第4話
維新の巻 第4話
百匹の狼の襲撃は巧みな波状攻撃でございました。
対ゾンビ用に遺伝子操作された動物たちは、肉体の強度も格段に上がっており、通常の銃弾をいくら撃ち込んでも殺すことは困難です。
ましてそれを斬ることなど達人の域に達した武人にも難しいことでございます。
マシガニオの一番隊隊長、沖田春香の技の冴えは天下無双と呼ぶに相応しいものでございました。
しかし、限度というものがございます。
さすがの沖田でもこれ以上の数を捌き切ることは無理だったのです。
私たちにこの危機を脱する術はもはや皆無でございました。
昼型を生贄に捧げるという大久保崇広の発案は、「火に油」だと誰もが感じました。
当然でございます。
遠隔操作されている狼の群れは、この知床の地に侵入するものを抹殺するのが使命なのです。
相手がゾンビだろうが人間だろうが、ましてや昼型だろうが関係ないのです。
「ジジイ、どういうつもりだ!?こいつらを前に出して今更何がある?」
立ち上がれぬほどの重症を負っている二番隊隊長の陸奥忠信がそう怒鳴ると、大久保翁はいつも以上に力強くボサボサの髪を掻きながら、
「ゴリラは黙っておれ。手はこれしか無い。乾坤一擲の策じゃ。信玄公の娘を出せ」
私は自分の耳を疑いました。
信玄公の娘とは、山梨県出身の妻を指しているのは明確です。
私が指名されるのであればまだしも、大久保翁は妻を狼の餌として差し出そうとしているのでございます。
妻が蒼白な表情で私を見ました。
当たり前でございます。
私は持っていた銃を大久保翁に向けました。
これ以上やつが何か喋ろうものなら撃ち殺す覚悟でございます。
大久保翁は見開いた目で私を見返しました。
「わしを撃ったところで狼に噛み殺されるのじゃ。死ぬことには変わりはあるまい」
「黙れ。あんたの自分勝手な話はもうたくさんだ」
私は憎しみを込めてそう返答しました。
これまでの期間で、このじじいがどんな犠牲を払っても自分の野望を貫こうとする最低な人間であることを嫌というほど思い知らされておりました。
私は限界を感じていたのでございます。
こんな人間と共に生きることも、生き残るためにこれほどのエゴが必要だということも。
洞窟の入り口では三十匹の狼の突入が始まりました。
仁王像のように立ちはだかる沖田と朱雀も最後の死力を尽くして戦っております。
刻が迫っておりました。
死という最後の瞬間が。
「妻には行かせられません。私が行きます。同じ昼型です。問題はないはずです」
妻のためにできることと言ったら、私にはもうこの選択肢しかありませんでした。
どちらにせよ、永遠の別れになるのです。
「いや。駄目じゃ。お主は行かせられぬ」
大久保翁はそう冷たく、冷静に言い放ちました。
「なぜ!!?」
私は苛立ちながらそう問いました。
二匹の狼が突入してきて陸奥のマグナム弾を食らって吹き飛びます。陸奥は銃弾が切れたレボルバーの拳銃を入口に向かって投げ捨てました。
さらに三匹。
猿の「ヒコ」が突進し、侵入を防ごうとします。
その右手、左手に狼たちが噛みつきました。ヒコの悲鳴が洞窟内に響き渡ります。
このときの妻の動きは驚くほど素早いものでございました。
突入してくる狼たちを掻き分けて入口へと進んでいきます。
私は驚いて絶叫しました。
妻の名を呼びました。
別れの瞬間がこうも唐突に訪れ、何の言葉も無く終わろうとしているのでございます。
三匹の狼が私の目前に立ちふさがります。
持っていた銃の引き金を無意識に弾いていました。
銃声音も狼の咆哮も何も私の耳には飛び込んできませんでした。
走り去る妻の後ろ姿だけが現実でございました。
銃弾を受けた狼たちも妻を追って入口に向かいます。
私も走りました。
まるで夢の中のように足がもつれて上手く前に進むことができません。
傷ついた朱雀が地面に倒れておりました。
沖田が折れ曲がった刀を柄にして辛うじて倒れ込むのを堪えておりました。
その横を私は駆け抜けます。
外の光が私の視界を一瞬奪いました。
眩い景色の中を必死に妻を探します。
狼の咆哮。
何十という狼の勝ち誇ったような咆哮。
海の波しぶきが私を濡らします。
頬を伝う涙。
見渡しても妻も狼の群れも姿を消しておりました。
私はこの世界に独りぼっちになったのです。
この命が続く限り共に歩むことを誓った相手は、もう、いないのです。
何かを叫び、私はその場に膝を折りました。
一方、洞窟内。
「ジジイ。どういうつもりだ。何を隠していやがる。なぜ狼たちは襲撃をやめたんだ」
睥睨し、陸奥が大久保翁にそう尋ねました。
洞窟内は先ほどまでの騒がしさが嘘のように静まり返っておりました。
「見ろ。この狼たちのやせ細りようを」
大久保翁はそう言って、狼たちの遺骸を指さします。
「餌となるゾンビを食い尽くして、この地にはもう食料がないのじゃ。こいつらはゾンビ以外のものを食うことができぬように創られておる。人間が生態系を維持するためにそうしたのじゃ。だからどんなに腹が空いても他に何も口にできぬ。そういう点ではこいつらは本来の肉食動物ではなく、ゾンビ専門の草食動物じゃな」
弊衣破帽の十番隊隊長、斎藤勘次郎が狼たちを眺めていたと思うと、
「あれだけの数の狼たちです。昼型一体の身体など腹の足しにもなりますまい」
その言葉に陸奥も頷きます。
「お主たちは風媒花というものを知っているか?」
大久保翁がそう問いますが、陸奥も斎藤も首をかしげました。
「風の力で受粉する植物じゃ。虫の力で受粉する植物は虫媒花と呼ぶ。虫たちは花の蜜に誘われて来るだけで、受粉を手伝っているという自覚はないじゃろうがな」
大久保翁は言葉を続けますが、両名ともにまるで納得いっていない様子で、
「ジジイ、何が言いたい?」
「フン。なぜここにゾンビの群れが集結しようとしているのかまだわからぬか?」
「わかるように説明してくれ」
ここで大久保翁は少し間をとって、
「ニオは雌花、ゾンビは雄花じゃ。やつらは繁殖の時期を迎えておる。受粉して大量のゾンビを生み出すつもりじゃ。この地の動物たちは本能でそれを察知しておる。餌が絶えれば動物たちも全滅。そうならぬよう受粉を手伝おうとしておるのじゃ。にわかには信じられん話じゃがな。わしがまだ二十八部衆として知床の首都にいたときの話じゃ。勝という科学者がおってな、それがそのような仮説をたてておった。当時は馬鹿にしておったが、どうやら真実だったようじゃな」
陸奥も斎藤も絶句して顔を見合わせておりました。
大久保翁はニヤリとして、
「獣媒花……というところかの……」
申し訳ありません。
今日はもう時間が無いようです。
この話の続きは、次回にさせていただきます。
それでは御機嫌よう。




