File9-6 ~過去の捜査【2】~
ここのオーナーの秘書だという女性が来ているという情報を知り、俺らは早速その人の元へ向かう。吉峰警部補が店内の状況確認のために残ると言ったので、俺と凪沢警部、小森君の3人でだ。
「あなたがオーナーの秘書さんかしら?」
凪沢警部が、黒縁の眼鏡をかけたいかにもやり手っぽい若い女性に声をかけた。黒々とした肩まで届く長さの髪はとても美しい。
「あ、はい。赤岸美佐枝と申します。榊田宝石店オーナー、榊田伸彦の秘書をしております」
赤岸さんは軽く俺らに会釈する。気丈なように振舞っているが、手帳を持つ手が震えていた。
「赤岸さん、とりあえずあなたがなぜここに来たか教えていただけますか?」
「はい……あ、でもその前にあそこに従業員の関根さんがいるので彼にも来てもらって良いですか? 彼、店では重要な方なので……」
「ええ、まあ構いませんよ。小森! その関根さんを連れてきて頂戴」
黄色いテープのすぐ傍で心配そうに店を見ていた男性を、小森君が連れてくる。彼は何がなんだかわからないというような表情だ。左腕は骨折でもしたのか、吊っている。
「赤岸さん、これは一体……」
「それは私もまったく知らないんですよ。刑事さん。こちら、宝石店の従業員、関根麻雄さんです」
「せ、関根です……」
不安な面持ちではあるが、なんとなく爽やかな風貌の人だ。きらりと光る歯はアイドルのようだし、風に揺れる髪はサラサラだ。
「最初はとりあえず赤岸さん、あなたのお話を聞かせてください。今日、どういう経緯でここに来たかを。とりあえずその後で事件の詳しい話はしますので」
赤岸さんは軽く頷き、話し出した。
「オーナーから電話があったんです。『強盗が入ったという連絡があったから、今すぐ店に向かってほしい』とね。それでオーナーの弟の幹彦さん、関根さん、藻川さんに連絡を入れてから私はここへ。その方々は宝石店でも中核の人なので、一報入れて店に来てもらうと思ったんです。私のマンションはすぐ傍なので、まだマンションを出て20分くらいです」
時計を見ると、11時45分を指している。事件が起こったのは11時頃だから、連絡を受けたり連絡したりしていたらそんなものだろう。
「ちなみに」
小森君が口を挟む。
「オーナーの榊田伸彦さんはすぐいらっしゃるんですか?」
「いえ、今日は定休日だったこともあって、オーナーは名古屋まで行っているんですよ。宝石オークションのために。名古屋を発ったばかりのようですから、まだ結構かかるかと……」
「榊田オーナー、お1人で名古屋まで?」
「はい。何の都合かは存じ上げませんが、お1人で向かうこともまれにあるそうです。私はここに来てそんなに長くないのでよく知りませんが」
小森君は真剣な表情でメモを取る。そんな彼女を見ながらから凪沢警部は関根さんの方に体を向ける。
「関根さん、あなたはどうしてここへ?」
「……赤岸さんから電話があったんですよ。『強盗が入ったらしいから宝石店に向かってくれ』というね。私は近くのバーで飲んでいたんですが、もう酔いも一気に醒めてしまいまして。走ってここに向かいましたのでバーを出てから15分ちょいくらいで着きました。動揺して道を間違ってしまったので、本当ならもう少し早くつけたかと思いますが……」
「ところで」
またも、小森君が話に割り込む。
「腕、どうされたんですか?」
「あぁ……先週登山に行った時、変な風に転んでしまいまして。骨折しちゃったんです。何かと不便ですよね……重い物は片手じゃ持てませんからねぇ」
関根さんは左腕を見せるようにして言った。小森君の方は、何かを手帳にメモしている。そしてさらに躊躇わずに聞く。
「ではお2人にお聞きしたいのですが、何か強盗犯に狙われる心当たり等はありますか?」
「あ、あるわけないでしょう!」
遠慮しない小森君の質問に、関根さんが声を荒げた。
「たまたま榊田宝石店という店が、強盗犯にとって都合がよかったんじゃないですか? 何か効率とか、見返りとかを考えた時にね!」
小森君が今度は横の赤岸さんに視線を移すと、彼女は慌てて首を振る。
「もちろん、私もないですよ……。た、多分、強盗犯たちがこの店の何か『穴』を発見して、それで榊田宝石店を襲撃のターゲットにしたとか。まあ、私としてはそんな『穴』があったとは信じたくないのですが……とりあえずどんな事件だったのか教えてくださいよ、刑事さん」
◇
彼らに事件の説明をしていると、小太りの男がテープをくぐってやってきた。その男は口ひげも加わって、漫画のキャラクターのようだ。12月の夜中だというのに、羽織っているのはセーター1枚だけ。
「榊田幹彦。榊田宝石店オーナーの弟です」
彼は大きな体を揺すりながら言った。顔は真っ青で、足も少し震えている。まあ自分の勤める店に強盗が入ったなんて言われたらそうなるだろう。
「そ、それで刑事さん! 一体何が起こったんですか?」
「まあそれは後でお話ししますので……今日、どういった経緯でここへ来たのか教えてください」
「は、はぁ……わかりました」
彼は鞄から取り出したペットボトルの水で喉を潤してから言った。
「え~っとですね……今日は宝石店は定休日で、オーナーの兄も宝石オークションのために名古屋まで行っていることもありまして、お得意様のお宅へ行っていたんです。招かれてもいましたし。それで11時15分過ぎでしたかね。そのくらいに兄、次に赤岸さんから電話があったんです。どちらも『強盗に入られたから店へ向かってくれ』という内容のね。それでお得意様のお宅をすぐに出て、ここへ向かったという次第です。彼の家の運転手の方が近くまで送ってきてくれまして、30分と少しでここに辿り着いたという訳です」
チラッと腕時計を確認すると11時52分。30分でここまで着くというのなら、別に矛盾していないだろう。
「と、ともかく話すことは話したんですし、事件の概要を……」
突然会話を止めてどこかを見始めた。彼の視線を辿って見ると、黄色いテープの傍で中を覗き込んでいる年配の女性がいた。
「あの、刑事さん。藻川さんが来ているので彼女にも来てもらいたいのですが……」
「あの女性が藻川さん? じゃあ小森、悪いけど連れてきてくれる?」
凪沢警部に言われ、小森君は藻川さんを連れてきた。化粧はしっかりとされているのだが、どうも年齢を隠しきれていない気がする。小じわやシミなどが少し見て取れる。まあ緊急事態だから化粧も適当なのかな?
「お名前、伺ってもよろしいですか?」
「藻川梅子。榊田宝石店の従業員」
彼女はジロジロと凪沢警部や小森君、俺のことを見てくる。どうやらあまり協力的ではなさそうだ。
「まさかこんな事件が起こるなんてねぇ……アタシは面倒なことが嫌いなもんでね。さっさと聞きたいことは済ませて頂戴よ」
「で、では今日どういう経緯でここに来ることになったのかをお願いします」
「もちろん良いさ」
藻川さんはポケットから煙草を取り出して、オイルライターで火をつけながら言った。
「あ、良いかい? こんな事態じゃ落ち着けなくてさ……」
「ええ、まあ。お話を聞かせてくれるというなら」
藻川さんは黙って煙を吐き出す。
「……今日、アタシは弟の家に行ってたんですよ。音呂部町にあるんですけどね。んで、そろそろ長居しすぎたし、帰ろうかなってところで赤岸さんから連絡が入ったんですよ。『早く店に向かってくれ』ってね。でもアタシは車の運転できないんで、弟に運転してもらって、ここまで送ってもらったんですよ。確か弟の家を出たのは11時20分ちょい過ぎだったから、だいたい30分くらいでここに着いたって訳だね」
◇
その後、夜を徹して捜査は続けられた。しかし犯人の手がかりになりそうなものはほとんど無く、防犯カメラの映像くらいだった。だが途中、蒼園町の仙清街道での事故の報告が入った。しかもそれで死亡した男は指名手配中の青葉桐人。捜査にあたっていた俺らは榊田宝石店を襲ったのは青葉で、一緒に指名手配されている中松房生がもう1人の仲間ではないかと考え、彼の捜索を開始した。
そんな折、オーナーである榊田伸彦が到着した。時刻は午前2時少し前。さすがにかなり遅くなってしまったので、0時過ぎには関根さんと藻川さんには明日警察署に来てもらうように言って帰ってもらっていた。
「榊田伸彦。榊田宝石店のオーナーです」
弟とは違いスラッとした体形で、高い背丈や鋭い目つきは宝石店をまとめるにふさわしいオーラを放っている。でもどこかそんな裏に気持ちを押し殺しているような、複雑な感情がある気がする。少しやつれている様子でもあるし。
「申し訳ありませんが榊田さん。少しお話を伺ってもよろしいですか?」
凪沢警部は優しく問いかける。榊田オーナーは大きく頷いた。
「私の店の非常事態ですからね。何でもお聞きください。と言っても赤岸君に電話した後はずっと楠鳩町に向けて車を飛ばしていたので、詳しいことは全く……」
「ではとりあえずお聞きしますが、青葉桐人という人はご存知ですか?」
榊田オーナーは目を大きく見開く。しばしの間の後に、絞り出すように答えた。
「し、指名手配されている人ですよね? 確か雪美条市近辺で強盗を繰り返している……そんな恐ろしい人に襲われたというんですか!」
頭を抱えてしまうオーナー。いくら傷ついている人といえども、多少のことは聞かねばならない。凪沢警部は顔を近づけ、さらに聞いた。
「申し訳ありません、榊田オーナー。最後に聞かせていただきたいのですが、青葉に関してご存知なことは……」
「あるわけないでしょう!」
彼は少し怒り気味に言った。
「そんな犯罪者、会ったこともありませんよ! 交番の前の写真でしか知りません。全く、なんで私の店を……防犯体制もしっかりしていたつもりなんですが……」
「どんな感じでです?」
「そうですねぇ……例えば出入り口や窓はどれも24時間体制でカメラが撮っているんです。トイレの窓とか、設置しずらい場所の窓は柵をつけて通れないようにしていますし。店内は動くものを検知して撮影を自動で開始するものですが、ほとんど不具合はないと思います。それにそう、滅多に使わない裏口では開けると記録が残るようになってますけど、それは残ってたんですかね……。
とまあこんなもので良いですかね? 明日にでも警察署でお話ししますよ。もう2時も回っていることですし、体を休めたいんですよ」
名古屋から戻ってきたばかりだというのに、長時間拘束するわけにいかず、とりあえずまた警察に来るよう言ってその夜は皆に帰ってもらった。
◇5年前 12月10日 11時45分◇
「や、家賃の催促のためにドアをノックしたんですよ。でも、鍵がかかってなかったから入ったんです。そ、そしたら首を吊った吉田さんが……」
腰も曲がり、頭はすっかり禿げ上がってるアパートの大家、八代さんはひどく動揺した様子で言った。
「ありがとうございます、八代さん。事情は分かりました」
そのまま八代さんを部屋の外に残して、俺らは部屋の中に戻る。そして凪沢警部は現場の部屋をぐるっと見回した。
「やはりこの男は中松房生なんですかね、警部」
小森君が吊るされた遺体を見上げながら言った。
「小森もそう思うか。とりあえず色々と調べてみるが、多分指名手配犯の中松房生だろうな。『吉田』という名前も偽名だろうし……」
事件の翌日、警察は青葉の仲間である中松房生を探していた。そんな中、この檜荘で人が首を吊っているという通報が入った。どうやら中松房生かもしれないということで、俺らはこのアパートにやってきた訳だ。彼は6畳ほどの1室で、カーテンレールに縄をかけて亡くなっていた。足元には本を重ねた踏み台があった。
「凪沢警部、これ……」
俺はその踏み台の脇に置いてある封筒を差し出す。
「ん? これは……遺書か?」
封筒を開けながら凪沢警部は言った。どうやら中身はワープロ書きのようだ。そしてそれを凪沢警部は読み上げる。
「『私、中松房生は青葉桐人ともに榊田宝石店に押し入りました。そして宝石類を盗んだのですが、蒼園町まで逃げたところで青葉と分け前に関して言い争いになってしまいました。ついカッとなって私が青葉を刃物で脅すと青葉は逃走し、運悪く飛び出した道で車にはねられてしまいました。私は青葉桐人という仲間を殺してしまったのです。彼を失った私には何もできません。今までの悪事、そして青葉を殺害した罪を命を絶つことで償おうと思います。榊田宝石店から盗んだ宝石は、楠鳩中央公園の砂場に昨夜埋めました。返却していただけると幸いです。中松房生』……だってよ」
「ほ、本当ですか警部!」
「もちろんよ小森。早く楠鳩中央公園に向かって宝石を回収しないとね」
◇
「……無かった?」
凪沢警部は目をパチパチさせている。
「は、はい……砂を全部取っ払ってみたのですが、出てきたのは忘れ物と思われるスコップだけで……」
「じゃ、じゃあどこに行ったというのよ!」
凪沢警部は大声で言った。
その後、付近の聞き込みを行った。しかし事件の直後ということで、遊びに来る親子連れが全くおらず、目撃証言がなかった。誰が公園に出入りしたか、それすらも掴めないまま月日は流れていった――




