我、おかわりを所望ス(1)
その日の朝は、3日にわたってこの地に雪と風と雨と多数の人々の怨嗟の叫びをもたらした低気圧が去り、まだ薄っすらと細くたなびく雲間からは、久々に日の光が顔を覗かせていた。
俺は例によって天守閣の廻縁(現代で言うテラス)の欄干に肘を預け、眼下の街並みを見下ろしている。
──この前ここに立ったのは昨年の師走の初め頃だっただろうか。あれからおよそひと月が経ち、年のあらたまったばかりの街は、それとなく祝賀の雰囲気に包まれた穏やかさを感じさせる。
俺はがっちりと固く着込んだ上着の裾をめくって、左の手首にはめられた腕時計の文字盤にちらと目をやった。
文字盤の長針は7と8の中間、短針は6のあたりを指し示している。朝の7時30分。もうそろそろ朝食の時間だ。
時計のデザインは至ってシンプルな作りになっている。
文字盤の背景は山々の深い緑を思わせるモスグリーン。
アラビア文字で描かれた1から12のインデックスと、長針・短針は全てオレンジ色で統一され、秒針はついていない。文字盤の円周を囲む縁取り(ベゼル)は、艶消しを施された、光沢のない銀のステンレスがはめ込まれている。
文字盤の3のダイヤルの右側には、ちょこんと小さな銀の竜頭がついている。
時刻を合わせる必要があるときは、竜頭を一度つまんで引く。この状態で竜頭を回転させることで、長針と短針を操作することができるようになっていた。
◇◆◇◆◇
俺が特に時刻を知りたい訳でもないのに、時計に目をやったのには理由がある。時計を見たかったからだ。
時刻を知るためではなく、時計そのものを眺めるために。
昨日は年初めの高校の始業式の日だった。久々に顔を合わせるクラスメイトと、冬休み中に出掛けた場所や年末年始に見たテレビの特番の話題などを交換しているうちに、その日はあっという間に過ぎた。
そして高校からの帰り道、街の中心近くにある百貨店(といっても都会のそれとは比べようもない慎ましやかなサイズだが)の時計売り場で、この腕時計を発見した。
時計の展示台に貼られた手書きのポップアップによると、年末に入荷された新商品であるらしい。ブランド紹介の部分には最近できたばかりの、聞いたことのない北欧の会社名が記されていた。
俺は深い緑の文字盤が目にも鮮やかなその時計をちらと見つめて──欲しいな、と一瞬思う。──買ってしまおうか、とも。
金額は二万円に少し届かないくらい。アルバイトもしていない高校生の俺にとって、安い買い物ではない。
しかしちょうど手元には、元旦の日に曜子さんからもらったお年玉がそっくりそのまま残されている。こちらに越してきてからは特に無駄遣いする習慣も(そして無駄使いできるほどの娯楽施設もここには)なかったから、貯金もまだいくらか手元に残っている。お年玉と貯金を合わせれば時計を買っても十分お釣りがくる。当面お金に困ることはないだろう。
──そしてなにより、着るものとか文房具とか生活に必要なもの以外に、自分がモノを欲しくなる感情自体が久しぶりで新鮮なものだったから、なんとなく心が高鳴った。
欲しいものを欲しいときに買う。そんな当たり前の願望さえ、俺には懐かしいものだったのだ。
だからという訳ではないが、俺は決意を固めヨシッと小さく呟くと──暇そうに肘をついて店番している店員に向かって、一歩を踏み出した。
◇◆◇◆◇
──こうした経緯で手に入れた時計だったから、昨日城(自宅)に帰ってからの俺は、時々思い出したように意味もなく時計に目をやっては悦に入っている。
我ながら子供っぽいなとは思うが、まあ放っておいてほしい。
とある事故で心を閉ざしてしまった少年が、少しずつ忘れた心を取り戻してゆく感動のストーリーの最中なのだ。
歓迎されこそすれ、誰かに後ろ指をさされる謂われもないだろう。




