第11話
維新の巻 第11話
坂本翔子②
坂本祥子を独立組織「マシガニオ」の実働部隊の中心人物とする見方は、現在では固定化されつつある。
表舞台に立つ維新の志士たちの多くが彼女を通じて繋がっていたことを鑑みると見当はずれとは言えないだろう。
強固な意志に支えられた行動力、統率力はマシガニオの中でも際立っていたことは明白である。
「坂本」の姓は数百年経った今でも開闢の祖として庶民に敬われている。
しかし「神楽」や「伊達」の姓に比べて幾分大人しい印象を受けるのは、坂本兄妹が新国家樹立前に死亡したことが大きな原因だと思われる。
時代は違えども、実際「神楽神酒」が与えた影響よりも「坂本陽輔・翔子」の影響力の方がはるかに大きい。その点では功績以下の評価と言わざるをえないだろう。
坂本祥子の死亡説は多種多様である。
最も有力なのが「ゾンビ攻め」に巻き込まれたものであるが、他にも沖田春香に殺害された説などがある。
しかし、この期に及んで沖田が翔子を手に掛けるとは考えにくい。
敵軍の殺し屋すら捕虜として生かしていたほどであるから、仮に沖田が心変わりして「ゾンビ攻め」を阻止しよとしたとしても祥子を殺す必要はなかっただろう。
祥子の遺体を確認した者が、至近距離から心臓を一発で撃ち抜かれていたと証言する書もあることから、おそらくは沖田以外の兵士の仕業ではないだろうか。
後ほど紹介する他者の裏列伝からは驚くべき事実が確認されているが、ここでは触れることはしない。
坂本祥子の裏列伝には意図的に最後の時の部分が記されていないからである。
「さて、諸君、ニオは動いた。黎明は刻一刻と近づきつつある。最後の仕上げに移ろうぞ」
マシガニオの軍師格である大久保崇広が高らかにそう告げると、呼応するような返事は聞えずとも居合わせる全員が幾分緊張気味に立ち上がった。
そこにいたのは大久保や坂本祥子の他に、マシガニオ一番隊隊長の沖田春香、十番隊隊長の斎藤勘次郎、改造種の猿「ヒコ」といった面々であった。
場所は知床五湖。
敵側である新政府の領土奥深くに侵入していたと言っても過言では無いが、実際の根城は地下にあることから考えると城門前といったところであろうか。
「ゾンビ攻め」とは大久保が考案した攻城戦の戦術で、知床地下にある首都に数百・数千のゾンビをなだれ込ませ壊滅に追い込むというものであった。
そして組織のメンバーがその間隙を縫って抗ウイルス薬を奪取する。
「ゾンビたちよりも先に地下に潜り込む?敵の軍隊とゾンビに前後を挟撃されては、最後を迎えるのは俺たちになるぞ」
無精髭が随分と伸びた斎藤がそう抗議したが、大久保も祥子も断念するつもりなどまるでない。
戦死が相次ぎ、地下潜入に参加できる兵士の数が圧倒的に足りない状況下では、作戦を遂行するためにはゾンビ攻めはやむを得ない選択であった。
それは全員が納得している。
「なんじゃ?一番槍の武功をゾンビに譲るのか?十番隊は隊長が代わって武士の一分とやらを失ったようじゃな。のお、坂本」
大久保がわざとらしく身振り手振りで驚いたような表現をしながら、隣に立つ翔子に呼びかけると、翔子はつまらなそうに斎藤を一瞥した。
「臆する者は去れ。これは私たちの誇りを賭けた戦いだ。ゾンビたちの後詰は背水の陣の構え。退くことは許されない。未来をこの手に掴むための命を賭した戦いだ。私はたとえひとりでも前に進む。もう一度言う。臆する者は去れ。処罰はしない。誇りを捨てて生きる道もある。止めることはしない」
それを聞いて斎藤は憮然とした面持ちで下を向いて唇を噛むと、それっきり何も反論をしなくなった。
大久保の言い分はあまりに前時代的で気に留める必要はなかったが、主とも恋人とも慕う翔子の失望に満ちた言葉は斎藤の胸をえぐった。
それにしても万を超える敵軍に対し、わずか十人にも満たない戦力で挑むなど前代未聞である。
それも敵の待ち受ける入口からである。
勇猛というより無謀。
斎藤でなくとも異論を挟むのも無理からぬ話であった。
斎藤自身としても死を恐れてではなく、より勝算を高めるための苦言であったのだ。
「おお。斎藤の意地みせてくれる!!」
吐き捨てるようにそう宣言すると、斎藤はプイとどこかへ行ってしまった。
戦国時代の武士とは違い、忠義や御恩と奉公などという観念はこの時代には無い。あったのは完全にプライドだけだといえる。どんな状況でも決して退かないという意地が、一番の美徳とされ、それを「武士の一分」と呼んでいた。
生き残ることが精一杯で、希望など見いだせなかった世界の中で、兵士たちはそんな誇りだけを胸に戦っていたのである。
だから、命を落とす以上に自らの矜持を挫かれることを一番恐れていた。
祥子の言葉が斎藤をさらなる背水に追い込んだことは間違いない。
強固な防備を敷いていた新政府が、なぜこうもあっさりゾンビ攻めを許したのかは疑問が残る。
ゾンビの侵入を防いでいた獣たちが実質的に反乱を起こし、予期しない事態になったことはかなりの痛手であった。
しかしこの時、三個師団の軍がまったくの無傷状態。
戦闘ヘリは獣たちに襲撃されて墜落したが、地上を制圧するだけの装備と兵力は充分にあった。
その気になれば知床半島を焼け野原にしてしまうだけのミサイルも完備していたはずである。
それが、手をこまねいて地下への入口にゾンビたちを迎え入れるような話はあまりに奇異だ。
最悪でも入口の道を爆破して封鎖することはできたはずである。
後年ではマシガニオの兵士たちの勇猛果敢な突撃作戦が美談として語られているが、現実的に考えると矛盾がありすぎる。
地下への入口は海岸に面した断崖絶壁の側面の洞窟にあり、とてもゾンビを誘導できない。
まして洞窟入口から地下の都市まで距離にして十五㎞はある。
侵入を遮る罠や迎撃兵器も満載であった。
最近になって研究者たちからは、一部の権力者たちだけが知る秘密の抜け穴のようなものが知床五湖にはあったのではないかという推論が多く聞かれるようになってきた。
もし、そのようなものが本当にあったのだとすれば、ほとんどの人間が気づかないうちに侵入は可能である。
大久保は新政府の要人であったから抜け道の存在を知っていてもおかしくはない。
しかし、そうなると一番大切な情報である抜け穴の存在を知っている人間が敵側にいることになる。
新政府としては確実に対処するはずだ。
それをしなかったということは、新政府はそうしなくても大丈夫だと認識していたことになる。
なぜか。
所説にあるように大久保こそが新政府のスパイだったからだ。
そして大久保に裏切られた。
西郷の寝返りや翔子の誘拐は完全に敵の目を欺くためのフェイクということになる。
始めから洞窟入口からの侵入は考えていなかったのだろう。何重にも練られた策略。
これによって新政府は主力部隊を洞窟からの入口封鎖に割くことになり、最終的にその軍勢は何ら活躍の場がなかった。
新政府にとって最も大きな痛手であった。
マシガニオという組織自体が新政府の出先機関だったという説も興味深い。
組織を作った背景には、外の世界の情報を集め、分析し、研究することで今後の展望を明るく照らしていこうという意図があったに違いない。
であれば軍部の中で力を持っていた沖田勝郎が組織のリーダーであったことはつじつまがあう。
ではなぜ、手のひらを返したように本部に逆らうような行為に及んだのか。
表向きは坂本祥子の謀反だとされている。
確かにリーダーである沖田勝郎はこの戦いには参加していない。
知らなかったというが、精鋭十部隊を動かし、尚且つ勝郎の息子である春香も参戦しているのだから知らなかったはずはない。知らぬことにしておいてほうが後々都合がいいと考えたからであろう。
そうなると坂本祥子は味方に暗殺されたと考えた方が妥当なのかもしれない。
実に政治的な意味合いの強い戦いであったことは間違いないようである。
「よいか、この作戦で最も重要なことは、ニオを無事に地下の都に送り込むことじゃ。それができればわしらの勝ち。できなければゾンビ攻めは失敗に終わる。そろそろ魏延がニオを連れて合流してくるじゃろう。ゾンビたちも獣たちも目の色を変えて追撃してくる。上手く距離を取りながらの殿戦。どんな犠牲を払っても成功させねばならぬ」
大久保はこの状況にあってもまだ抜け道の存在は隠し通していたようである。 敵側に漏れることを極端に恐れていたようだ。
おそらく知っていたのは魏延こと西郷成宏だけだったと思われる。反骨の相と忌み嫌っていた大久保であったが、実はこれも隠れ蓑で、組織に加入した当初から西郷には自分の正体と目的を語っていたらしい。
そうとも知らぬ坂本祥子は、西郷が逃げ出した山岡朝洋を連れ戻してきて、洞窟へ降りるものだと信じ切っていた。
坂本翔子は合理的な性分なので、攫われた山岡の妻が一緒に戻ってくるなどという幻想的な想像はまるでしていない。山岡ひとりいれば充分ゾンビたちを誘導できるぐらいの考えしかなかった。
山岡夫婦は祥子にとって沖田春香同様に兄の仇であった。
ふたりが実験地区NO.六六六の生き残りだったからである。
軍事作戦レインボーにはカラーと呼ばれる任務遂行者たちがいるのだが、最後には黄昏カラーによって生存者は全て抹殺されることになっていた。
それには軍部関係者も一般市民も例外は無い。
しかし、兄が死んだNO.六六六地区はなぜか四人の生存者がいた。
カラー・オレンジの桂剛志はさておき、カラー・グリーンの沖田春香とまったくの一般市民である山岡夫婦。
全国八千百二十八箇所で同時に行われた実験であったが、一般市民が生きて脱出したなどということは他の地区にはない。
あり得ない話なのである。
機密レベルが最高級の軍事実験の内容が外に漏れることになる。
総力を挙げてでも抹殺に動くはずであった。
だが軍部は旭川市への道をまるで清掃するようにして戦車隊を進ませた。
実際、山岡夫婦はそのお陰で層雲峡から旭川市の自宅まで無事に帰宅している。
祥子にはその理由がわからなかったが、リーダーである沖田勝郎は知っていたようである。
沖田春香も知っている素振があった。
というよりも二千十六年の層雲峡脱出以降も常に山岡夫婦を監視していたようだった。
祥子はそのために独立組織「マシガニオ」は設立されたのではないかと考えていた。
どちらにせよ今回は兄の仇を一網打尽にする良い機会だったのである。
山岡が地下の都市に到着した暁には五体を切り刻んでやるつもりでいた。
もちろんこの夫婦が兄に直接何かをした訳では無い。
死亡する要因を作った訳でも無かった。
兄を見殺しにしただろうという推測に過ぎない。
爆撃の火が至る所から昇り、昼間のように明るくなった樹海の中を全員が一列になって進む。
目的地は知床五湖の中で最も面積の小さい湖「五湖」。
いきり立っている斎藤を先頭にして、大久保、祥子、沖田と続く。
ヒコは斎藤の肩に乗り、しきりに辺りを警戒していた。
凄まじい数の銃声が轟き、頭上を数千羽の鳥たちが飛び交う。
しかし、幸いなことに五湖に到着するまで交戦は無かったようである。
まるで引き寄せられるように西郷たちと湖の畔で合流した。
西郷、山岡の他に陸奥忠信と敵側から寝返った少女の朱雀、そして驚いたことに狼たちに連れ去られた山岡の妻の姿があった。
山岡の妻は意識を失っているようで、目を閉じて夫の背にもたれかかっていた。
救出されたときは裸だったのか、今は陸奥の白いロングコートで身を覆っている。
周囲は獰猛な唸り声に満ちていた。
斎藤の肩に乗るヒコも鋭い牙を剥き出しにして山岡夫婦を見つめている。本能の根っこの部分が刺激されている様子であった。
「これで役者は揃いましたね」
西郷が額の汗をぬぐいながら意味ありげな台詞を吐くと、大久保はニヤリとして、
「では、降りるかの」
こうして五湖の畔にあった秘密の抜け道の存在を大久保は全員に明かした。
やがて尋常ではないゾンビたちの追撃が始まった。
 




