③.【 ミノリ 】
■
「で、チュートリアルも何も無しかい。まあいいけどさ……」
ゲームが始まるなり放り出された場所は――どうやら真昼間の森の中のようだった。見渡す限りの木々と深緑。虫や鳥の鳴き声がチチチと朗らかに響き、川のせせらぎなんかも遠目に聞こえてくる。
背凭れにしていた巨木から身体を起こし、腰や背中に着いた土を叩き落とす。
俺はお世辞にも材質が良いとは思えない粗目のバンダナを頭に巻き、何の革で作られたのやら分からない焦げ茶色のジャケットと長ズボンを身に纏っていた。
そして腰には包丁程度のサイズしかない頼りないダガー。抜き放ってみれば、何だか刀身が錆びているような気が……。
ザ・デフォルト装備って感じだ。やられ役の盗賊っぽいよ、確かに……。
(開始地点は村や町だとばかり思っていたんだけどな)
開始地点が森って脈絡が無いにも程があるだろと一人ツッコミを入れつつ、ホログラムインターフェイスを呼び出す。
UBOのゲーム内インターフェイスを見るのは初になるが、基本的な項目についてはどのゲームにおいてもほとんど変わることはない。つまり追加表示されている部分こそがそのゲームにとってのヒントである場合が多いので、プレイ開始直後にインターフェイスを確認しておくのはかなり重要だ。
プレイヤーネームはHARU。
レベルは1。
職業は盗賊。
所持アニムは500――UBOでの通貨だろうか?
とりあえず基本ステータス欄はこれぐらいだな。
「《 カルマラ大森林 》、A-3……?」
表示された現在地名と座標を呟きつつ、次はマップへとインターフェイスを切り替える。
自分を中心とした10メートル前後の円――それ以外の内容は完全に隠されている。未踏破地点の表示はしないということか?
マップには極めて詳細に描かれた地形と、緑色の自キャラクター位置のみがソナー信号と共に表示されていた。動作しているオブジェクトが自分以外に何も無いということは、少なくともNPCやエネミーモンスターはいないと考えて問題ないだろう。
「うーん……」
ストーリー進行上のお約束NPCも、他プレイヤーの姿すらも全く見当たらない。こりゃ骨が折れそうだ……。
やれやれと首を振っていると――マップの中に青色と赤色の小さい点が突如として映り込んだ。
「――――ちょ、ちょ、ちょっと〜っ! だ、誰か助けてぇ〜っ!!」
俺の耳に飛び込んできたのは、紛れも無く少女の悲鳴だった。
ハッとして周囲を見渡すと――現実では到底ありえないサイズの天道虫にもたもたと追われるローブ姿のキャラクターが視界に映る。両方とも移動速度がかなり遅いため、何だかちょっとしたオモシロ劇のようにも見えてしまう。
……もしかして、あれがストーリー進行上のNPCか?
「きゃああああっ!」
キチキチと不快な鳴き声を上げて迫る巨大な虫に、少女は怯えるようにして大きな悲鳴を上げる――NPCにしてはあまりにも自然すぎるその動作に、俺はようやく事情を把握する事が出来た。
あの子はNPCじゃない――プレイヤーだ!
俺は木々の隙間を縫うようにして森の中を駆け抜け、少女と天道虫の間に素早く身体を滑り込ませる。
「あうっ!」
よろめいて転びそうになる少女の身体を片腕で何とか支え切り、そのまま自分の背後へと回す。腰まで伸びた赤い髪がふわりと揺れる。
「あぶねー、ギリギリセーフ……」
きょとんとした表情の少女に小さく笑みを見せ、俺は彼女を追走していた巨大な天道虫に対して向き直った。
やっぱり、デカいなあ……。
今更驚きはしないけれど、このゲームハードに登場してくる怪物や敵は何かとサイズがデカい。そりゃMSW初プレイ時の俺がスライムから尻尾を巻いて逃げ出す筈だ。生き物が苦手なプレイヤーだっているだろうに、ここまで生々しいと流石に殺生なレベルだぜ。
「シィィイイイイ…………」
今にも少女に飛び掛らんばかりだった天道虫は俺の存在に目を丸くして、警戒するようにジリジリと小さく距離を取る。
へえ、中々賢く作られたAIだなと妙な感動をしてしまう。
天道虫の頭上に赤で表示されたエネミーネームはジャイアント・レディーバードLv1――そのまんまだ……。緑色のヒットポイントゲージは従来のアクションゲームでも見た事があるようなインジケーター。この時点ではバトルシステムに大きな違いは見当たらない。
《 ENCOUNT!! 》と戦闘開始を告げる警告文が大きく目前に表示される。
「よし――かかってこい天道虫くん」
ダガーを腰からすらりと抜き放ち、逆の指で天道虫をくいくいと挑発する。
この時点で自らが使用可能なスキルやら何やらは全くの未確認だが――――
「キシャアアアァッ!」
怒声らしき金切り声と共に土埃を巻き上げて突撃してくる天道虫の巨体。
と、その突撃があまりに鈍重でやきもきしたので――俺は自らその巨体へ向かって突っ込んでゆく。「危ないっ!」と制止するような少女の声が聞こえるが、これぐらいじゃ準備運動にもならなさそうだぞ……。
「ふっ!」
激突する寸前で地面を蹴って跳躍し――天道虫の巨大な背中の上にすたんと着地する。急に己の前から姿を消した敵の存在に混乱し、天道虫は不思議そうに周囲の様子を窺っている。
上だ、上。
「ま、最序盤のエネミーモンスターじゃこんなもんだよな……」
少し拍子抜けして苦笑を浮かべつつ――ダガーの刃をその黒い顔面へと向けて深々と突き立てた。
「ギィイイイイッ――!?」
大きな悲鳴を上げながら、天道虫は悶え打つように巨体を捩る。
俺は振り落とされないようにダガーの柄をしっかりと掴むと、両手を使って刃を根元まで思い切り捻じ込んだ。
「キィイイッ……!!」
《 CRITICAL! 》の文字表示と共にジャイアント・レディバードのヒットポイントゲージが一気に赤色に染まり、そのまま緑色の部分を完全に喪失する。
どうやら弱点攻撃のボーナスダメージはこのゲームにも存在しているらしい。別ゲーでの経験がこんなところで活きたなあ……。ついついクセで頭部分を狙ってしまう。
大きな破裂音がバシュンと周囲に響き渡った後――紫色の派手なエフェクトを散らして、天道虫の巨体は跡形も無く消え去った。
【 Exp15を獲得しました。 】
【 ジャイアント・レディバードがアイテムをドロップしました。 】
ナレーションボイスと共に今度は黄色い粒子が自分の中へと吸収されてゆき、インターフェイス内のレベルバーが僅かに伸張する。敵を倒して経験地を入手してレベルアップ。そんな王道レベリングシステムに変わりはないらしい。
「で、アイテムをドロップ、か……」
天道虫の巨大な脚が地面にピクピクと蠢いていた……。
《 PICKUP! 》という表示と矢印がピロピロと脚を指し示している。気持ち悪く思いながらも仕方なく拾い上げ、腰を抜かした状態の少女に向かって歩いてゆく。
「ファーストエンカウントプレイヤーのお前と、ラストアタックプレイヤーの俺にコレの獲得権があるみたいなんだけど…… いる?」
はいと差し出してみると、少女の呆然としていた表情がキッと怒りに変わり、俺の手から天道虫の脚を弾き飛ばした。
地面に投げ出された脚は《 BROKEN! 》と表示してから、粒子状に砕けて跡形も無く消滅してしまう。いやいや、ガラス細工じゃないんだから……。どんな耐久値設定だよ。
「か、勘違いしないでよねっ!! 別にあたし一人でも倒せたんだからっ! ちょ、ちょっと調子が悪かったのと、アイツが想像以上におっきかったってだけで……!」
こうしてキャラクターの容姿を見ている分には中学生ぐらいだろうか?
燃えるように赤い瞳と髪をわなわなと震わせて、少女は悔しそうに言う。
その手に持っているのはオマケ程度のサイズしかない水晶が嵌められた杖。亜麻色の質素なローブと合わせて考えると職業は魔術師か。
「そうか、そりゃお節介な事をしちゃったかな。どうも助けを求めているような声が聞こえたからさ」
頭を掻きながら零すと、少女はうっと後ろめたそうな表情になる。
「……実はあたし、MSWをプレイするのが初めてで――だ、だから、ちょっとだけ助かったわ! ありがとうっ!!」
「怒られてるんだか、感謝されてるんだか……」
「どっちも!」
ふん! とそっぽを向く少女の頭を苦笑しながら撫で、マップに他のエネミーモンスターが映り込んでいないのを横目で確認する。流石にアクティブモンスターが出るようなレベルのエリアでもないだろうし、当面の問題は無いだろう。
「慣れるまでは無茶なソロ狩りは控えた方が良いぞ。ま、俺もこのゲームはズブの素人なんだけど」
「む、無茶なんかしてないっ!」
「そうかいそうかい。とりあえずデッドしない程度に用心しなよってことだ――じゃあな」
ダガーを収めて赤髪の少女に告げると、俺は後ろ手を振って場を後にする。
自らの置かれている理不尽な状況に自然と口元が緩んでしまう。
初心者にとっては不親切極まりないゲームではあるけれど、これぐらい丸投げの方が俺にとってのやり甲斐はありそうだ。
■
(なんでだよ……)
別れの挨拶を交わしたにも関わらず、赤髪の少女は俺の後ろをぴったりと着いて来ていた。ふうと小さく溜め息を吐いて、時たま俺の顔をチラチラと伺ってくる少女に振り向いて言う。
「なあ、狩りの最中じゃなかったのか?」
「……はあ? 何よ、狩りって?」
「モンスターを倒してレベル上げをしてたんじゃないの? ってこと」
俺の質問に、ぶんぶんと手を振って少女は否定した。
「ち、違うわよ! 始まるなりこの森の中にいたから、仕方なく歩き回ってい たらあのでっかい天道虫がいて――それでちょっと魔法を試してみたら、もの すごい追いかけられて……」
「ああいうノンアクティブモンスターは自分から攻撃を仕掛けなければ基本的に無害だよ。一度ダメージを与えたら地の果てまで追いかけてくるけどな」
「ふうん、詳しいのね」
甚く感心した様子の少女に思わず苦笑する。本当にゲーム初心者なんだな。
「ま、それは置いておくとして――お前、どうして俺に着いて来るんだよ? 俺もここら辺のマップなんて全然分からないし、どこかに行こうって決めて進んでるわけじゃないぞ?」
「……お前じゃなくて、ミノリ」
「え?」
「あたしの名前! ミノリっ! 自己紹介してんのっ!」
思わず聞き返す俺に、少女は少し怒ったように言った。
「あ、ああ。俺はハル、よろしく……」
そっぽを向いたままのミノリに差し伸べられた手を握り、軽い握手を交わす。
それにしても、ミノリだって……?
妹と同じ名前なのだが、流石に偶然だよな……。
実はゲームが苦手中の苦手であり、小さい頃に一緒にゲームで遊んでは俺との圧倒的実力差の前にボコボコにされて泣き出すというのが御馴染みのパターンだった。確かMSWも持っていなかった筈だし……。
「――――ハル、ですって?」
そのまさかだった。ミノリが俺の名前を一度繰り返す。
「あんた、やっぱりハル兄なのっ!?」
駆け寄ってきて俺の顔をじいっと見詰めると――ミノリはハッとした様子でその口元を押さえる。
「ちょっとだけ格好良くなってるけど、やっぱり似てるわ……。ねえ、こういうゲームって現実じゃ有り得ないような美男美女に作るものなんじゃないの?」
さっきからやたら顔を気にしているなと思ったらそういうことだったのか……。
リアルの友達と一緒にプレイする予定だから、と情けない理由を説明しようとしたところで、それよりも肝心な事に気付く。
「本当に実だったのか……。いつ買ったんだよ、MSW――お前ってゲーム嫌いじゃなかったっけ?」
「ハル兄相手には対戦したくないってだけだし、別に嫌いじゃないってば。友達にしつこく誘われたから、このゲームと合わせて買ったの」
「そうだったのか。それなら俺がUBOのパッケージ見せた時に言ってくれれば良かったのに……。UBOこそ初めてだけど、俺にだって軽いレクチャーぐらいならできるぞ?」
「だって、上手くなってハル兄を驚かせようと思っ――ふ、ふんっ! あたしの勝手でしょ!」
何かを言い掛けて、ミノリは顔をふいと背けた。
「……ふーん、お前もとうとうMSWデビューかあ。兄ちゃんは嬉しいよ」
感慨深く頷く俺に居心地を悪そうにしながら、ミノリはさっさと行こうと手を引っ張って先を促す。
「あたし、この森キラいだわ。さっさとここから出ようよ、ハル兄」
「出ようっつってもなあ……。俺も本当に始めたばっかりだから位置なんて分からないし――とりあえず遊ぶ約束をしてた友達に連絡してみるよ。もしかしたら先に抜け出して、何処かに辿り着いてるかもしれない」
こくりと頷く不安気なミノリの頭をくしゃと撫で、インターフェイスからフレンドユーザーを開く。UBO内のフレンド機能は未登録だが、単に連絡を取り合う分にはMSW上のグローバルシステムから行えば問題ナシだ。
リアルの時間は18時10分……。流石に二人とも既にログイン済みだった。
KYOUの名前をタッチし、プライベートコールを掛ける。
『――――あ、もしもし? 丁度連絡しようと思ってたところだよ』
「遅れて悪いな、キョウ。今はサキと一緒か?」
『んーん。何だか始まるなり《 ニルナ大砂漠 》ってエリアに転送されちゃったみたいで――もう暑っついわ暑っついわ……』
「砂漠……?」
『えっ? ハル達も《 ニルナ大砂漠 》にいるんじゃないの?』
このゲーム、スタートポイントがランダムに振り分けられているのか?
『とりあえずサキとも合流できてないよ? 人の居そうな場所を探して歩き回ってるんだけど、今のところ出遭うのはサソリ型の雑魚敵ばっかりでもうウンザリ……。ハルは今どこにいるの?』
「《 カルマラ大森林 》ってエリアだ。変だな……、こんなんじゃ待ち合わせの合流すら出来ないぞ。クエストやイベントのNPCすら見当たらないし」
『うーん…… 初期職別にポイントが振り分けられているっていう線はないかなあ? 私は格闘家にしたんだけど』
「キャラ作成の時点では、そんな説明書きは無かった筈だけどな……。とりあえず村か街を探して歩いてみるよ――転送装置が置かれていたら同じエリアに飛んで合流しよう。この様子じゃ死に戻りのセーブポイント復帰も期待できなそうだ」
『うん、了解! じゃあまた後でね、オーバ〜』
「……はいはい、オーバ〜」
続いてサキに連絡してみるとやはり同じような状況に置かれているようで、《 リンドゥルム大瀑布 》という水源エリアへと送り込まれてしまったらしい。
どうやらアクティブモンスターの群れに今の今まで追い掛け回されていたらしく、「困ったよ」と爽やかに苦笑していた。もう無茶苦茶だな……。
「――と、アテは皆無だ。しばらく兄ちゃんと二人旅で我慢できるか?」
「べ、別にいいけど――しょ、しょうがないなあ……。うんうん、しょうがないなあ……」
ミノリは俺の言葉に頷き、気恥ずかしそうにポリポリと頬を掻く。
俺は妹ラバーなので二人旅だろうが全く意に介す事はないのだが、ミノリからするとちょっと気持ち悪く感じてしまうかもしれない。
「あ、でも友達と遊ぶ予定なんだろ?連絡を取ってみて、もしも合流できるのなら――」
「いい。このままハル兄と二人で行く」
「えっ? あ、ああ…… そう……」
さり気なく気を遣ってみた提案に、頑として首を横に振るミノリ。
「UBOがどれぐらいの倍率で設定されてるのか分からないけど――MSWには長時間プレイ防止用の《 疲労値 》ってのが設けられてるんだ。だから疲れもすれば腹も減るし、眠くもなる。俺は慣れっこだから耐えれちゃうけど、ミノリは無理しないで言えよ?」
「うん、よく分かんないけど、分かった」
ミノリは俺と同じく少しくすんだ茶髪&黒目なのだが、UBOでは赤髪&赤瞳という一度見たら絶対に忘れられないようなインパクトの強い姿にしてみたらしい。その攻撃的かつ派手な色に違和感をそこまで感じない辺り、人にとってのイメージカラーってやっぱりあるんだな……。
俺と同様にリアルの友達と会う予定があるからか、髪と瞳の色以外は驚くほどリアルの実の容姿に似ていた――そのガラの悪い三白眼(ちなみにこれは俺も同じだ)だけでも、俺が妹だと判別するための材料にはお釣りが来る。
「ちゃんとエスコートしてよね、ハル兄?」
「はいはい……」
ミノリは何やら不敵な笑顔を見せ、ん、と再び手を差し出してくる。
俺はやれやれと溜め息を吐き、その手をしっかりと握った。何で初めてプレイするゲームで妹のお守りをやってんだ、俺……。
図らずしも兄妹水入らずの状態で、俺達二人はエネミーモンスター達の蠢く《 カルマラ大森林 》を進んでゆく破目になったのだった。
■