんすちゃん。おはよー!』
と志穂が真っ先に声をかける。
ふらんす、と呼ばれた少女は、
『オー、志穂!オハヨーゴザイマース!』
と、流暢ではあるが、どこかイントネーションがズレた口調で挨拶する。
彼女は昨年の四月から、俺たちと同じ高校に通うことになったフランスからの留学生だ。彼女のホームステイ先となっている家は秋山家のすぐ真向かいにあって、つまりこの城ともご近所同士である。
そういう訳で彼女も、沙耶と志穂の例に漏れず、毎日ここで朝食を取ってから登校するのが常になっている。
ちなみにこの[ふらんす]というアホっぽい名前は勿論彼女の本名ではないが、名前の由来については追い追い語る機会があるだろう。
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そんな訳で、賑やかな朝食が始まる。
ふむ。本日のメニューは…
ふっくらと炊かれた白米に、根菜の漬け物(今日は大根菜の上にかつお節が散らされている)、味噌汁(白菜、青ネギに加え、なめこが入ってるのが個人的にポイントが高い)、卵焼き(ふわっとした食感が素晴らしい)、そして主菜として焼き鮭(生すぎず、火が通りすぎず、完璧な焼き加減)──と来たか。
必要にして十分。というか朝に弱い俺には多いくらいのボリュームだ。味の方は曜子さんの真心こめた手料理なのだから、なにをか言わんや。
美味くないことがあろうか──いや、ない(反語)。一言で言うと神。
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食卓をぐるり見渡すと、先程まで寝ぼけまなこをしきりに擦っていた夕凪も、いまは焼き鮭の身をほぐすのに夢中になっているようだ。
志穂は、今日も美味しい朝食にありつけた至福のひと時を噛み締めているのだろうか、ぽわーんと目を細めつつ箸を運んでいる。
沙耶の方はというと、きちんと背筋を伸ばし、卵焼きの切れ端をゆっくりと頬張っている。先ほどまでの振る舞いを思えば意外すぎる姿だが、なかなかどうして、こいつはこういう場での礼儀作法はキチンと弁えているのだ。
ふらんすに至っては、そのフランス人形みたいな佇まいに反して、巧みな箸使いを見せている。白米にちょこんと漬物をのせて口に運ぶ姿なんかは、こいつが生粋のフランス人であることを疑いたくなるほど、この場に馴染んでいた。
そして曜子さんは、そんな俺たちの食べっぷりを、嬉しそうに眺めている。
しばらくして、一同が食べ終わる。
うん、今日も美味しかったです。
みんなで揃って「ご馳走さまでした」と合掌し、自分の分の食器を流しに運ぶ。
最低限自分でやるべきことは自分でやる──それがここのルールだ。
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頃合いを見計らって、曜子さんが温かいほうじ茶を人数分、盆に入れて運んできてくれた。遠慮せずいただくことにする。
──うぅ、五臓六腑に染み渡るっ。
一同がほうじ茶の温もりを噛みしめる中で、ふと外に目をやると、山の端にあったはずの太陽が幾分中天に近づいている。朝飯を食べ終わるだけでずいぶん時間をかけてしまったようだ(夕凪がなかなか起きなかったせいでもあるが)。
壁時計を見ると、時刻は8時15分を少し過ぎている。ここから高校へは徒歩で30分はかかる。田舎ゆえ高校がひとつしかなく、しかもこの城はそのまた田舎の僻地とでも呼ぶべき場所にあるから、時間がかかるのだ。一限目は9時からだから、そろそろ出発しないとマズイだろう。
──他の4人も同じ思いであったようだ。示し合わせたように、一斉に席を立つ。それではこの暖かな食卓を離れるのは少々名残り惜しいが、
──『行ってきます!』
こうして胡桃割城のありふれた朝の時間が、穏やかに、しかし淡々と過ぎて行く。




