第9話
4章 死霊所潜入編
煉獄の巻 第9話
お待たせいたしました。
私、山岡朝洋は妻とともに網走にある野外歴史博物館「網走監獄」五翼放射状平屋舎房にて、独立組織「マシガニオ」の兵士、斎藤勘次郎と出会いました。
斎藤の話を聞き、私と妻が大久保崇広の策略の駒として利用されていたことを知ったのでございます。
仲間を救おうと出発していった大久保翁を一時でも勇敢な男だと崇拝しそうになった自分にあきれ返る思いでございました。
彼はその毒舌同様の酷薄な性格だったわけでございます。
「ゴメン。一服させて」
妻がそう言うと大切にしている小さなタバコ入れを取り出しました。黒の下地に赤い花が刺繍されたもので、結婚当初に私がプレゼントしたものでございます。
私も一服あやかろうと妻に近づいたところ、横から斎藤が割り込んでそこからタバコを一本引き抜きます。
それが最後の一本でございました。
むっとして斎藤の顔を見つめます。
「すまん」なり「ありがとう」なりの言葉を期待しましたが、斎藤は妻の横で一緒に悠々と白い煙を吐き出しておりました。
こんなにもずうずうしい人間には私は出会ったことがございません。ゾンビですらもう少し自分の立場をわきまえております。
まあ、このご時世、これぐらい図太い人間しか生き残れないのかもしれませんが……。
「それで、そのスパイ、西郷成宏はどこにいるんです?」
いつまでたってもこの場から動こうとしない斎藤に苛立ちながら私はそう尋ねました。
「あの男のことだ、もうここにはいないだろう。マシガニオの副リーダー坂本祥子には懸賞金がかかっていてね、なに、あの坂本陽輔の妹だ、唯一抗ウイルス反応があった人間の兄弟だからな。新政府としては実験台として是が非でも手に入れたいわけさ。今頃は攫った坂本と知床を目指しているところだろう」
「懸賞金が……」
どうやら坂本祥子も特別な存在のようでございました。
斎藤は美味しそうに煙草を吹かしながらなおも言葉を続けます。
「どっちにせよあの男は組織を裏切るだろうとみんなに思われていたんだ。西郷は仲間内からは陰で魏延と呼ばれていてね。知ってるかいこの名前」
「ぎえん……あの三国志に登場する魏延ですか?」
「そうだ。よく知ってるな。俺はよく知らなかったが、詳しく説明してくれるやつがいてね。そいつの話じゃ魏延は反骨の相というものを持っていたそうだ。必ず裏切ると予言された猛将だよ。案の定、最後は裏切った後に部下に殺された。西郷も同じ骨相を持っているらしい」
魏延とは三国時代の蜀の国で、関羽や張飛などの五虎将と呼ばれる英雄に並ぶとも劣らない実力を兼ね備えた将軍でございます。事実、蜀の創始者である劉備が亡きあと、諸葛亮とともに弱小の国を引っ張った中心人物。
最後はその諸葛亮の策によって部下に暗殺され命を落としてました。
人間の足音とともにライトの光が入口の方角で光りました。
けたたましい銃声はかなり前から止んでおりました。
「どうやら本隊のお出ましだな。西郷を魏延と名指しで皮肉った人物の登場だよ」
数名がこちらに近づいてきます。
こちらが向けたライトの光の中、銃を構えたその姿は先ほど別れたマシガニオの兵士のものでございました。
先頭にはただひとり銃を構えず悠然とこちらに足を進めてくる老人の姿が。ボサボサの頭に縁の太い眼鏡、大久保翁でございます。
「あの爺さんは今孔明って呼ばれていて、味方にも敵にも恐れられている。あんたらも気を付けな。一番信用しちゃいけない人物だ」
斎藤は最後にそう小さな声で私たちに呟きました。
「ほう。斎藤、生きておったか」
大久保翁は私や妻には目もくれず、そう言い放ちました。
その口調はなんとも挑戦的な響きがいたしました。
「おかげさまで……」
斎藤は何か奥歯に物が挟まったような物言いでそう答えました。
大久保翁がこの組織の中でどのような立場にいるのかは私には皆目見当がつきませんでしたが、どうやら斎藤よりは階級がはるかに上のようでございました。
男というのはどうにも権力に対して弱い生き物でございます。
「魏延の仕業です」
斎藤はただ一言そう言いました。
大久保翁はその眼鏡の奥からじっと見つめ返していましたが、やがて面白くなさそうに、
「わかっておる」
そう答えました。
「副リーダーは連れ去られたものと思います」
「思います。か……斎藤を囮に使って時間稼ぎするとはあいつらしいの。で?」
大久保翁は斎藤に近づき、その加えていたタバコをひったくると床に落として靴の裏で踏みにじりました。
一瞬、斎藤の目つきに殺気が籠ったのを私は見逃しませんでした。
「で、とは?」
それでも斎藤は冷静さを装い答えます。
大久保翁はニヤリと表情を歪ませ、
「で、あの男の仲間は何人おるんじゃ。見ておったのだろう?ひとりの仕業ではあるまいて。それをわしに伝えるべくお主は囮として生かされておったはずじゃ。とぼけずに早く答えろ」
「はい……魏延の他に東南アジア系の顔付をした男が一名。かなり腕がたちます。それ以外に獣使いが二人。羆二頭にアムール虎が一匹。あと、囮として我々の前に顔を出してきた少女が一名。こちらも実は戦闘のプロでした。おそらく暗殺集団として新政府に飼われている壬生狼のメンバーでしょう。あとは岡田駿」
岡田の名前が出て兵士の中からどよめきが起こりました。
どうやらマシガニオのメンバーのひとりだったようです。
大久保翁もしかめっ面をして、
「岡田まで抱き込まれておったか……しかし小娘ひとり攫うのに随分と豪勢な顔ぶれじゃの。それを聞けばわしが追跡を諦めると思ってか」
「獣使いに殿を任せて、魏延たちは車を使って進んでいると思います。もはや追いつくことはできますまい」
斎藤は伏し目がちにそう言いました。
「もうすぐ日が昇る。ゾンビの群れは遠くに引き離した。すぐに出発の準備じゃ」
大久保翁が背後の兵士たちにそう告げると、私たちにくるりと背を向けました。
「ちょっと待てし!!」
その背中に向かって妻が大きな声をかけました。
大久保翁が立ち止まって振り向きます。
「私たちには何の謝罪もないのけ?人を囮に使っておいて何様のつもりで?」
妻が興奮して甲州弁丸出しで噛みつきます。
私も大久保翁に反論しようとしていた矢先のことでしたが、思わぬ妻の先手に驚いて言葉を失っておりました。
「何とか言えし!このクソジジイ!!」
そう吠えて火の付いたタバコを投げつけます。
タバコは大久保翁までは届かず、暗闇の中をコロコロと転がっていきました。
「威勢のいい女じゃ。なんじゃ甲州出か……。淑やかな道産子娘とは随分と毛色が違うの。特に何も被害は無かったんじゃ、問題はなかろう」
大久保翁は眉をひそめてそう答えました。
妻はそれを聞いて余計に怒り心頭になり、大久保翁に詰め寄ろうといたします。斎藤が間に立って何とかその場を落ち着かせました。
「このヒコを付けていたんだから完全にあなた方を見放したわけではありませんよ」
斎藤がそう言って妻をなだめます。
大久保翁はあとは何も言わず、さっさと入口の方に向かっていきました。
斎藤が妻の肩を抱きながらその後を追っていきます。
私だけが何も言えず、何もできずにその場にただつっ立っておりました。
ピタリと寄り添う斎藤に対し自らの体臭を気にしている素振をしている妻の背中を茫然と見つめておりました。
何とも言えぬ空虚感だけが私の胸の中に押し寄せていたのでございます。
それでは、この続きは私の命が続いた場合に更新させていただきます。
失礼致します。




