おわりに
おわりに
木の椅子に腰かけます。
何かが重くのしかかります。
風が吹かねば呼吸ができないのでございます
闇の中にしか何も見い出せないのです。
真実の世界とはどれであったのか……生と死の境はどこだったのか……。
命のつながりは何を求めているのか……いかに近寄ろうともがいても塵と消えていきます。
随分と離れた場所に私は迷い込んでしまったようでございます。
ふと思い出すことがありました。
あの日、私たち夫婦の運命が大きく変転を遂げることになった二千十六年九月三十日。
なぜ学校に無理を言って有給を取り、層雲峡の宿に二泊三日することになったのか……。
あれは妻の要望でした。
何かのサイトの抽選に当たったか、どこぞからの招待状が届いたのか……妻はとても喜んで、私の帰宅を待って私の顔を見るや一目散に告げに来たものです。
そうでございました。
あれはたしか国民全員が血液検査を義務付けられ、全国一斉検査が行われた二十日後のことで、夫婦共に異常なしと記載された書面の通知が届いたのとちょうど同じ日だったと記憶しております。
愚痴など言うものですか。
例え仕組まれた運命であったとしても私たちは懸命に生き、信念を貫いたのですから。
世界の人口は大きく激減し、人の住める区域は極端に狭まりました。
しかし地球の寿命はそれに反比例して確実に伸長し、自然環境はギリギリのラインを維持し、人間以外の多くの種の動物たちが絶滅の危機を脱したのでございます。
これで食物連鎖のピラミッドは適正値になったのかもしれません。
人災であれ天災であれ人類の文明は著しく後退しました。
しかし後悔も愚痴もありません。
人類に代わって私がそう宣言致します。
ノアの箱舟の時代から人間は亡びては再生し、滅びては再建してきました。
常に欲望と信念に従い懸命に生きてきたのでございます。
それが人間なのでございます。
実に弱く、強く、不思議な、奇跡の種ではありませんか。
百年という短い時の中であらゆる種のエネルギーを食らいつくし、その身を燃やし続け、やがて笑って燃え尽きるのでございます。
私も妻も正真正銘、人間でございました。
その身が変わっても、妻は最後まで人間でございました。
そのことに何ら悔いも恨みもございません。
あの日、妻が種子となった日、F一年五月三十一日。
私は妻を背負い、知床を後にしました。
風が吹くたびに妻の身体は崩れ、肉片が風に流されます。
周囲を囲う数百を超える獣たちも私の様子を窺いながらゆっくりと歩みを進めていきます。
私の後には数千を超えるゾンビたちが三列になって綺麗に従って歩きます。
33550336に分れた妻の肉片が知床から大雪山までの道のりに撒かれました。
私はその内の三粒ほどを大雪山黒岳の山頂に植え、そこに小屋を作りその成長を見守ることにしたのでございます。
手の内に残ったのは妻の結婚指輪だけでした。
指が太くなったと一度は切って作り直したいわくつきの指輪でございます。
これだけが人間として過ごした時代の唯一の形見。
私が命をかけて守りたかったものの象徴。
しかし、妻はそれを捨て、己の亡びと引き換えに新しいものを作ろうとしました。
新しい命。
私はそんな妻の信念をこの命の続く限り見守っていく所存でございます。
大雪山には妻の跡を追って多くのゾンビたちが集まりました。
その数五十万とも百万とも呼ばれております。
そしてそれを餌とする獣たちも数多く麓に縄張りを作りました。
妻の種子から生まれた新種は生まれながらにしてニオであり、植物としての光合成の能力を持ちながら、人間の学習能力、知識を有しておりました。
その多くが北海道全域に散らばりそれぞれの縄張りを敷いたと言われています。
おそらくその中にはさらにゾンビとの受粉を果たし、種子となったものもいるのでしょう。
このニオたちはやがて隠し言葉を捨て「鬼」と呼ばれ、北海道の地は「鬼ヶ島」と呼ばれるに至ります。
過酷な自然環境の中、獣たちとゾンビたち、そしてニオたちの縄張り争い、食う者と食われる者の戦いが続きます。
こうして鬼ヶ島はこの後長期間、人跡不踏の絶界として人間たちに恐れられることとなるのでございます。
私が植えた三粒の種も大きく育ち、ニオとなりました。
それに私は言葉を教え、人間の道徳を教え、文明を教えました。
そして母の愛を毎日語って聞かせたのでございます。
この三人の子たちがこの後の人類のそれぞれの時代に大きな影響を与えていくことになるのですが、それはまた別の機会にさせていただきます。
一人は女性のような身体を持ち、二人は男性のような身体を持っていました。
長女、長男、次男。
どの子にも妻の面影がございました。
特に長女は瓜二つです。タバコが好きで、どう注意しても頑として譲らないところなどそっくりでございます。
妻がその立派に育った姿を見たら泣いて喜んだことでございましょう。
私が死んであの世で妻に会うときには随分とたくさんのお土産話ができたものです。
「ゾンビ攻め」の成果により新政府が崩壊した後、マシガニオのメンバーと新政府から寝返ったメンバーで新しい国造りが始まりました。
しかし、大久保崇広は残党の手であえなく暗殺され、知床の地もロシアからの攻撃を受けて壊滅。
残った西郷成宏、陸奥忠信などは私の庇護を受けるべく大雪山の麓に拠点を移し、国家再建の画策を再考するのですが、時を同じくしてロシアと手を結び旧東京で旗揚げした「大和帝国」が台頭。旧本州の地域から徐々にゾンビを駆逐し人間の居住区を広げていきました。
ちなみに大和帝国の初代皇帝は沖田勝郎。
私と共に戦った沖田春香の父親にして、マシガニオの創立者でございます。
これを聞いて納得のいかぬ方も多数おいででしょうが、政治とはそのような得体の知れぬものなのでございます。
この鬼ヶ島にはゾンビと獣たちの他にニオと和人たちが住んでいるのですが、大和帝国の人間たちはゾンビもニオも和人も一括りに「鬼」と呼んでいる節がございます。
大和帝国悲願の「鬼ヶ島の鬼退治」のお話もいずれしなければなりませんね。 あれはたしかF十二年だったかと思います。
私自身思い出したくない悲劇でございました。
私、山岡朝洋はこうして巻の始めに記したように、「鬼ヶ島」初代総統にして、Z統括としてこの地を治めるようになったのでございます。
まあ、実際、あれこれ動いたり戦ったり交渉しているのは三人の子どもたちなのでございますが……。
私は、眺めていることに致します。
高みの見物というわけではございません。
導くべき道は示していくつもりでございます。
歴史は人類の行く末の最も貴重なバイブルとなることでしょう。
希望の虹が再び架かることを願って私は記していきたいと思います。
この愛しい人類とニオたちの将来を。
妻の決意と信念がどのような運命を辿っていくのか。
私はそれを見届けるのでございます。
死して再び妻に会うまでは……。
【外伝 完】
外伝終了
本伝はF.C.88年 「一族よ 深淵たれ」から始まります。
カテゴリーはファンタジーです。




