第8話
4章 死霊所潜入編
煉獄の巻 第8話
お待たせいたしました。
私、山岡朝洋と妻は突然の敵の襲撃から身を潜めるため「五翼放射状平屋舎房」に侵入し、そこでゾンビの群れと遭遇いたしました。
絶体絶命の危機を何とか回避した後、囮として囚われていた独立組織「マシガニオ」の兵士、斎藤勘次郎という男に出会ったのです。
「斎藤さん、私たちはこんなところでのんびり構えていていいんでしょうか。表では他のメンバーがゾンビたちと戦っている最中では?」
のんきに妻と会話を続ける斎藤に向かい、私は幾分呆れかえった表情でそう尋ねました。
斎藤は一瞬だけこちらを向いて眉をひそめると、また妻と話を始めます。
何ともいえぬ不快感に包まれながら私は言葉を続けました。
「大久保さんが話していました。これは敵の罠だと」
斎藤は面倒くさそうに頷き、
「ああ。その通りだ。これは敵の罠だった」
「大久保さんはそれでも仲間を救出しに向かったんですよ。私たちをここに避難させて。マシガニオの一員としてこんなところで油を売っている暇は無いはずでしょう」
久しぶりに説教臭い話をしているなと感じながらも私は話し続けました。
あんなに怯えていた妻をあっさりと笑顔にしたその手管に嫉妬していたのかもしれません。
そんな私の心境を知ってか知らずか、斎藤は苦も無くこう言い放ちました。
「さずが天才軍略家と呼ばれる大久保の爺さんだ。よく敵の意図を見抜いている。的確な判断だな……主力を残して罠を回避した。」
「 回避した?ここに囚われていてなぜ回避できたとわかるんです?」
「アハハハ、それはあんたらがここにいるからさ。なんだ、まだよく状況を理解できていないようだな。敵が罠を張ったのはここだよ。援軍がここに踏み込むと同時に牢屋のドアが開く仕掛けになっていた。全部の部屋のドアを開いたのは見事だったな。普通は途中で仕掛けに気づいて引き返すもんだ。素人の為せる業か」
「……」
私がその言葉の意味を測りかねて口を閉ざすと、斎藤はさらに頬にえくぼを浮かべながら、
「あの爺さんはすべてお見通しで、あんたらをここに残したんだ。自らの危険を冒してまで見す見す敵の罠に飛び込むようなことはしないさ。タヌキの親玉みたいな人だからな。まあ、上手くいく勝算があったのかもしれないが、戦力として期待できないあんたらを人身御供として使ったってわけだ。別の銃声を聞いて敵の襲撃を知ったって?新政府にしたってこんな所に生身の人間を配置するもんか。あんたらをペテンにかける嘘に決まっているだろ。ただ、あんたらを使って罠をはずしたかっただけさ。」
まさか……信じられない顔で私と妻は見合わせました。
その言葉が正しいならば、私と妻は味方の口車にのって、知らぬうちに最も危険な戦場に死兵として飛び込んでいたことになるのです。扱いは使い捨てカイロとなんら変わりありません。
「あんたらが正真正銘のニオであれば話は別なんだが……副リーダーもそれを期待して組織に迎え入れたって聞いたからな。しかし、先ほどまでの行動を見ていると、どうやらそうでもないらしいな」
ニオとは、ウイルスを超越した身体を持つ人間のことでございます。
大久保翁は隠し言葉だとも話していました。
正確にはゾンビの身体でありながら自我を保持できるものを指すようでございます。
私は苦々しく首を振りました。
自分自身がニオでは無いことを嫌というほど身に染みて感じた直後だったからです。
「残念ながら私たちは違うようです。昼型だと大久保さんは言っていましたから……」
その言葉を聞くと斎藤の表情は一変し、まるで敵を見るような目でこちらを睨みつけたのでございます。
そう言えばマシガニオの他のメンバーもこの話をした途端に敵愾心剥き出しになっておりました。
「どうして昼型に対してあなた方はそんな憎しみを持つんです?」
気になって私はそう質問しました。
斎藤は別な方角を向いて何やら心を鎮める努力をした後で、
「三週間前の話だ。完成版のニオをマシガニオに迎え入れたのは……。俺たちは希望の灯を手に入れたと歓喜したよ。だが、その女は昼型だった。その当時はそんなものがいること自体知らなかったからな、次の日の朝、その女はゾンビ化し、仲間を襲った。年端もいかぬ子どもを含めて二十八人がその歯牙にかかって死んだんだ。ゾンビを捉えたのは日が沈む直前だった。日が落ちるとともに女に自我が戻った。柱に縛られた自分に気が付いて悲鳴をあげていたよ。その後で被害者の家族たちに撲殺された。首や腕を切り落として別々に焼いた。炭になっても動いていた。ゾンビも有機物だということが証明された。そして昼型は警戒すべき敵だということも判明したのさ」
話を聞いて妻は顔を背けました。
「そ、それが昼型……?」
そんな妻の問いに斎藤は静かに頷きました。
なるほど。そんな理由であれば拒絶されるのも無理はありません。
しかし、私も妻も昼間はゾンビの群れの中にいながら自我は保っておりました。斎藤の話に登場してくる女とは別物のはずでございます。であれば、それを確認してもらえれば邪険にされることもないのではないでしょうか。
「いや、あの女も初めは昼間でも意識はあったよ。変わったのは次の日の朝さ」
その言葉を聞いて私は愕然としました。
であれば、私も妻もいつ自我を失って獣のように人を襲うかわかりません。その時、一番近くにいるのは私か妻のどちらかなのです。もしかしたら私が変化し、妻に襲い掛かりその肉を食らうこともありうるわけです。
不安と恐怖が沸々と沸きあがってまいりました。おそらく妻も同じ心境だったと思います。
今後は希望を持って朝日を待つことなどできないかもしれません。
あれこれ思案するうちに私は斎藤の語っていた話の矛盾点に気が付きました。
「こんな場所に生身の人間を配置するわけがないと言っていましたが、だったら斎藤さんは誰に捕まって囮にされていたんです?」
斎藤は痛いところをつかれたという表情を一瞬浮かべ、そしてまた何食わぬ顔で肩にのる猿の「ヒコ」の頭をさすり始めました。
「山岡さんは何のために生きている?」
唐突な質問に私は驚きました。
まるで見当違いな質問を返されたからでございます。
「ええ、妻を守るためです。幸せな生活を取り戻すためです」
ありきたりな言葉でしたが、それが私の目的でございました。
斎藤は少しだけ微笑みながら、
「そうさ、このご時世、多くは望めない。シンプルな希望が全てだ。そしてそれぞれが全く別な希望を持って、その実現のためだけに生きている。そこには善も悪もない。信義もなければ、忠義もないのさ」
「言っている意味がよくわかりませんが……」
「新政府に内通している者がいるんだよ。このマシガニオの中にもな。そいつに全てを掻き回された。俺も、副リーダーの坂本祥子も」
「そいつは今どこに?」
斎藤は首を振りました。
「用意周到な男だ。そして勇猛果敢。坂本の一番信頼厚かった男。西郷成宏。こいつにまんまとやられたんだ。もしかしたら初めから新政府の犬だったのかもしれんがな」
生き残ることだけを信念にしているのだとすると、その行動も充分ありうると言えます。
「新政府の連中はマシガニオもニオも極端に恐れている。俺たちに新しく築きあげた国家を転覆させられると勘違いしている。だからあの手、この手を打ってくるのさ。俺らは抗ウイルス薬が欲しいだけなんだがな……」
「本当に抗ウイルス薬は開発されているんですか?」
私の問いに斎藤は頷くことも首を振ることもせず、
「坂本はそう信じている。それを手に入れるためだったらあの女は何でもする覚悟だ。大久保の爺さんの制止も聞かずにな」
たった一つの願い事が全て。
確かにそんな時代でございました。
それでは、この続きは私の命が続いた場合に更新させていただきます。
失礼致します。
 




