第11話
4章 死霊所潜入編
煉獄の巻 第11話
お待たせいたしました。
私、山岡朝洋と妻が網走監獄を脱出し、知床の玄関口である斜里に到着したのは、F一年五月一日午前十時を幾らか回った時分でございました。
車内には運転する兵士、助手席で他部隊と交信する兵士の他、後部座席に大久保崇広、妻、その間に挟まれる形で私という布陣です。
そもそも斜里町は人口一万二千人という小さな町でございます。
平和な時代には、年間百五十万人ほどの観光客が訪れていたメジャーな観光地でございました。
オホーツク海に接しており、サケやマスなどの漁業がとても盛んで、また、馬鈴薯などの畑作も産業のひとつだったそうです。
現在は訪れる人間など皆無で、ゾンビを餌にする動物たちの狩場となっております。
兵士と大久保翁の会話のやり取りを聞いてわかったことでございますが、羆や虎などの大型哺乳類の他に、オジロワシやキタキツネやエゾタヌキなどの肉食動物も多く生息する地域だそうでございます。かなりの数の狼も群れを成しているそうです。
それとわかるゾンビの肉片や骨の残骸があちらこちらに散らばっておりました。
「ああはなりたくないものじゃ」
そうボヤキながら私を見て大久保翁はニヤニヤ笑うのでございます。
私と妻は、ウイルスを超越した身体を持つ「高橋守」の腕を食って、異常な変化を起こしておりました。
ゾンビの身体を持ちながら自我を有する種を「ニオ」と呼ぶのに対し、不完全な状態の種を「昼型」と呼ぶそうです。
昼型はその名の通り日中はゾンビ化しておりますが、太陽が沈むと人間に戻る異常種でございます。
ゾンビ化している間の自我も個人差があるようで、ゾンビとしての本能の為すがままの者もいれば、理性を保つ者もいるそうです。症状も時間と共に大きく変化する場合があり、突如自我を失うケースもあったそうでございます。
私と妻はこの昼型でございます。
幸いなことに、未だに自我はしっかりと維持できております。
無論、妻もです。
しかし、いつ何時、変化を迎えるか自分でもわかりません。
日々、この恐怖と向き合い続けねばならないのです。
兵士たちは常に背後の私たちを警戒しておりました。
異変があればすぐにでも除草剤入りの銃弾を浴びせてくる手筈です。
彼らのお陰で私は安心できました。
私が突然変化し、隣にいる妻に襲い掛かる前に撃ち倒してくれるのですから。
妻を守るため以外には、私には大きな目的などありませんでした。
まあ、しいて言えば、こんな状況をもたらした新政府に一矢報いることぐらいでしょうか。
大きな事を言っていますが、私には別に何が出来るというわけでもありません。
もし、可能であれば、妻だけは安住の地である新首都「知床」に送り届けたいのです。それが私の描く一矢報いるという野望でございました。
私はどうなるか、ですか?
それは、まあ、できれば一緒に知床で暮らしたいですよ。
ただ、そこまで望むのは少々調子に乗り過ぎかもしれません。
私は自分の力量というものをわきまえているつもりですから……。
「どうやら一番隊が先に敵部隊に接触した様子です」
助手席の兵士が大久保翁にそう告げます。
「魏延はそこにいるのか?」
大久保翁が愁眉をひらいて尋ねました。
妙な違和感がありました。それが何に対してなのかはわかりません。
「いえ、西郷成宏はいないようです。副リーダーも同様です」
副リーダーというのは独立組織「マシガニオ」副リーダー坂本祥子のことでございます。部下に裏切られ、誘拐されているのです。
「そうか」
大久保翁がそう言ってから大きく息をひとつしました。
「敵は獣使いです。恐ろしく俊敏なアムール虎を従えています。また、側面からは壬生狼の少女が切り崩しにかかってくるそうです」
「なんじゃ、小娘ひとりに手こずっておるのか。フン。最強の一番隊とほざいておったが、口だけじゃな」
兵士二人はそれに対しては口を閉じて何も応えませんでした。
キキキーーーン!!!
大きなブレーキ音とともに激しく身体を振られました。
私たちの乗っていた車が黒々としたブレーキ痕をアスファルトに残しながら、横向きになってようやく急停車いたします。
「なんじゃ!!」
大久保翁がしこたま窓に頭をぶつけて怒り出します。
「出ました!!羆です!!一時の方向に一匹。情報ではもう一匹いるはずです」
よろけながら窓越しに向こうを見ると、八mほどの距離に大きな岩の塊のような熊が潜んでおりました。
血走った目でこちらを睨みつけながらジリジリと寄ってきます。
「走り抜ければよかろうが!」
大久保翁が舌打ちしながらそう叫びましたが、兵士は冷静に、
「無理です。近寄った瞬間にこんな車はバラバラにされます。おそらく避けようとしたところを隠れているもう一匹に狙われるはずです」
「羆の伏兵か……そんなものを恐れていたら帰って笑われるぞ。マシガニオの兵士ともあろうものが。行け!!」
そう大久保翁が指示を出した直後でございました。
一発の銃声が鳴ったかと思うと、車内が一面の血の海になったのでございます。
誰が撃たれたのかと騒然となりました。
妻が怯えて縮こまります。
慌てて確認しましたが、妻はどこも撃たれてはいませんでした。
「チッ!岡田駿の仕業か!?」
大久保翁がまた騒ぐと、また一発の銃声。
フロントガラスを貫通して、助手席の兵士の頭を正確に撃ち抜きました。
気が付くと始めの一発で運転席の兵士も頭を撃ち抜かれてハンドルにもたれかかって死んでおります。
私たちは、一瞬で戦力の中心である兵士二名を失ったのでございます。
「頭を低くして伏せておれ、岡田はマシガニオ随一の狙撃手じゃった。狙われたら最後、逃げることは不可能じゃ」
大久保翁はそう怒鳴りながら運転席の背後に身を隠します。
岡田駿とは、魏延と呼ばれる西郷に引き抜かれたマシガニオのメンバーのひとりだと聞き及んでおりました。
「伏兵を恐れて止まったところを岡田が遠距離攻撃する策か……まんまと敵の罠にはまっておるの」
独り言のように大久翁は呟いております。
妻はどうしていのかわからず頭を両手で抱えるようにして伏せておりました。
私は咄嗟に助手席にある銃を手に取りました。
「何をやっておる!!危ない。ド素人が銃など持ってどうするのじゃ!!下がっておれ!!」
そんな大久保翁の言葉など、私には馬耳東風の心境でございました。
私のたったひとつの希望。願い。目標が断たれようとしているのです。
そう。妻を守ること。
そのために私はゾンビの身体となったのです。
私は大久保翁を押しのけてドアを開き、転げるようにして車を下ります。
至近距離に大きな影。
二mを超える羆が畏怖堂々と目前に待ち構えておりました。
「トモ!!危ない!!」
妻の絶叫が耳に飛び込んで参りました。
それでは、この続きは私の命が続いた場合に更新させていただきます。
失礼致します。
 




