#3 β
その頃――占拠されたビルの外では。
通行止めになった道路には、数十台のパトカーが止まっている。数百名の警官が、トランシーバーを握って、各地へ連絡を取っている。
「おい、本当にこのビルは占拠されてるのか?」
「何の変哲もないが……」
ビルの入口に通じる茂みに囲まれた通路を、2人の警官が歩いてくる。警視庁きっての名警部、朝田康哉と神田了である。
「連絡をしてきたのは、尾田三郎だ。声も、確かにそうだった。間違いない」
と、2人の間から顔を覗かせたのは、2人の上司、陣内だ。
この3人は、警視庁の中では名トリオと呼ばれていた。この3人だけで解決した事件は数知れず。犯罪者たちに問いをかけたら、10人中9人は知っていると答えるほどの、有名人たちだった。
「えっ、尾田三郎……あの、私立探偵の、ですか?」
ぎょっとした顔を見せたのは、朝田だ。
「そうだ。あの、尾田三郎だ」
「尾田か……。俺はアイツのこと、何か嫌いなんすよねえ。雰囲気が悪いっつーか……。いくら陣内さんの親友だからって言っても、あいつだけは好きになれませんよ」
と、神田は、ヘドが出るような顔をして言った。陣内は、それを見て「ハァ……」とため息をつく。
「……お前ら、子供か。好き嫌いどうのこうのは関係なしに、あいつの腕は確かだ。恐らく、俺らよりもキれる……」
「はぁ……そうすかねえ……」
そのとき、後ろから、「陣内さん!!」と叫ぶ声がした。呼ばれたのは陣内だけなのに、反射的に朝田と神田も振り向いてしまう。
後ろから走ってきたのは、朝田たちの同僚、河野だった。刑事課のブレインという異名を持つ、完全なるデジタル人間である。
「ちょ、ちょっと来てください!!」
河野が連れてきたのは、警察の特殊車両だった。中には、ハイスペックのPCや、小型TVなどが大量に設置されていて、事件の手がかりとして手に入れたディスクなどをすぐ観るために役立つ。この車両が、仮設の捜査本部になることももっぱらだった。
「ちょっ、ちょっと、こ、これ観てください!!」
「あァ~~~ん?」
河野は、小型TVの電源スイッチを押した。画面に光が入る。TVでは、大桐建設のCMをやっていた。
「これが、どうしたっていうんだよ」
朝田が、不服そうな顔で言う。だが、河野は、そんなの構っていられないと言うように、食い入るように画面を見つめている。だが、CMはいつも通り、ただ淡々と進むだけだ。
「ほら、何にもないじゃんか……」
と、言いかけたところで、朝田は絶句した。大桐建設のCMをやっていたはずのTVの画面が、急に乱れたのだ。深夜にTVを点けたときのように、ザザザと不快なノイズを撒き散らして、砂嵐が画面の中で起こっている。やがてそれは、ガスマスクをつけ、機関銃を持った、いかつい体つきの男の画像に変わった。男の周りには、同じような格好をし、同じように機銃を持った男が数名いる。
「な、なんだこれは……」
「……このビルの中じゃないか」
と、河野が張り詰めた顔で言う。
「はァ?」
「つまり、このビルの中からの映像……」
「じゃ、コイツらテロリストか!?」
朝田がそう叫ぶ。だが、それを河野が、唇の前に人差し指を持っていって、「シッ」と言って制した。
すると、画面のガスマスクの男が、口を開いたのだ。
『ア゛ー、ア゛ー、聞こえてるかな、警察諸君。毎日お勤めご苦労。我々の名は“β”。わたしの名は“数”だ。よろしく頼むよ』
「β……数……」
と、河野がブツブツと呟く。
『突然だが、我々は、君たちのすぐ横――大桐建設本社ビルを占拠した。本当なら、なるべく君たちには気づかれないようにコトを進めようと思っていたのだがね……。1人の勇敢なお邪魔虫によって、その計画も水の泡と化した』
「尾田のことだ……」
と、画面を食い入るように見つめながら陣内が呟く。
ガスマスク男の話は続く。
『というわけで、堂々と要求をしたいと思う。人質たちの命が惜しければ、残り1時間で10億円を用意しろ。繰り返す。残り1時間で、10億円を用意しろ。午前1時を1秒でも過ぎたならば、ここにいる人質諸君を1人ずつ永遠の眠りにつかせてゆく』
男がそう言うと、後ろにいる人質たちからヒィーッという悲鳴が上がる。その言葉を放った者たちを、男たちが「静かにしろォ!!!」と蹴り飛ばして、静かにする。
『ちなみに、この人質たちの中には――』
人質たちの中から、2人が引っ張られて、画面の前に突き出される。まさに、その顔は――。
「あっ、足立さんと谷町さん!!」
そう、神田が叫んだ。そう、その顔は、足立仁と谷町警部に、他ならなかったのだ。
足立仁は、この町で谷町警部に次ぐ名警部と言われていた。だが、本当は谷町警部を遥かに凌いで、この町で尾田三郎に次ぐ№2のキレ者だった。ほとんど直感で捜査を進め、そしてその直感が外れたことはない。今までに逮捕した人数は、100人を容易く超えるとも言われていた。
『分かったな。1時間以内に、10億円を用意しろ。臨時放送を終わる』
ガスマスク男がそう言うと、画面はスパッと切り替わり、現在やっているバラエティ番組に戻った。
「電波ジャックか……? しかも、このビルの中から」
朝田は、そう呟く。そして、手をアゴの下に持っていく。これは、朝田が考え込むときの癖だった。
「相当、馬鹿でかい組織には違いない」
と、神田は言った。すると、ハッと、何かに気づいたような顔になった。それに気づいた陣内は、神田に問うた。
「何か、気づいたのか?」
「はい。アイツらは、なぜ、あの2人が警察であることを知っていたんですか?」
神田がそう言うと、朝田もハッとした顔になった。朝田も、それに続く。
「そうだ。警察だとバレない方が、後々都合がいいし、あの2人が自分から警察だと言うはずがない。すると犯人は……」
「足立さんと谷町さんの顔を、知っていた人物、ということになる」
神田がそう言うと、陣内は、周りの警官に指示を出した。
「大至急、足立と谷町に逮捕された犯罪者のリストを持って来い!! 警察内部で、怪しそうな人間も、リスト化して持ってくるんだ!! 急げ!!」
その様子を見ていた河野は、舌なめずりをして、楽しそうにこう呟くのだった。
「さァ~、新展開だ」