File14-4 ~頭を回して~
事件関係者
加賀尾知代子(63) 「Happy fork」元パティシエール
寺見奨(54) 「Happy fork」パティシエ
加藤祥子(48) 「Happy fork」パティシエール
鳥生史幸(30) 「Happy fork」パティシエ
福羅梨音(28) 「Happy fork」パティシエール
金堂習作(56) 「Happy fork」パティシエ 〔被害者〕
加賀尾怜人(38) 「Happy fork」オーナーパティシエ 知代子の息子〔入院中〕
加賀尾益孝(67) 「Happy fork」元オーナーパティシエ 知代子の夫〔故人〕
降田冨士也(79) 「Happy fork」の常連客
現場周辺図
「……っていう訳さ。んでそれが終わったから君らのところに来たってこと」
網倉刑事は思いっきり伸びをして、手帳を閉じた。口井さんは声にならない声をブツブツと呟いている。僕は凪沢先輩と顔を見合わせた。
「見当もつかないわね。強いて言うなら加藤さんの挙動は怪しいかもしんないけど、イマイチよね」
「そうですよね。他の人も怪しそうなことは言ってましたけど、よく分からないですよ。ところで加藤さんは何か打ち明けてきたんですか?」
「さぁな。今、吉峰警部が個別に話を聞いてるみたいだからそれが終わり次第何か分かるんじゃないかな」
僕らの間に沈黙が生まれる。口井さんは口元に手を当て、まだ何かを呟いている。すると凪沢先輩が話し出した。
「網倉刑事。ちょっと疑問点があるんだけど、聞いても良いかしら?」
「あぁ。よほどのことじゃなきゃ構わんぞ」
「まず、あの金庫に入っていたっていう降田さんへのレシピ。あれは間違いなく加賀尾益孝さんの手によって書かれたものなの?」
「多分そうだ。正式な鑑定結果は出てないが、妙なクセのある字で、そう簡単にまねできるものじゃないだろうからな」
「じゃああのお菓子の作り方を知れたのは金庫を開けられる加賀尾さんだけってことね」
網倉刑事は「ああ」とだけ言って手帳を再び開いた。
「ちなみに金堂さんが作っていたと思われるあのお菓子は、レシピ通りに作られていたから彼がそれを見て作ったと考えられる。だから今、この世であの菓子を作れるのは加賀尾知代子さんただ1人ってことだ」
本当にそうなのだろうか? 僕はふと疑問に思った。何か、別の方法であのレシピを知ることができたのならアリバイなんて意味がなくなるはずなのに……。
「あの!」
僕の思考はその大声でストップさせられた。口井さんは両手を胸の前で絡め合わせて、網倉刑事の目の前に立つ。
「現場――というよりは益孝さんの部屋、それを見ることって可能ですか? ちょっと考えがまとまらなくて……」
彼女は二つ結びにした髪の、右のほうをクルクルいじりながら言う。顔には随分と困惑の表情が浮かんでいる。網倉刑事は彼女の顔を見ると無言で椅子から立ち上がり、チョイチョイと手招きをしてから外に出た。
◇
「よ、蓑下君!」
網倉刑事は現場の向かい側、益孝さんの部屋にいた蓑下八重乃刑事に声をかけた。かなり背の低い彼女。ランドセルを背負ったら、9歳の女の子だって演じられるだろう。顔も幼さが残っているし。そんな蓑下刑事は、網倉刑事に呼ばれてドアの傍までやって来た。
「どうしたんですか、網倉先輩。吉峰警部なら加藤さんの話を聞いてるからここにはいませんよ」
「いや、そういうことじゃないんだなぁ。ちょっと聞きたいことがあるって――ん?」
気が付くと口井さんは部屋の中に入り、色々と物色していた。いつの間にか両手には白い手袋がある。
「ちょっと口井さん!」
僕の制止も聞かず、彼女は棚の下の戸を開ける。彼女の肩越しに覗くと、そこには金庫がどっしりと構えている。
「……刑事さん。この中身は調べたんですか?」
「え、ええ、もちろん。加賀尾さんに頼んで開けてもらったわ。中は机の上に出してあるけど――ってなんであなたに言わなきゃならないのかしら?」
その声も聞こえていないのか、彼女は堂々と中に入っていたと思われるものを確認し始めた。
「ちょっとちょっと! 何をやってる――」
蓑下刑事と網倉刑事が彼女の手を止めようとすると、それを振りほどいてさらに聞く。
「ホントにこれだけなんですか? 金庫の大きさからしても少なすぎなんじゃ……」
「当たり前でしょ! 確かに古いファイル2冊とアルバム3冊ってのは少なすぎだとは思うけど」
「そうでしょうか? もしかしたら何かなくなってる、そんなことはあり得ないんですか?」
蓑下刑事の顔が一瞬強張った。
「だって金庫の6ケタの暗証番号を知るのは加賀尾さんただひとり。無理に開けようとすると警報が鳴るこの金庫から盗むのは不可能じゃない?」
口井さんはその問いに答える訳でもなく、ファイルの隣の、紙の束を手に取った。
「これが寺見さんの言っていた手紙やリストですか。なんでここ置いてあるんです?」
「一応調べてみたのよ」
蓑下刑事はもう諦めたのか、素直に説明する。
「何か不審なものがないか、寺見さんから鍵を借りてとりあえず全部出したのよ。まあ量が多すぎだし、そんなに重要でもなさそうだからもう戻しちゃうけど」
口井さんがその山のてっぺんをちょいと触ると、バラバラと様々な大きさの紙や封筒が落ちる。彼女は適当にそれを拾い上げて置き直し、金庫の前に戻る。そしておもむろに絨毯に顔を近づけた。
「……刑事さん。この絨毯詳しく調べてみてください。きっと何か出るはずですよ。それに戸棚のほこりに混じって何か粉みたいなのがありますよ」
「ふぅん……分かった。ちょっと調べてみる」
そう言うと蓑下刑事は部屋を出て行ったので、入れ違うように僕らは部屋に入る。そして凪沢先輩はすぐに、
「口井さん、何なの? その金庫の前の粉って。何か事件と関係が……」
「もちろんです」
彼女は誇らしげに胸を張る。僕も口井さんの後ろから見てみるが、確かにほこりとは違った何かがあるようだ。それに薄っすら金庫の数字のボタンにもそれがくっついているようだ。
「あたしが最初に気になったのはあの金庫の中身の少なさです」
口井さんはファイルとアルバムを指さしてから説明し始めた。
「確か加賀尾さんと加藤さん、ふたりで手分けしてみるほどの量があったはずですよね? もしこれだけしかないのなら、どちらかは寺見さんを手伝ったはずです。たった5冊をふたりで見るのは少しおかしい。だからあたしは“盗まれている可能性”それを疑いました。でも金庫を開けられるのは加賀尾さんのみ。だから何者かが金庫を開けるには、番号を知る必要があるんです。そのために犯人は粉を使った、あたしはそう考えます。つまり――」
「ほら、どいてください!」
部屋の入り口には蓑下刑事と鑑識さんがやってきていた。
「今から調べますから、ちょっとどいててください」
蓑下刑事に追い出されるように、僕らは部屋を後にした。
◇
「お、網倉じゃぁねえか!」
僕らが戻ろうとすると、ロッカールームから背が高い刑事さんが出てくる。ガッチリした体格なのにどうも頼りない感じがするのは、優し気な瞳のせいだろう。彼にすごまれても、物怖じしそうにはない。むしろ偉い人の下についてヘコヘコしそうなタイプ、僕は勝手にそう思った。
「なんですか、樽川警部補」
「実はさっきまでそこで加藤さんの話を聞いてたんだが、どうも怪しさが拭いきれなくてな……」
「どんなところがですか?」
「それを話したいって思ってんだが――その子らに聞かす訳にはいかねぇだろ」
「そんなことを言わないでくださいよ。この子ら、なかなか鋭いところもあるんですから。それに――」
網倉刑事は樽川刑事の耳元で何かを囁く。するとみるみる顔色が変わり、口元を抑える。
「おい! 網倉、そ、そいつは、ホントか?」
「当たり前でしょ。名前で気が付かなかったんですか?」
「そういえば……そうだな」
彼は凪沢先輩の顔をまじまじと見ると手帳を取り出す。……どうやら、僕の見立ては正しかったようだ。口井さんだけが首をかしげている。
「よし、分かった。話そうじゃあないか、加藤さんの語ったことをね!」
樽川刑事は指をパチンと鳴らしてから言った。
「加藤さんの語った主なことは2つ。まず妙に挙動不審だった理由は、彼女が盗みを働こうとしたことにあるらしい」
「盗みってまさか金庫の中身ですか?」
口井さんに言われたことに驚いたのか、樽川刑事は一瞬戸惑う。だがすぐに肯定した。
「そうだ。加賀尾さんが押した番号をコッソリ見ていたらしい。寺見さんは離れたところで探し物をしていたから、気が付かれなかったとも言っていた。だが問題はここからだ。彼女が開けた時、中にはほとんど何も入っていなかったと言ったのだよ。加賀尾さんと見た時はあったものが、何度見ても無かったとね」
「ちなみに加藤さんが本当は盗んだって可能性は?」
僕が質問すると、樽川刑事は首を横に振る。
「丁度、事情聴取はロッカールームだったから確認したんだよ。だがどこを探しても見当たらない。他の人のロッカーも全員に許可をもらって調べたが、どこにもなかった。もちろん倉庫にも隠されていなくて、現場や益孝さんの部屋はすでに捜査が入っているから見つかったら報告があるはずなのにない。身体検査も済ませて発見されなかったから、金庫に入っていたはずのレシピは消えてしまったという訳さ!」
彼は決め顔で言い切ったが――どういうことだ? さっき口井さんが言いかけていた何かの方法で金庫を開け、中身を盗みどこかに隠した人物が存在するということなのか。でも隠し場所なんてもうどこにもないのでは――
「ま、いいわ。樽川刑事、加藤さんの語った2つ目って何?」
凪沢先輩に急かされるように、彼は別の話題に移った。
「2つ目はな、この店のムード的なことだよ。ざっくり要約して話すと、前のオーナーの加賀尾益孝さんが亡くなって息子の加賀尾怜人さんが新オーナーになったのは知ってるよな? 元々この店は加賀尾夫妻のおかげで成り立っていたようなモンで、知代子さんの引退と益孝さんの死は大打撃だったようだ。さらに息子の怜人さんは、まだ未熟でオーナーとしての気質ってのが欠けている。寺見、金堂、加藤の3人で何とか彼を支えていた状態でいつ崩れてもおかしくはなかったとか。だから、いざこの店を離れなくちゃならない時のための準備が必要だった。それが益孝さんの残したレシピ。つまり新しい菓子のレシピを持ってれば、それだけ有利か持ってことだろうな。まあ益孝さんは亡くなる2か月くらい前から体調を崩していて、あの降田さんのためのお菓子だってなんだかいつもと違う感じだって言ってたけどよ」
「なるほど……」
口井さんが呟いた。
そして、彼女は回りだした。右足を軸にクルクル回り始めた。二つ結びの髪がファサファサと揺れる。
「……な、何なの、この子」
凪沢先輩の口から驚きの声が漏れた。網倉刑事や樽川刑事も呆然としている。
「か、考えるときの癖とかじゃないですか、先輩」
そしてしばしの間、どうして良いのか分からずに立ちすくんでいると、彼女が左足を勢いよく地面に下ろした。
「……分かりました。誰が犯人なのか、どうやってそれを成し遂げたのかもね! さ、刑事さん。皆さんを集めてください」
口井さんはそう言って微笑んだ。




