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第10話

維新の巻 第10話


 私、山岡朝洋やまおか ともひろの苦悩と葛藤はさておき、「維新の志士たち」という裏列伝からこのお話に係わる部分のみ抜粋して紹介させていただきます。


 坂本祥子さかもと しょうこ


 激動の時代を勇壮に駆け抜け、その名をとどろかせた独立組織「マシガニオ」。

 その双璧を担うのが副リーダーの坂本祥子と一番隊隊長の沖田春香おきた はるかであり、今となってはその名を知らぬものはいない。

 ゾンビの大群の中を二人が手を取り合い、斬り抜けていく場面は後世の一番の語り草になっているからだ。

 ある書物では二人は好敵手ライバルとして描かれ、別の書物では師弟関係、他にも恋人関係だったり夫婦関係だったりするものもある。

 総じて、深い愛情・友情に支えられて新時代開拓に励んだ功労者として二人一組で活躍するものが多い。


 はたして事実はどうだったのか。

 禁書とされて封じられた裏列伝には、坂本祥子の心情を赤心せきだらのままに綴っている。


 坂本祥子は、沖田春香とは元来仲が良いわけではない。

 むしろその逆で、翔子は仇としてこの少年を見ていた。

 少年と呼ぶには沖田は歳が経っていたが、自分より弱輩であることと、童顔で主義主張も軽薄であったため翔子の目には少年として映っていた。

 翔子は幼い頃に両親を亡くしており、歳の離れた兄の陽輔ようすけの手で育てられた。

 強く、賢く、優しい兄だけを見て生きてきたのである。

 男とはこういうものだということを肌に感じて成長してきた。

 それに比べると沖田はあまりに頼りなく、少年としか見られなかったのも無理からぬ話である。


 翔子が沖田を仇と信じるには理由があった。


 兄の陽輔は極秘の軍事実験で命を落とした。

 ウイルスが日本中に蔓延した「レインボー」という作戦である。

 その兄の実験中の動画がインターネット上にアップされ、翔子は兄が自分の知らぬところで必死に戦い、懸命に生きていたことを知った。

 それは同時に今まで感じてこなかった兄の苦労と無念さを知る機会でもあった。

 この日を境に兄からの連絡はぱたりと止まった。

 市井しせいの噂では実験体として知床しれとこの地下に囚われているという声もある。

 それについては、正直、翔子は米粒ほどの希望も持ってはいない。


 兄は死んだと確信していた。


 証拠は無い。

 しかし妹の祥子は感じていた。兄は国に殺されたのだと。軍部だけではなく、日本のまつりごとすべてに係わる人間によって葬られたのだと。

 彼女自身、東京ではテレビ局に勤め、様々な人間に出会い、社会の仕組みや組織、政治、権力の表と裏側を見てきた。

 そこには題目だけのきれいごとの合い間に醜く、愚かな人間のさがが見え隠れしていた。

 その点では国民の誰もが加害者であり、また被害者である。

 今更自分だけが国に兄を奪われた不幸な妹ぶるつもりなどない。

 ただ、人の世の不条理を承知したうえでも、現場にいて兄を見殺しにした人間に対しての憎悪は拭い去れなかった。


 実験地区NO.六六六にいて、未だに生存しているのは四名だけである。

 この四人は許せない。

 そのひとりが沖田春香だった。

 直接手を下していないにしても、翔子が沖田を仇と信じる理由がこれである。


 発足当時の独立組織「マシガニオ」に翔子を招いたのは沖田春香の父である沖田勝郎おきた かつろうである。国防軍の英雄として、兄が尊敬していた数少ない軍人にひとりで、実験時の兄の直属の上司でもあった。

 ゾンビの影に恐れながら東京の安全地帯と呼ばれる場所を点々としていた翔子は沖田勝郎から連絡を受け、迎いに来たヘリに乗った。

 そのヘリを指揮していたのが沖田春香である。


 マシガニオの本拠地に移った翔子は、沖田春香の指南のもと数か月間の戦闘訓練を受けた。自分の身体を守るすべは兄から手ほどきを受けていたが、殺傷能力の高い武器の使い方はすべて沖田に習ったと言っても過言ではない。

 兄から基礎をしっかり固めてもらっていたからか、坂本の血なのか、それとも教える沖田が上手なのか、翔子はメキメキと力をつけていった。


 翔子にとって沖田は兄の仇であり、死地から救い出してくれた命の恩人であり、戦いを教えてくれた師匠であった。


 単純に仇とも割り切れなかったのである。


 矛盾する話であるが、祥子はこのマシガニオという組織の中で信用するに足りる人物はこの沖田しかいないと思っていた。

 だから知床潜入の作戦の裏側を唯一、沖田に漏らしていた。

 地下への入口を見つけ出すための十番隊隊長・西郷成宏さいごう しげひろの偽りの投降と、翔子の誘拐という作戦である。

 西郷は社交的で、常に先を見据えて行動でき、戦闘力も高かったので翔子が隊長に推した人物だった。当然ながらパイプは他の仲間よりも太い。

 この味方も欺く極秘作戦を祥子に提案したのが、何を隠そう西郷である。

 その背後には妖怪のように組織に君臨する大久保崇広おおくぼ たかひろの影がちらほらしていたが、現状を打開する有益な手段だった。


 仲間を騙すようで翔子も最初は乗り気が無かったが、一端始めるととことんやらねば気が済まない性分である。

 兄の仇として決着を付けねばならないと考えていた残り三名も無理やり巻き込んで作戦を展開した。

 そのうちのひとりが敵側の軍人である桂だ。

 レインボーの実験時に沖田と行動を共にしていた人物。

 桂剛志かつら つよしを釣るために、西郷を使って新政府に対し交渉の窓口に立つよう要求させた。

 奇跡的に実験地区を脱出した民間人二名にもメールを使って呼び寄せた。


 これで役者はそろったわけである。


 マシガニオの副リーダーとして、抗ウイルス奪取を目的に掲げて始めた作戦であったが、彼女の胸の内にそんなものに対する執着はなかった。

 外の世界の人間「和人」の救済、そんなものはきれいごとである。

 彼女の目的は復讐であった。

 四人を倒し、兄が一番優れた軍人であったことを証明する。

 「復讐」それ以外に生きる目的は見いだせなかった。


 それは、幼少時から兄妹をさんざん苦しめてきた世界・社会・国家・人間に対しての復讐でもある。

 欺かれつつ、欺きつつのそんな不安定で流動的で不確かな現実への最後の抵抗でもあった。


 無論、このとき、彼女には新国家の建設などという志は欠片も無い。

 無い方が当然である。

 絶望だけが支配する世界だったのだ。


 それでもマシガニオには新しい日本、新しい国家を夢見る男たちが集まってきた。

 天才的な狙撃能力を持つ岡田駿おかだ しゅんはすべてのゾンビを駆除し、北海道を人間だけの領土にしようという夢の実現に燃えていたし、斎藤勘次郎さいとう かんじろうも同じような理想を持っていた。

 そんな男たちと毎晩話をした。

 夜が明けるまでこれからの人類について語り合った。

 熱い男たちばかりだった。

 必死に希望を見つけ出し、どんな困難に対しても尻込みせず、それに向かって邁進するような男たち。

 そんな男たちと身体を合わせたのはなにも情にほだされたからではない。

 無意識ではあったが、復讐以上の何かを彼女も見つけたかったからだ。


 そんな中でも沖田との距離だけは常に変わらなかった。


 沖田が初めて翔子に出会ったとき、語ってくれたマシガニオの目的はきれいごとだった。沖田の想いは何も詰まってはいない。何も響いてはこない。なぜ沖田がレジスタンス的なこの組織にいるのか謎だった。

 腹を割って話そうと何度か試みたが失敗に終わった。

 沖田は真剣な話になると本音などどこ吹く風とはぐらかす名人だったからだ。


 「いえいえ、僕には難しい話は無理ですよ。考え事をするとジンマシンがでるんです」


 笑顔でそう答えて走り去っていく。


 臥所ふしどに誘ってみたこともあるのだが、そのときもていよく断られた。


 別に男好きという訳ではない。

 そもそも一度交じり合った男とは二度目の機会を持たないのが翔子のポリシーである。

 だから男たちは尚の事彼女に夢中になった。


 中でもちょうを競い合ったのが岡田と斎藤の二人。

 彼女の指示には疑うことなく従う。互いが誹謗中傷のネタを祥子に吹き込んでくることも多々あったが、その度に無言で頷き表向きだけの承認をしてきた。

 ようはどちらにもいい顔をしてきたのである。


 沖田はいつも遠くから面白そうにそんな光景を見ていた。

 だから沖田への復讐は実に困難であった。

 戦闘能力は組織随一であったし、脅すにも強請るにもネタがない。

 派閥を作るような野心もなく、誘惑にも靡かない。

 まさに雲のような男だった。

 この年齢でこの境地に達するにはよほどの経験を積んできたのであろう。


 背後から騙し討ちするのならいつでもできた。

 しかし、ただ殺すことなど復讐ではない。

 敗北感を与えること、それは屈辱感でも挫折感でも構わない。

 彼の魂に何かしらの傷を与えなければ翔子は納得できなかった。

 ただ殺すには惜しい男、そんな気持ちもあったのかもしれない。


 どうすれば沖田に致命傷を与えることができるのか、どうなれば自分は納得するのかを自問自答する日々。

 気がつけば沖田のことばかりを考えている。

 抗ウイルス薬のことも、実は兄への気持ちですら、沖田という存在を前にして薄らいでいくことに翔子は焦りと驚きを感じていた。


 知床五湖に築いた拠点で、マシガニオの残存兵と合流したのはF一年五月三十日のことである。

 すでに知床地下の新首都への入口は確認済みであった。

 あとはどう潜り込むか、潜り込んでどうするのかというステージに進んでいた。


 検討することは山ほどあったが、残兵を目の前にして翔子が目の色を変えてその姿を探したのは、沖田春香、そのひとである。

 十部隊、百名以上のマシガニオの兵が参加した大規模な作戦であったが、ほとんどの部隊が敵軍の返り討ちにあって壊滅している。

 ただ、作戦の裏側を知っている沖田は無事に合流することができた。

 生き残った兵のほとんどが戦闘続行が難しいほどの傷を負っていたが、沖田はほぼ無傷だった。死なずにここまで来た沖田を見て、翔子は心底安堵していた。そのいつもと変わらぬ天真爛漫な笑顔を垣間見て、思わず涙がこぼれそうになっていた。


 繰り返すが、翔子は沖田と仲が良い訳ではない。

 むしろ仇である。


 翔子は湧き上がる理解できない感情を制御できずに戸惑っていた。

 その洪水のような感情は澄み切っていて、ドス黒い汚水のような憎しみの気持ちがそこから見えてこないからだ。

 頭で言い聞かせても、心は別の動きをする。

 高鳴る鼓動と共に翔子の心は揺れ動いた。


 「驚いたな。坂本さんがゾンビ攻めの真相を聞いても反対しないなんて。大久保さんのひとり芝居で、坂本さんの抗議で作戦は頓挫するものだと思っていたんだけど」


 拠点に使用していた寂れた小屋の中で沖田がそう呟いた。

 沖田の表情には明らかに失望の色がある。

 翔子の身体に電流が流れた。

 「これだ!」そんな確信があった。

 沖田の予想を裏切ること、期待に応えないこと、それが沖田への効果的な復讐になる。

 坂本祥子が最終的に大久保の唱える「ゾンビ攻め」に賛成し、加担し、率先してそれを実行した裏側にはそんな背景があった。


 当代、坂本祥子を英雄視する傾向が強いが、実のところ動機はこの程度のものだったのである。


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