第14話
維新の巻 第14話
斎藤勘次郎
ゾンビ攻めの佳境に至ると方々で混乱が生じ、後世に残った記録も内容がバラバラである。
例えば、マシガニオ一番隊隊長の沖田春香の詳細。
首都突入まで生きていたという話を掲載しているものもあれば、突入半ばで命を落としたとするものもある。
現場にいた人間たちも生き残った者は大抵記憶が混乱していた。
落城の際に沖田春香を見たと言う人間がいれば、その証言をもとに綴られた書がそうあって然るべきである。
そう考えると信憑性に乏しい。
誰が生きていて、誰が死んだのか、当人たちもよくわかっていない状況だったのだから仕方がない。
生き残った人間は新しい国家に英雄として迎え入れられ、それまでの経緯を詳しく語り、列伝として残された。こちらはある程度信用できる内容だと思われる。
死んだ人間も裏列伝として記録を集めて編集されているが、曖昧な点が多い。
そのなかで斎藤勘次郎のものだけはどうも異質である。
斎藤はゾンビ攻めの際に生き残った。
これはまぎれもない事実である。
しかし、その後の足取りは不明。新しい国家の役職には就いていない。表舞台からは完全に消えている。
よって生き残ったにも関わらず、裏列伝として彼の活躍は記されることとなった。
殿を務める沖田春香や朱雀に比べて、先陣を任された斎藤勘次郎、西郷成宏、陸奥忠信の三名は無人の荒野を進むかのように妨げるものも無く前進することができた。
敵側の防備は皆無。
新政府の首脳陣以外はその存在すら知らない最高機密の抜け道だから備えようもなかったのだろう。
随分と楽な役回りだなと斎藤はほくそ笑んでいたが、中軍や殿と距離をとり過ぎるわけにもいかない。小走りぐらいのスピードで進んでいく。
しばらく進むと、背後で銃声が聞こえた。
西郷と斎藤はその銃声が坂本祥子のものであることにいち早く気づいていた。
かと言って中軍が襲われたとは思ってはいない。
彼女の性格上、殿の手助けに向かうことは時間の問題だった。
この作戦では殿が最も危険で最も重要な役割を担っている。だから坂本が向かう。
必ず向かうだろうと西郷と斎藤は予感していた。
好戦的な性格で、尚且つ責任感も人一倍ある。中軍で日和見しているような立場など坂本は納得しないだろう。
しかし、それ以上に彼女が最後尾に回るのには理由がある。
それは、そこに沖田春香がいることだった。
坂本に惚れている西郷と斎藤には実に由々しき事実である。
坂本祥子は沖田春香に惹かれていた。
本人自身がそれに気が付いていない様子であったが、日頃の言動を見ていれば男と女の機微をわかる者にはわかる。
過剰すぎるほど坂本は沖田を意識していた。
沖田の方もそれを察している節がある。あの沖田にしては珍しい反応だった。
しかし二人は未だにくっつく素振は無い。
西郷も斎藤も坂本と肉体関係を結んだのは一度だけである。その後は何度誘っても態よく断られた。
術中にはまってしまったと言えばそれまでだが、斎藤は坂本に夢中になった。
彼女に認められるべく手足のように働いた。
今日を生き延びることで精一杯の世界のなかで、ここまで情熱的に任務に従事し生きてこられたのは彼女の存在があればこそであった。
斎藤にとって坂本は信仰の対象というべきものであり、彼の世界のすべてとも言えた。
しかし恋のライバルは多い。
同じ部隊内だけでも西郷成宏の他、坂本に首を獲られた岡田駿などがいた。
だれもが彼女のためならば命を捨てる覚悟であった。
「銃声がしたということは、沖田は抜かれたか……。こんなに早く突破されるとは……どうする?後ろに援軍に回るか?」
何も知らない陸奥は唸りながらそう言った。
「いえ。前進を急ぎましょう。沖田くんはまだ堪えてますよ。きっと……。女神がついていますからそう容易くは抜かれないはずです」
西郷がそう答えて進軍を速めた。陸奥は腑に落ちない表情で、
「あの朱雀とかいう小娘が女神?まあ、ガキの沖田には丁度いい相手か……」
斎藤にとって西郷は目の上のたん瘤であった。
坂本からの信任も厚く、彼女直々の推薦で十番隊隊長となった。
今回の誘拐劇も西郷は協力者として常に身近にいたようであるが、斎藤は事態の真相すら知らなかった。
常に傍にいるということはどういうことなのか、考えれば考えるほど斎藤の妄想は掻き立てられ、平常心を失いそうになる。
斎藤の目的は日本の改革でも和人たちの安全の確保でもない。
坂本祥子を独占することだけであったからだ。
しきりに聞こえていた銃声が止んだ。
なぜか最後は単発だった。
そこからは無音。
銃声も悲鳴も聞こえてはこない。
「何があったのかわかりゃしねえ。そもそも先陣と中軍を分ける必要があるのか?一緒に進む方が安全だろう」
吐き捨てるように陸奥が言うと、西郷が冷静に、
「分ける必要があるんですよ。そろそろです」
「そろそろ?何がそろそろだ。到着にはまだ時間がかかるはずだぞ」
「お迎えですよ。お・む・か・え。礼儀正しくお願いしますよ陸奥さん」
と、前方にライトの光。
陸奥と斎藤が銃を構えて警戒する。
「撃っては駄目です。味方ですから」
西郷がそう諌めた。陸奥がギロリと陸奥を睨みつけ、
「誰だ?なぜここにいる?」
「まあ、先客ですね。我々より先にここに突入して露払いしておいてくれたんですよ」
「露払い?」
「ええ。そりゃ罠の一つや二つありますよ。それをはずしておいてもらったんです」
「誰に?」
「桂さんですよ」
「桂……『青面獣』の桂剛志か……やはりこちら側だったのか」
やがてライト持った一人の男が前方に現れた。
がっしりとした体格に東南アジア風の顔だち。
新政府の軍事顧問を務める桂であった。
坂本誘拐にも協力していたと聞いた。
「他のメンバーは?」
桂が端的に質問すると、
「まだ後ろです。妊婦の女性を抱えながらですからゆっくりなんですよ」
西郷が失笑気味にそう答えた。
「春香は?春香はどうした」
「殿ですよ。当然でしょ」
桂にとって沖田春香は上司の息子という以上に、弟のように可愛がってきた相手であった。
軍事作戦レインボーでも六六六地区で一緒に任務にあたっている。
「それより罠はすべて解除できたのですか?一刻も早く地下都市に到着しなければ」
そんな西郷の言葉に桂は首を振った。
「解除できない罠がひとつだけある。ゴール寸前のところだ」
「どんな罠ですか?」
「爆薬の類だろう。下手するとこの隠し通路自体が崩壊しかねない」
「最悪ですね……しかし手をこまねいていても仕方ありません。とりあえず進みましょう」
後方の銃声が激しくなってきた。
おそらく中軍に敵が食いついてきたのだろう。
果たして沖田春香と坂本祥子はどうなったのか……気が気でならない斎藤であった。
「これが最後の関門だ」
桂が不愛想にそう言うと、全員がその前で立ち止まった。
目の前には小さな両開きのドアがひとつ。
誰が見てもそれが地下に進むエレベーターであることは認識できた。
「これが罠なのですか?」
西郷の言葉に桂は頷く。
「上り専用のエレベーターだ。許可なく動かそうとすると爆発する仕組みだ」
「どのくらい降りるのです?」
「八百mだな」
それを聞いて陸奥が舌打ちした。
「シャフト内を手足使って降りるしかないな。運動不足で身体が鈍ってきたところだからちょうどいい運動になる」
「しかし、中軍のメンバーには厳しいですね。大久保さんは高齢ですし、山岡さんの奥さんもとても動けない。ゾンビたちにしても八百m落下して動き回れるとは思えない。ゾンビ攻めは断念ということになりますね」
そう言って西郷は苦笑いを浮かべた。
しかし、大久保はこのエレベーターの存在を知っていたはずだ。知っていてゾンビ攻めを敢行した。であれば何かしらの打開策があるのだろう。そしてこの打開のために先陣を向かわせた。
「桂さん、何か手はありますか?」
「ロープレスのリニアモーター式だ。爆薬さえ解除してしまえば、かごだけで単独操作は可能になる。それには爆薬解除の役、八百m降りてかごに乗り込む役、それまでここで敵を食い止める役が必要になる」
「時間は……どのくらいかかるんです」
「ざっと一時間。手間取ると二時間はかかる」
絶望的な数字であった。
中軍は数分で追いついてくるだろう。
尋常ではない数のゾンビを引き連れて……。
「何か手があるはずです。何か……」
西郷は題目のようにそう唱えてみるが何もひらめかない。
「これ以上進めないのは計算のうちなんじゃないのか」
ここまで押し黙ってきた斎藤が口を開いた。
この時、誰もが同じことを考えていた。
脳裏をよぎったのは大久保の平気で部下を使い捨てる性分。今回もそうなのかもしれない。
かつて蜀の諸葛亮孔明は味方の大将である魏延諸共敵陣を焼き尽くそうとする策を巡らせたという。
そして今、この舞台には今孔明と呼ばれる大久保と、その大久保に魏延と呼ばれた西郷。
「いや、ここで足止めさせても何一つメリットは無い。ゾンビの足もここで止まることになるのです。ゾンビ攻めはあの老人に悲願。必ず何か策があるはず」
「ではなぜあの場でこのことを伝えなかった。なぜその対処法を伝えない。あのクソジジイめ!!」
怒りに任せて陸奥がドアを蹴りつけた。
背後から聞こえてくる銃声はかなり近づいてきていた。
ゾンビの唸り声も薄ら聞こえてくるようになった。
時間はもうない。
「シャフトを降りるしかない。急げ」
桂がそう言ってドアを力任せに開き、西郷や陸奥を招き入れた。
「俺は中軍が到着するまで残る」
斎藤がそう答えると、桂は頷いてからシャフトに消えた。
開かれたドアからシャフトを覗き込んでみると漆黒の闇がどこまでも続いていた。この先に目的地があるのだが、斎藤には地獄に通じる穴にしか見えなかった。
数分後、中軍が到着した。
全員が駆けに駆けて疲れ果てている。
とてもはしごを伝って八百mも降りられる体力は残っていないと思われた。
「フン。魏延らは先に降りたか。よしよし。それではわしらの番じゃの」
ずれた眼鏡を掛け直しながら大久保がそう言うと、山岡夫婦を手招きする。
山岡朝洋は妻を背負ってここまで走ってきた。
全身は汗だく。精根尽きた表情で肩で息をしていた。
「よしよし、ではここから飛び降りよ」
大久保の言葉に全員が唖然とした。
八百mの高さがあるのだ。正気の沙汰とは思えない。
「よいから飛べ。安心せ。このエレベーターの開発には勝というゾンビおたくも係わっておってな、シャフト内の磁力とゾンビの発生する磁力が反応する仕組みになっておる。まるで水の中に沈んでいくようにゆっくりと落下していくはずじゃ。二人分の抵抗力ならばわしとヒコが掴っておっても問題あるまい。さて、行くぞ」
そう言うと山岡の手を引っ張ってシャフトに引きずり込んだ。
悲鳴とともに闇に飲み込まれていく。
取り残されたのは坂本祥子と斎藤。
向かってくるゾンビの群れに銃撃を浴びせた。
「行け、祥子。ここは俺が受け持つ」
斎藤の言葉。
坂本は左手に持っていた刀を斎藤に渡し、その頬に優しく口づけをした。
ゾンビの悪臭のなかで坂本の香りが斎藤の鼻孔をくすぐる。
「あなたにあげるわ。私にはもう必要ない。ここはよろしくね」
受け取った刀は菊一文字であった。
鞘はない。
刃には脂ひとつ浮かんでいなかった。
沖田春香の遺物だと直感した。
その瞬間に斎藤のなかで何かが音をたて切れた。
嫉妬、独占欲、憎しみ、悲しみ……。
エレベーターシャフト内のはしごを降りようとこちらを向いた坂本祥子の額目がけて斎藤は刀を振った。
頭蓋骨が割れる手ごたえ。
返す刀で首を斬る。
白く細い首。
あの夜、何度も吸った肌だった。
坂本祥子は闇に消えた。




