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死神バーテンダー  作者: 夏乃日芳
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朝日差し込むこの場所で

 当時の自分はいつ思い返しても気恥かしさで顔が火照る。若かったのだ。

 世の中、と言っても今私が見ている『この世』とは一体どれ程の規模をさしているのだろうか。ふと手に持ったマグカップに入ったコーヒーに自分を映す。

 『私だ』。そして椅子に腰掛けているままグルリと体だけを反転させ後ろにある看板に目をやる。作られてから何十年も経っている事が容易にうかがえる程古ぼけているそれがある。『strada(ストラーダ』と書かれた看板は私の視線などお構いなしに夜明けのぼんやりとした街に向かって自己紹介をしている。

「あの名前が悪かったかな」

 などと一人、自慢の顎髭を整えながら少し顔を笑顔に戻しつつ過去を振り返る。今度は自分が腰掛けている椅子やテーブルに目を配る。やや座り心地の悪い固く黒い椅子、真っ白なテーブルは二人分の料理と飲み物を置けばもう他にスペースが無い程にこじんまりとしている。元来自分が置きたかった自慢のイタリア製のそれらは、外に出すと痛みが早くなると言われ、今も店の中で誰かに腰掛けてもらい料理や飲み物を乗せてもらう事を待っている。

 結局外には、安価で購入でき、代用がききやすいからこれが良いと、谷村と名乗る家具メーカーの男に言われた。断る道理も無いので言う通りに購入したのだが、これがまた店のイメージとも離れた、無骨で、相手の配慮などお構いなしに自分が自分である事を主張する。自分は人が座る為にあるのではなく、自分に腰掛けさせる為に人がいるような、そんな強い自己主張、まるで私のようだと思いながらも、あまりいい気はしなかった。そうやって一つ一つ周囲と自分の立場を認識する。

 長年このバーを経営するオーナーである事、店を経営し始めた時に寄り添っていた妻はもう既にこの世を引退し、先に『向こう』で私を待っている事。仕事が終えた後、静まった町並みの夜明けを外に出したこの椅子に腰掛けてコーヒーを飲み、様々な感情を思うがままに馳せさせるのが日課である事。

 ひとしきりいつもの思案を巡らせ、思いつく頭の中の自分のキーワードの連想ゲームを始める。三十を過ぎれば失うと思っていた自分の髪は、色は真っ白にこそなったが未だ健在だ。おまけに若い頃に憧れた立派な髭までついてきている。大金星だなと、世の中の髪の薄い人たちが周りにいない事をいい事にクククと控えめに笑う。

 しかしながら、髪は元気だが、他がそうでもないらしい。このところ体がうまく動かない。『いよいよ私もかな』と以前医者に行ってみたところ、案の定の結果だった。何も動じる事が無かった事は、自分にとっても驚きだった。なんとなく、死ぬというのはもっと怖いものだとばかり思っていたのだが、人間ある程度生きてしまうと生への執着も薄くなるようで、苦しくなければそれでよしとも思っている。

「死ぬ時痛いのは嫌だなぁ」

 そう言いながら再び会いに行ける妻に直接どんな風に文句をつけてやろうか、などと思案し始める。

 まったく、自分だけ若いままで逝ってしまって、隣に立つ自分はこんな年寄りでは格好がつかないではないか、などと妻の墓の前で悪態をつくようになってから、もうどれ程経っているのだろうか。

 あれこれいつものように思いを巡らせては、ニヤニヤと自分の境遇を重ね合わせ、楽しいひと時を過ごす。

 そんな時、ふと大切な約束を思い出した。それは生前妻が話してくれた話だ。

 当時私も妻も若い時分の話なのだそうだが、彼女は以前、私と出会うよりずっと昔に重い病にかかり生死の境を彷徨った事があるらしい。その時に死神に出会った事があると聞いた。死神は人の形をしていて、なんとおかしな事に店をかまえ料理を出してもてなしくれたそうだ。食べたいものはあるか、何か飲みたいものはあるかだとか、彼女はそういったところで臆するどころか、やれあれが欲しいだの、味付けがおかしい、あれもこれも足りないなんぞ散々文句をつけた上でこっち側に帰ってきてしまったそうだ。

 あの時には随分死神さんには迷惑をかけたとかで、次に会えるかどうかも分からない、私が逝く時に会えないかもしれないので、会えたら代わりに謝っておいて欲しいなどとおかしなおねだりをされていた。死んだ先の事なんぞ誰にも分かる事もないが、もし会えるのだとしたら……。

 白髪の老人はいつの間にか目を閉じている。辺りは既に、暖かな日がいたるところに差し込み、この街の人々に朝が来たことを告げていた。

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