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4章 終幕

第4章 死霊所しれとこ潜入編   終幕


 あれから四百年が過ぎました……。


 あれ、というのも、北海道の知床しれとこに誕生した新政府が「ゾンビ攻め」によって壊滅したお話のことでございます。

 すべてが終了し、そして始まった日。


 光陰矢の如し、などという言葉がございますが、いやはや永い永い月日でございました。

 重く苦しい日々。

 呼吸を止めて生きてきたような四百年。


 当時の独立組織「マシガニオ」のメンバーのなかで未だに浮世に未練たらしくしがみついているのは私、山岡朝洋やまおか ともひろぐらいなものでございます。

 お恥ずかしい限りですが、生き続けなければならない理由があるのです。

 見守り続けなければならない使命があるのでございます。


 この四百年の間、歴史を揺るがす大改革、大事件は数多くございました。


 眩いばかりの光を放った英雄英傑も数知れず。

 その度に人類は劇的な変貌を遂げ、思いもよらぬ進化の道を辿ってきたのでございます。


 闇の中から見ると、人間たちは実に生き生きと活気に溢れております。

 当時の私も同様だったのでございましょうか……。


 

 あの日、F一年五月三十一日 早朝


 八百mの高さから飛び降りた私たちは、深海へと沈んでいくようにゆっくりと地下へと下りていきました。

 不思議な心地がいたします。

 何もかもが夢のように感じられました。私は夢見心地のまま、妻の冷たい手を握り、落ちていったのでございます。

 妻は落ちていく先を一点だけじっと眺めております。私にはそれが妻の強い決意の現れのように感じられました。それが原因で、地下に近づくにしたがって酔いしれていた開放感が妙な不安感へと変わっていったのでございます。


 途中、何者かが物凄いスピードで私たちの横をすり抜け落下していきました。 最深部に到着し、ぐちゃぐちゃになった遺骸を確認してそれが坂本祥子さかもと しょうこのものであるのことを知りました。手を滑らせたのか、それともゾンビに襲われたのか、この時の私に知る由もありません。


 到着した先の扉は開いておりました。光に導かれるように私たちは進みます。途端に重力が戻って参りました。


 そこは学校の体育館のように広い空間でございました。

 誰もおりません。

 天井は高く、十五mほどはあったでしょうか、そこにびっしりと備えられた照明がこちらを照らしております。妻の肩に乗る猿のヒコもあまりの眩しさに両手で目を塞いでいます。


 三十m先にあるドアが開きました。

 まるで私たちを手招いているようです。


 「新政府の首脳陣が使用する緊急避難場所じゃ。この先は官邸に繋がっておる。早く進め。そろそろ後ろのゾンビどももここに到着するじゃろう」


 私の足にしがみついてここまで下りてきた大久保崇広おおくぼ たかひろは、そう言って先に進むことを促しました。

 気が付くと自力で下りてきた西郷成宏さいごう しげひろ陸奥忠信むつ ただのぶ朱雀すざく桂剛志かつら つよしらの姿もありました。

 しきりにシャフト内の闇の中を覗いております。


 やや時間を空けてから斎藤勘次郎さいとう かんじろうが現れました。顔面は蒼白で、異常なほど全身を震わせております。

 

 ただ一言だけ、

 

 「来るぞ」


 その声を聞くやいなや大久保翁が猛然と走り出します。

 朱雀、西郷、陸奥、桂がその後に続きます。


 「行け!早く行け!」


 斎藤に急かされ、私は妻を背負い駆けます。

 そう言えば、昔、層雲峡そううんきょうの宿泊先でもこんな場面があったなと思い出しました。

 妻を背に、あの頃は何もわからずただ闇雲に逃げ回っていただけでございました。

 いや、今もその状況に大きな差は無かったかもしれませんね。まったく変わらないのは、妻の身を守りたいという思いだけでございました。


 不意に背後から恐ろしいほど大きな歓声が聞こえて参りました。

 そして喜び勇んで駆けだす足音。

 地響きのようにホールを揺らします。

 やつらが到着したのです。


 斎藤と共に扉を抜けると陸奥たちが待ち構えており、急いで扉を閉めます。

 立て続けに何かが衝突する音。

 骨が折れ、ひしゃげる音。扉もまた悲鳴をあげておりました。すぐにでも破られそうです。


 「ここの連中もそろそろ異変に気づくだろう。急がなければ封鎖されるぞ」


 そう陸奥がえると桂が頷き、陣頭に立って先を急ぎます。


 ここは新政府の中心部。

 持ち得る兵力のほぼすべてを前線に送り出していた新政府は完全に虚を突かれた形でございました。

 平時は常に閉ざされているはずの扉が、内応している「壬生狼みぶろ」の一団の手によって開かれております。

 一時は首脳陣にスパイ容疑をかけられ窮地に立った壬生狼でしたが、大久保の策略により、無関係な一般市民千人以上を内通者として始末することでその疑いを晴らしておりました。


 遮るものなく私たちは一陣の風のように敵の本陣に迫っておりました。

 その背後に控えるのは受粉のため高ぶっているゾンビ約一万。エレベーターシャフトから絶え間なく流れ込み、一筋の激流となって向かって参ります。


 大久保の策は成功したのです。

 時間をかけで環境と人脈を整え、チャンスと見るや迷いなくすべてを捨てて踏み込んでいった大久保の策「ゾンビ攻め」。


 新政府は内側からあっけなく崩壊し、地下都市は一瞬で占拠されました。


 外側に暮らしている者ほど、ここから逃げる時間がありましたから人的な被害はほとんど無かったと思います。

 私たちと銃撃戦を繰り広げていた官邸を守る幾分かの兵力も、一万のゾンビが侵入した事実を知ると武器を捨てて逃げ出しました。


 無血開城。


 そう呼ぶに相応しい圧倒的な勝利でございました。


 こうして日本国の総力をあげて造られ、地下都市として地上のゾンビから隔離された状態で栄華を誇った新国家は、一瞬にして壊滅したのでございます。

 百万人の住民のほとんどは知床を脱出し、各地に隠れ住むこととなりました。

 そしてゾンビの脅威に怯えながら暮らし、餌として捕獲され、その数を激減させていったのです。

 兵器を有する一部の軍人たちはそのままマシガニオに投降。

 投降を潔しとしない者たちは新しい組織を作ってマシガニオに抵抗を始めました。これが後の「大和帝国」でございます。


 一万のゾンビの巣窟と化した知床の地下都市は「死霊所しれとこ」と恐れられ、誰ひとり近寄る者はいなかったと聞きます。


 まあ、それら全てが私にはどうでもいいことでございました。


 あの日が私の記憶に強烈に刷り込まれることになったのはまるで別のお話です。


 「トモ……お別れだね。」


 私の背に顔を埋めながら、妻が小さくそう言いました。


 そこは屋外の広場のような場所でございました。

 飾り物の人工物らしい花が足元に植えてありました。


 「何を言ってるの。充分逃げ切れるよ。今までもそうだったでしょうが」


 私は極力明るくそう答えました。

 会話の先も将来のことも何もイメージしていないのに、なぜか涙が込み上げてきました。

 私は妻の決意をはっきりとわかっていたのです。

 ただ受け入れたくなかっただけだったのだと思います。

 考えたくもなかった……。


 「私、産むよ……トモ」


 恐れていた言葉。


 この四百年、何千回、何万回、何億回も繰り返し繰り返し私の耳の奥に鳴り響く言葉。


 永遠の別れの言葉。


 「冗談でしょ。まさかと思うけどゾンビのこと言ってるわけじゃないよね。あれは産むってのとは違うんじゃないかい。分裂するんだよ……体の細胞が分裂してたくさんのゾンビになるだけ。産むっていうのとは違うんじゃないかい」


 「かい、かい、言っちょ」


 「言ってないよ」


 「言ってるし。北海道弁は嫌だっていつも言ってるら」


 「ゴメン……」


 「トモ、ひとりで大丈夫け?」


 「無理。アヤちゃんがいないと無理」


 「いつかはどうせどちらかが先に死んでひとりぼっちになるら。いつも言ってるよね、私の方が先に死ぬからねって。嫌だもん。ひとりで生きていくなんて」


 「まだ当分先の話でしょうが」


 「聞けし」


 「何を」


 「子どもほしいんだ……。私が生きてきたっていう証」


 「だから。違うでしょ。あれはそうじゃない」


 「本当はトモとの子どもが欲しかったけど……無理だった……ね。残念」


 「まだ……まだわかんないよー。これからってこともあるし。高齢出産なんて今じゃ当たり前でしょ」


 「無理しちょ。いいよ。これはこれで、ふたりだけの世界で楽しめたし。トモも楽しかったら?」


 「もちろん。子どもいたら相当夫婦喧嘩してたんじゃないかい。それで離婚とかになっていたかもね」


 「ほら、かいって言った」


 「言ってないし……」


 「トモ……ここでお別れしよう。もう逃げ切れない」


 「絶対に嫌だ。こっちからまた地上に抜ければいい。どこまででも逃げてやるさ。大丈夫。少なくともあと四十年は一緒に居られるよ。よぼよぼの爺ちゃん婆ちゃんになるまでね」


 「……ありがと……ねえ、最後にあれ、言ってよ」


 「あれ?何、あれって」


 「愛してるって。昔はよく言ってくれたら。結婚する前は毎日言ってくれた。今じゃまったくだけど」


 「これを切り抜けたら言うよ」


 「今、言えし。じゃないと降りる」


 「わかったよ……やっぱり今は無理でしょ。ヒコも聞いてるし」


 「早くしろし!愛してないの?」


 「言わなくても伝わるんじゃないのかい」


 「ウウン、伝わんない。言わなきゃ伝わんない」


 「わかったよ……愛してる……」


 「え!?聞こえない」


 「もう……愛してる!!!!アヤちゃんのこと愛してる!!!!」


 妻がギュッと私のシャツの背中の部分を握りしめました。


 「……トモ、私もだよ。ありがとう。私がいなくなっても、再婚なんてやめてね。お願いだよ」


 妻がそう呟き、ヒコを残して私の背から転げ落ちました。

 私は慌てて引き返します。

 ゾンビの群れが大波となって押し寄せて妻を飲み込みました。

 後続がどんどんとそこに群がります。

 対ゾンビ用に開発されたヒコもさすがにその圧倒的な数を前にして怯えて悲鳴をあげました。


 もちろん私も絶叫していたと思います。


 悲しみに胸を押しつぶされ、声にならない声をあげて……。




 そして私は、永遠にひとりになりました。


 


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