第3話
維新の巻 第3話
北海道道東に位置する知床半島は、今なお活動を続ける火山が二つあります。
新墳火口で噴煙を上げる硫黄山。
五百年前に噴火した羅臼山でございます。
そもそも地質は陸上火山の溶岩と海底火山の堆積物で構成されていて、マグマの上昇と流氷の削剥によって知床の地は天然の要塞となっております。
日本最後の秘境となった所以は海岸線にそびえる八十mもの断崖が人間を近寄らせなかったためでしょう。
新政府はこの固くて厚い陸上火山の溶岩内と、風化に弱い海底火山の地層(火山 砕屑岩)の内部に、広大な面積を持つドーム型の地下施設を完成させたのでございます。
膨大な地熱エネルギーを活用し、噴火という危険と隣り合わせに百万人の人間が生活を営んでおりました。
まさに日本国の文明の集大成、国力を結集した新首都でございました。
そうでした。
あの日のお話をしていたところでございました。
F一年五月二十一日。
夜が明けた知床の海岸線の一角に、私たちの姿はありました。
一様に傷つき、疲労困憊です。
断崖には無数に洞窟があり、そのひとつに身を隠し、しばしの休憩をとっておりました。
五体満足に動き回れるのは「マシガニオ」の一番隊隊長の沖田春香。
対ゾンビ用に改良された猿「ヒコ」。
そして新政府の追撃部隊を撃退して捕虜とした少女「朱雀」。
この少女は非常に寡黙で、移動している期間でもほとんど声を聞いたことがありませんでした。妻が随分と目をかけて親切に接していたところ、ようやく名前だけが発覚したという経緯がございました。
新政府子飼いの暗殺組織「壬生狼」の一員ですから腕は滅法たちます。おそらく沖田以外では太刀打ちできなかったのではないでしょうか。
ここまでの混戦でしたから逃げるタイミングはいくらでもあったはずなのですが、不思議とその素振はありませんでした。
このときも朱雀は沖田と共に洞窟の入り口付近に座り、狼たちの襲撃に備えておりました。
手錠ははずされ、武器の携帯も許されております。
大久保崇広と何かしらの密約があったのは確かでございます。
妻がこの少女を心配に思い、何度か奥から出てきて声をかけたり、食事を与えたりしておりました。
頭を悩ます奇妙な光景は他にもございました。
私と妻は「昼型」という中途半端な「ニオ」でしたから、昼間はゾンビ化しております。
巨大な「葉緑体」を駆使し、二酸化炭素と水から酸素とエネルギー分を発生できる身体なのでございます。
五感はとてつもなく鋭くなります。
それと引き換えに、対ゾンビ用の獣たちからは狙われることになるのです。
仲間である猿の「ヒコ」も例外ではありません。
夜は人間に戻りますからヒコも懐いてくれるのですが、日が昇ると、打って変ったように牙を剥いて襲いかかってきます。もう少しで目を潰されるところだったのも一度や二度ではすみません。
それがこの数日の中で異変があったのでございます。
昼間であってもヒコが私や妻に敵対心を持つことが無くなったのです。
と、いうもよりも夜以上に私や妻の傍にいて離れようとはしなくなりました。
まるで自分のご主人様に仕えるように神妙なのでございます。
大久保翁だけが何か原因を知っているようでございましたが、私たちには何も語ろうとはしませんでした。
狼たちの二度目の襲撃があったのは昼頃でございました。
人間の大人ほどの大きさを持つ狼。
動きは俊敏で、勇敢果敢。且つ知性を有しておりました。
それが百匹ほどの群れを率いてくるのでございます。
一度目の襲撃時は動けた兵も多かったのですが、そのために負傷し、今では動ける者はわずか。
狼たちはそれをわかっているようで、一度目以上の猛攻を仕掛けてきます。
弾薬はほぼ尽きておりました。
沖田も日本刀を研いで備えておりますが、これまでの激戦の跡はその刀を見ただけでわかります。強靭な鋼が曲がって鞘に収まらなくなっているのでございます。
熊や虎、狼などを何匹斬ればこうなるのでしょうか。
おそらくここまで撃退してきた獣の半数以上は、沖田の手にかかっていたと思います。
沖田の凄いところは、そんな修羅場が続いても常に笑顔でいたことでございます。
しょうもないことを言って仲間に元気を与えておりました。
朱雀という少女も、もしかしたらそんな沖田の魅力に惹かれたのかもしれません。
狼たちの襲撃に気が付いた沖田は、すっと立って入口付近で待ち構えます。
その横に同じくスラリと立つ朱雀。
十匹の狼が割れるような咆哮をしながら洞窟内に突進してきました。
金髪、サングラスの二番隊隊長、陸奥忠信は怪我のため立ち上がることもできず、壁を背にしてレボルバーの銃を構えます。
十番隊隊長の斎藤勘次郎も同様に動かぬ右手を放り出し、左手でライフルを構えておりました。
妻がヒコを抱いて、そんな斎藤を心配そうに見つめております。
大久保翁は武器など持たず寝転んでおりました。
私はライフルの使い方を一通り教わりましたから、それを手にして妻の傍で緊張気味に構えます。
まず先頭の四匹が沖田と朱雀に襲い掛かります。
残りの六匹はその横をすり抜けて奥へと進もうとしました。
まさに舞うような沖田と朱雀の動き。
海上を飛ぶカモメのような緩やかな動きでございました。
先の四匹が断末魔を上げて壁に激突します。
沖田の斬撃は深く、鋭く、二匹の首を刎ねておりましたし、朱雀のナイフも的確に狼の急所を突き、二匹が即死でございました。
沖田は返す刀で横をすり抜けようとしていた六匹のうち三匹の首も同時に刎ねておりました。
奥に突入した三匹のうち一匹は頭を陸奥のマグナム弾に撃ち抜かれ死亡。
もう一匹は斎藤が正確に撃ち殺し、ラスト一匹は私が……と言いたいところですが、ヒコがその俊敏な動きで狼の背に乗り、あっと言う間に首をひねり折りました。
十匹ほどの襲撃であれば、確実に撃退することが可能であることを証明したのでございます。
狼たちは次に二十匹を送り込んできました。
先ほどよりも一回り身体の大きな狼です。
毛が灰色でございました。
沖田が低く構えます。
朱雀は両手にコンバットナイフを持ち替えました。
雪崩のような勢いで二十匹が洞窟内に乱入してきます。
「うりゃー!!」
沖田の凄まじい裂ぱくが狼たちの気勢を制しました。
修羅の如き斬撃が目にもとまらぬスピードで一閃されます。
狼の巨大な首が三つ同時に宙に舞いました。
朱雀は狼を手元まで充分に引きつけ、コマのように回転しながら狼たちの間を縫って斬り込んでいきます。一歩踏み込む度に狼の悲鳴が洞窟内に響き渡ります。
奥に入った狼は陸奥と斎藤が少ない弾薬を節約するかのように一発で仕留めていきました。
ヒコも「対ゾンビ用改良動物の傑作品」の異名通りの活躍をし、狼相手に一歩も退きません。
しかし数分後、二十匹を撃退したときには、さすがの沖田も息を荒げており、持っている刀も反り返っておりました。
朱雀は右足に狼の牙をくらい負傷。
ヒコも全身傷だらけです。
斎藤が弾が切れたと呟いておりました。
間髪入れずに次は三十匹の襲撃。
もはや撃退する力は残されておりませんでした。
全員が狼の爪牙にかかり命を落とすことになることを予感したとき、大久保翁がついに口を開きました。
「昼型を前に出せ。それで狼どもは納得するじゃろ」
信じられない一言でございました。
申し訳ありません。
今日はもう時間が無いようです。
この話の続きは、次回にさせていただきます。
それでは御機嫌よう。




