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第7話

維新の巻 第7話


 F一年五月三十日の夜半の出来事はよく覚えております。


 日中は知床しれとこの五月とは思えぬほどの熱気で、日が暮れてからもべとつくような暑さが残っておりました。

 懐かしい夏の香りが漂っていて、自然と心が高ぶりました。

 甘酸っぱい夏の香り……切ない夏の香り……何も恐れずひたむきに恋愛した夏の香り……。


 初夏と呼ぶには早すぎる時期です。

 ただ、それでも私は夏の魔力に身を浸したい心境でございました。

 頭を空っぽにしてはしゃぎまわる開放感を感じて突っ走りたかったのです。


 周囲を見渡せば個性顕現、多種多様な人間が慌ただしく次の準備をしておりました。


 坂本祥子さかもと しょうこはギラギラした目で、小屋にある膨大な量の武器を手にして確認しております。

 私に対して特にこれといった挨拶もしてはきません。

 己の目的達成のため私たちを利用すること以外には興味がない様子です。

 快活な女性で部下から絶大な信頼を得ているようですが、私は息苦しさを感じておりました。

 

 大久保崇広おおくぼ たかひろはフラフラと歩き回り、何かブツブツと独り言をつぶやいております。

 仲間を仲間と思わず、人を人と思わず、とにかく何もかもを踏み台にして自らの野望を実現しようとしている男です。誰ひとり近寄る者はおりません。

 確かに作戦を練る力は天才的なのでしょうが、私は心底軽蔑しておりました。


 斎藤勘次郎さいとう かんじろうは坂本の傍で何やら小間使いのようなことに汗を流しております。

 どうやら斎藤はもともと坂本に懸想しており、彼の目には彼女しか映っていないようでございました。


 沖田春香おきた はるかは相変わらず飄々としており、真意がわかりません。

 新政府側だった彼がなぜ「マシガニオ」の一員になっているのかも不明。

 ウイルス発生当初に層雲峡そううんきょうで彼には救われておりますが、一向にその話を持ち出してはきません。

 それが不思議でございました。


 朱雀すざくは周囲から冷たい視線を送られても動じることなく、目を閉じて静かに座っております。

 大久保翁から提示された条件で籠絡された様子でございました。

 当初はなぜこちらに寝返ったのかも不明で、妻の奪回に協力を仰ぎたいひとりでしたが、なかなかお願いしづらい状況です。


 陸奥忠信むつ ただのぶだけが私の案に乗ってくれそうな有力人物でございました。

 常に本音を語る人物で、その風体からは想像できない愚直さを持っています。

 死んでいった仲間の家族を養っていることや、その人たちの安寧秩序の樹立のために戦っているのだという動機も、私には受け入れやすい部分がございました。


 というわけで、私が陸奥に交渉を始めたのは、陸奥が哨戒しょうかいの任につき小屋を離れた時でございました。


 「で、お前の手伝いをしたとして、俺に何のメリットがあるんだ?」


 話をした直後、陸奥はぶっきらぶにそう答えました。


 金髪にいかついサングラス。白のロングコートは血で汚れておりました。

 私の腕の二本分はありそうな屈強な腕。大久保翁が「ゴリラ」と例えるのも頷けます。


 以前までの私であったら尻込みしている相手です。もとより話しかけることなど決してしなかったでしょう。関わり合いをなるべく避けようと努めたはずです。

 しかし、このときは違いました。

 妻の奪還という目的だけが私の心にあり、なりふり構っていられない状況だったのです。

 わらにも縋る思い。

 まさにそれでございました。


 「メリットはあります」


 私は陸奥を説得しようとしておりました。

 言葉と思いで味方につけようとしていたのでございます。


 「なんだ?言ってみろ」


 「もし抗ウイルス薬を手に入れたとして、それで陸奥さんの大切な人たちをゾンビ化から守ることはできるでしょう。しかし、ゾンビたちの脅威が無くなるわけではないはずです。やつらに襲われたら肉片まで食い尽くされるんです。ゾンビたちに怯え、声も出せず、鳥籠のような場所でひっそりと生活しなければなりません。人間の尊厳を再び手にすることはない。絶望の中の生活は続くんですよ」


 私の言葉を聞いて、ようやく陸奥は真剣な表情で私を見つめ返しました。


 私は手ごたえを感じながらしゃべり続けます。


 「何も変わりない。それでは何も変わらないんです。子どもたちが思うままに自然の中で跳ね回ることも、赤ん坊が泣きじゃくることもできない世界のままです。そんな世界で誰が希望を見出せますか?」


 陸奥は微かにですが、何度も頷きました。そして、


 「お前に何ができる?」


 試すような、それでいて哀願するような陸奥の言葉。


 私は一呼吸置いて、今まで以上のはっきりとした口調で、


 「私はゾンビたちを操作コントロールすることができます」


 「操作コントロール……?」


 「ええ。この地にゾンビたちを集結させたように、私たちはゾンビを操ることができるんです。陸奥さんの家族たちが住むところからゾンビを動かすことができるんです」


 「そ、そんなことが可能なのか?」


 「もちろんです。そして、永遠にその場所にゾンビを立ち入らせないこともできます」


 陸奥はくるりと背を向けて、何か思案を始めました。


 「何が必要だ。俺たちの住む場所からやつらを追い出すためには」


 呻くような陸奥の言葉。


 「私ひとりの力では無理です。妻と一緒ならば……できます」


 しばらく無言の時が流れ、やがて観念したように、


 「わかった。協力する。お前の妻を救出し、ここを脱出しよう」


 「ありがとうございます。陸奥さんならば理解してくれると思っていました」


 私は喜びを隠すこともなくそう答えました。


 「忘れるな。俺を裏切ったら、お前も、お前の妻も必ず地獄に落とす」


 「約束します。ただ……」


 「ただ、なんだ?」


 「ただ、私の名前は山岡です。お前ではなく、山岡と呼んでください」


 すると陸奥はサングラスの奥でニヤリと笑い。


 「よし、山岡。急いでここを離れるぞ」


 この瞬間、私は強力な協力者を得たのです。

 初めての仲間。だったのかもしれません。


 「誰だ!?」


 陸奥が銃を構え、私の背後の闇に狙いをつけました。

 マグナム弾は充分補充されております。


 私も慌てて後ろを振り返りました。

 人の気配などまるでしませんでしたが、暗闇の中、確かに人影がございます。


 人影はすっとこちらに進んできました。


 「なんだ、カマキリ女か……。何の用だ?」


 陸奥からカマキリ女と呼ばれていたのは、新政府の暗殺集団「壬生狼みぶろ」のメンバーのひとりで、こちらに寝返った朱雀でございました。


 「私も連れていけ」


 影は聞えるか聞こえないかの声量でそう答えました。

 陸奥も私も眉をひそめて朱雀を見つめました。


 肩までの黒髪。白く細い腕には蛇の刺青。憂いを帯びた瞳。一見どこにでもいる少女でございますが、戦闘の腕は確かです。

 おそらく今のメンバーの中では沖田に次ぐ武勇を誇っております。

 味方につければ充分すぎるほどの戦力です。

 しかし、彼女には大久保翁との黙契があるはずなのです。


 「なぜ?」


 私は尋ねました。

 我々の作戦に参加して、仮に成功したとしても彼女には一銭の得もないはずなのでございます。


 「お前の今の話を聞いて決めた。私は地下から家族を連れてお前の言う安住の地に移る。それを許してくれるのならば、私は協力する」


 「地下から?新首都に住んでいれば安全だろうが。何を好き好んで外に出る?」


 陸奥の問いの対し、朱雀は失笑し、


 「お前は何もわかっていない。あそこは牢獄だ。自由などない」


 「牢獄でも、ゾンビを恐れず長生きできるだろ?」


 「長生き?知らないのか、あの都市に住むことが許されているのは六十歳までだ。それを超えれば外に捨てられる」


 その話を聞いて私と陸奥は驚きました。


 「それはおかしい。政府高官たちなど還暦を過ぎているやつらばかりだろう。二十八部衆など喜寿どころか米寿にだって到達しているやつがいるはずだ」


 「もちろん、建国の功労者たちは別枠さ。年齢制限などない。でも一般の人間は六十歳で追い出される。階級が下の人間はさらに悲惨だ。いつ追い出されるかわからない。新しい赤ん坊が誕生するたびにビクついていた。首都に住むことができるのは百万人だけ。妥協を許さない人数制限によって保たれている国なんだ。ひとり生まれれば、ひとりが去らねばならない。私が壬生狼に入隊しなければ私の家族はとっくに地下から追い出されていた」


 以前に大久保翁が話していたことを思いだしました。


 首都にいても外にいても監獄だと……。


 「お前はあのジジイに何を言い含められていたんだ。なぜこちら側に寝返った?」


 「自由を約束してくれた。生きる権利もな。家族の保護も。それ以外に私が望みのは何もない。新しい国で怯えず暮らせるのなら何度でも誰であっても裏切る覚悟だ」


 そう言って、瞬きもせず、じっとこちらを見つめておりました。


 「若いのにいい根性してやがる」


 陸奥はこの時、朱雀の言葉に随分と感銘を受けていたように思えます。



 こうして私は、妻救出のチームを組織したのでございます。



 運命は一瞬で変えることができるのです。



 諦めない限り。


 行動と出会いによって……。



 

 申し訳ありません。


 今日はもう時間が無いようです。

 

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