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第8話

 お待たせいたしました。

 やつらの五感の中で一番鋭いものはどれなのか、掲示板を通じて確認しあったところ、「聞く」点ではなかろうかという結論に達しました。


 やつらの視力はとても良いとは言えません。じっとしていれば三mほどの距離でも気づかれることはありませんでした。


 ですが、人間の匂いを嗅ぎつける力は我々よりも強いと思われます。特に血の匂いには敏感で、どんな暗闇でも血が滴る地点に正確に群がります。まるで鮫のようです。


 それ以上に警戒すべきは「音」でございます。

 風の音、雨の音、鳥の鳴き声などにはまったく刺激されないのですが、こと人間が発する音には異常に敏感です。

 足音、悲鳴などはもちろんのこと、自動車のエンジン音や携帯電話から発せられる電子音などの人工的な音までもやつらは興味を持つのでございます。


 そして火に飛び込む蛾のように引き寄せられてくるのです。


 やつらは我々人間とは大きく異なる特徴を持っております。もはや「新種」と呼んでもなんら問題は無いのかもしれません。


 「触れる」という点においては、やつらは人間の体とそれ以外なのかを認識することしかできず、また「味わう」という点においては、生きている状態の人間の肉しか口にしようとはしません。


 まさに対人間用生物、人類の天敵のような存在でございます。


 某国の敵国攻略用軍事兵器という予測も当たらずとも遠からずなのでございましょうか。


 さて、九月二十六日早朝の話に戻しましょう。


 私と妻は五階で石和麻由希いさわ まゆきさんに会うことに成功した矢先、同じ目的で石和さんを探していた老夫婦にも遭遇しました。

 老夫婦は襲撃にあった直後で、旦那さんの方は首からの出血が大量のためすぐに亡くなりました。

 夫人の方は腕と足の傷が激しかったものの早く処置をすれば助けられる状態でございました。

 廊下には老夫婦を襲った何者かが潜んでおり外には出られず、電話も混線が続き助けを呼べません。

 石和さんと負傷した夫人を脱衣室のトイレにひそませ、私と妻は露天風呂から脱出し、助けを呼ぶことになりました。


 「トモ、気づいた?」


 露天風呂の周囲は木々が連なり、そして崖のようになっております。

 どこから降りたものなのか辺りをうかがっていると、背後から妻がそう呼びかけました。


 「もう朝になっているってこと?」


 「違うよ。そのメモ、見てみろし」


 私は茶色のセーターのポケットからメモを取り出し、読み返してみました。

 二階の高橋守たかはし まもるから石和さんの特徴について聞いた情報がまとめられています。

 そこには、石和麻由希、髪は黒で肩まで、歳は二十三歳。区役所勤め、身長は、百五十五cmと書かれていました。


 髪は肩まで?


 確か先ほど出会ったとき、石和さんの髪は腰までありました。


 妻が、ようやく気が付いたのかという表情で話を続けます。

「たぶん、日頃は髪をアップにしてるんだよ。きっとあの男はリラックスした状況の彼女の姿を見たことないんじゃない」

「どういうこと?」

「鈍いな。日中の彼女しかしらないってことよ。それで恋人って言える?」

「つまり付き合ってる関係では無いってことかい?」

「でしょうね。しかも親しい関係でも無い」

「だけどあの説得の熱の入れようは……あのひとの片思いかもしれないってことかい?」

「かい、かい、うるさいなあ。その北海道の方言やめてっていつも言ってるでしょ。きっとストーカーかなんかなんでしょ。気持ち悪い」


 妻からいつもされている指摘は、もはや私の耳には届いておりませんでした。 思い返してみると高橋守には気になる点がありました。

 私からの連絡が無いことに激しいいきどおりを感じているのはわかりますが、LINEラインのコメントは常軌じょうきいっしていました。

 狂気のようなものを感じたのでございます。


 女の直感は鋭いものがございます。

 私は過去、身をもってそれを妻から知らされておりました。


 「ちょびちょびしちょ!早くしないとあのおばさん助からないよ」


 人には北海道の方言を規制するくせに、自分は甲州弁丸出しでございました。言葉の意味はいずれ説明させていただきます。


 「ガン!ガン!」


 私は部屋を出た時からずっと手にしていた木製のハンガーで、身近にあった大木を殴りつけました。

 ポケットの中では引っ切り無しに振動する携帯電話。

 高橋からのコンタクトでございました。

 私は彼と交信するつもりはもはやありません。

 私と妻は、いや、あの負傷した老夫婦もおそらくあの男に騙されたのですから。

 こんな状況などつゆ知らず、それでもしきりにくるLINEの交信は自分勝手なあの男そのままで、何とも言えない怒りがこみあげてきたのでございます。

 

 「トモ!パトカーだ!救急車も!」


 妻は歓喜の声を上げました。


 崖の下を見下ろしてみると、随分下に何台も停まっております。

 あの赤い光がこんなにも頼もしく見えたのは初めてのことでございました。


 サイレンは鳴っておりませんでした。


 「駄目だな……ここからじゃ降りられない。迂回うかいして道を探そう」

「大きな声で呼べば気づいてもらえない?だってほら、あそこにお巡りさんがいるよ」


 パトカーの外に一名、よく見ると車の中にもいます。

 救急車の運転席にも人影がございました。

 妻の言うように、呼べば届くかもしれません。

 私はこれでも声には自信がございました。昔は大きな声で授業がわかり易いと評判だったものです。

 山々に響く大声でいっちょ叫んでやろうかと身構えたその時のことでございます。どこからともなくまたあの集団が眼下に群がってきたのでございます。二十名はいたと思います。


 その光景はまるでラグビーの試合をやっているかのようでございました。

 あっと言う間に外に出ていた警官は引き倒されます。

 よくは見えませんが群がった人々は警官に噛みついているようです。

 大きな悲鳴がこだましました。

 慌ててもう一名の警官や救急士が車から出ました。

 途端にそこにもやつらは群がりました。

 どこから湧いて来たのか数は五十名には達していました。

 救急士の一名が救急車の後部から飛び出し、逃げ出しました。が、10歩も行かぬうちに左右から挟み撃ちにあい引き倒されます。


 「キャー!!」


 妻が一歩も動けずその光景を目撃し悲鳴を上げました。


 もしかしたら私の悲鳴だったかもしれません。


 その瞬間、やつらがこちらを一斉に見たのです。


 そして全員がニヤリと笑いました。


 遠目でもその表情は確認できたのです。

 薄気味の悪い無邪気な微笑み。

 そして一斉にあの唸り声をあげたのです。

 服装、性別、年齢はバラバラなのに統制がとれた動きでございました。


 やつらはすぐには向かってきません。

 ビクビク動く横たわった人間に食らいつき、噛みしめながらまたこちらを眺めます。

 獲物が動かなくなり絶命するまでその動作は続きました。


 やがてやつらは我先にと、口元から血を滴らせながら私たちの方向へ走り出しました。

 足元を確認することや周囲を気にすることなく、私たちだけをずっと見上げながら崖に迫って参ります。

 表情は皆ずっと笑顔でございます。


 十五mぐらいの距離がございましたし、私たちが降りられないと断念しようして程の崖でございましたから、やつらがそう容易たやすく登ってなどこられないはずですが、それでも私たちはかつてない恐怖、焦燥感しょうそうかんに襲われておりました。

 大人たちがあんなにも歓喜の笑みで全力疾走する姿を私は見たことがありません。

 まるで私たちがここからお札をばらいているかのような錯覚にも襲われました。

 無論やつらが心底求めているのは金ではなく、私たちの肉なのですが。


 「キャー!!」


 妻の声とは違う悲鳴が背後で響きました。


 「石和さん!?」


 浴場の奥、脱衣室の方向から聞こえてきたのです。


 「囲まれた……」


 窮地きゅうちに追い込まれたことに気が付きました。

 ついに私たちはやつらの標的になったのでございます。

 いえ、もともと標的にされていたのでしょうが、ここで初めてその意識を持ったわけです。


 ここから私たちは必死に自分たちの部屋に戻ることになるのですが、言うは易し行うは難し。どれほどの回り道をしたことでしょうか。ただ、そのおかげで私たちは生きていくための経験を積むことができました。

 

 さて、本日はここまでとさせていただきます。


 音がたてられない生活の不便さといったらありません。

 みなさまはもう慣れたのかもしれませんが、私は時折思いっきり大声を出したくなる瞬間がございます。もう一度平和が訪れたら真っ先にしたい事の一つでございます。


 もう眠る時間ですね。


 習慣とは恐ろしいものです。実は私は夢の中でも声が出せないのです。


 それでは一度失礼させていただきます。


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