復33
月島博士、と呼ばれたので、わたしは摘まんだコロッケを弁当箱に戻し、その縁に箸を置いた。
「何だ、杉下さんか」
研究室の入り口あたりで、杉下は腕を組んでいた。肩の辺りで切りそろえられた髪は茶色、頬にはそばかすがある。わたしよりも5つ年下の女性だ。
「お食事中すみませんね。毎度おなじみのお届けものです」
杉下はそう言い、白い封筒をひらひらさせると、わたしの席まで歩いて弁当箱を覗き込んだ。
「どうしたんだい、特別珍しいものは入っていないが」
白飯にコロッケと漬物、申し訳程度に生野菜のサラダが入った、質素な弁当だ。伴侶のいない、朝も早いわたしにとって、弁当とはつまりこういうものだ。
杉下はしばらくその体制のままで、わたしの弁当箱を見つめていた。「そう見られては食べ辛い」と視線で訴えると、杉下はようやくわたしから距離をとった。
「そういえば月島博士って、まだご結婚はされてませんよね」
わたしは頷いた。この研究所に勤めてからというもの、家に帰ってもろくに外出はしなくなった。他人と接することが極端に嫌いになったからだ。おのずと、女性と出会う機会も減っていった。わたし自身、半ば諦めていた。そもそもこの研究所の職員で、家庭を持っているのはほんの一握りだけだ。それは杉下も例外ではない。
「もったいないですよ。月島博士にはいいところが一杯あるのに……」
わたしは肩を竦めた。
名門大学を卒業したての頃は、わたし以上に優れた研究者など存在しないとさえ自負していた。しかしこの研究所では、わたしは一研究員として埋もれ、実績が顔を見せることはない。前任が積み上げた成果をなぞり、その有効性を確かめる、これがわたしの主な業務内容だ。新たな発見には程遠い位置にいる。
対して、杉下はどうか。頭がよい、女性としての魅力がある、何より、人に好かれる才能を持っている。他部署の大実験に付き添ったこともあったし、研究所外での博士同士の交流会にただ一人招かれたこともあった。わたしにはもったいないぐらい、実によく出来た部下だった。
「それならいっそ、わたしと結婚してしまうかい?」
ほんの皮肉のつもりだったが、杉下は顔を赤くして俯いた。しばらく待っていると、肩口を強く叩かれ、杉下は出口へと駆けていった。
「明日、お弁当作ってきます」
持ってこないで下さいね、と付け加え、杉下は研究所を後にした。
わたしは杉下が机の上に乱雑に置いていった白い封筒を開け、白い便箋に目を通しながら、味気ないコロッケを口に運んだ。