第6話
4章 死霊所潜入編
煉獄の巻 第6話
お待たせいたしました。
F1年五月一日、午前二時。
私、山岡朝洋と妻は独立組織「マシガニオ」の部隊と合流し、行方不明になった副リーダー坂本祥子捜索のため、野外歴史博物館「網走監獄」に侵入しておりました。
暗闇に怯えながらようやく五翼放射状平屋舎房に辿り着いた矢先に遠くから銃声が響いてきたのでございます。
数人で撃ち続けているのでしょうか、連続音がいつまでも止むことがありません。
妻が両耳を押さえ、猿の「ヒコ」を抱えるようにうずくまります。
私はどうしていいのかわからずにただ持っている懐中電灯で辺りを照らし続けました。
銃声は確実に私たちが歩んできた道の反対側からです。
おそらく二手に分かれた別部隊が交戦しているに違いありません。
しかし私が照らすライトに映し出されるのは無人の家屋、木々、夜空だけでございました。
「おい、小僧」
無造作に私の正面に立ち、ライトの光に顔面ドアップで映し出されたのは大久保崇広でした。眼鏡の奥でギロリとこちらを睨みつけております。
「おい、聞いておるのか小僧」
大久保翁が話しかけている相手が私だということに気が付くまでしばらくかかりました。
私が慌てて返事をすると、
「お主、これまで散々修羅場をくぐってきたと言っておったな。これまで何体のゾンビどもを倒してきた?」
銃声の音が喧しく、はっきりとは聞き取れませんでしたが、そのようなことを言っていたと思います。私が返答に窮すると、大久保翁はそのボサボサの頭を掻き毟りながら、
「なんじゃ。逃げ回っていただけか」
明らかに失望の表情でそう言い放ちました。
すると妻がすっと立ち上がり、
「トモは戦ってきたわ。生きるため、私を守るために精一杯戦ってきた。そのことから逃げたことは一度もない」
私以外の相手に妻がこうもはっきり意見を述べた姿を初めて見ましたので驚きました。
もちろん嬉しさで胸がいっぱいになりましたよ。
何を語らずとも妻は私のことをしっかり見て、理解してくれていたのでございます。思わず涙が出そうになりました。
「フン。この時代におめでたい夫婦もあったもんじゃの。まあよい。であればお主たちはこの舎房の中で隠れておれ。中に何が潜んでおるかわからんがの」
そう言うと大久保翁は顎で目前の家屋を示しました。
兵士のひとりが歩み寄り、
「明らかに仲間の銃声とは異なるものが聞こえてきました」
「罠じゃな。まんまと掛かったか……。我々の知床潜入を見越して手を打ってきたんじゃろ……」
「そ、それでは……」
「情報が漏れておる。まあ、手をこまねいていても仕方あるまい。あやつらの救出が先じゃ。この民間人たちはこの舎房に潜ませる。なに、ゾンビがおっても猿がいるから大丈夫じゃろ。さあ、行くぞ」
大久保翁はそう言うと兵士二人を引き連れ、銃声のする方向へと消えていきました。
私と妻はしばらく突っ立ったままでしたが、あまりに見晴らしがよく、これではどこから銃弾が飛んでくるかわからないということになり、五翼放射状平屋舎房の入口まで取りあえず避難いたしました。
入口のドアは取り外されていて、中の暗闇が嫌でも視界に入ります。
銃声は途切れることもなく続いており、それが急に大きく聞こえたり、小さくなったりするのです。
こんな所に立っていては、狙い撃ちしてくださいとお願いしているようなものでございました。
ライトで舎房の中を照らしてみましたが人の気配はありません。
しかし悪臭は先ほどよりも強く鼻を刺激してきます。
この暗闇の中にゾンビたちがいることは間違いないと思いましたが、であればこの銃声に反応して飛び出してくるはずです。それが無いということは、それこそ独居房に閉じ込められているのかもしれません。
私は意を決して房内に踏み込みました。
赤いレンガの床に妻が照らした私の影が映し出されます。
廊下は五方向に延び、それぞれに無数の独居房が備え付けられておりました。
五方向の廊下が唯一交わる中心部には、ひとりで全ての方向を監視できるように備え付けられたキヨスクのような監視所がありました。ひとまずはそこで腰を落ち着かせます。
ヒコが廊下の奥に向かって唸り声をあげておりました。
牙を剥き出しにし、充血した目で奥を睨みつけております。
先ほどとは異なるヒコの様子に妻は怯えたようで、必死に私の腕を掴みました。
耳を澄ますと、銃声の音の中、確かに何かが聞こえてきます。
低い唸り声。
猿の声とは別の、慣れ親しんだあの声でございます。
寝ても覚めても耳から離れなかったあの忌まわしい唸り声。
それもひとり、ふたりではありません。
数十人はいるのではないでしょうか。
いくら対ゾンビ用に改良されたヒコと言えどもその数を撃退するのは無理でしょう。
もちろん私たちには武器と呼べるものなどありません。
と、ヒコが突然走り出し、左から二番目の廊下の奥に消えてしまったのでございます。
あっという間の出来事に私たちは名前を呼ぶことすらできませんでした。
そちらの方向にライトを向けて耳を澄ませましたが、特別何も変わった音は聞こえてきません。
私と妻は顔を見合わせました。
外からは相変わらず銃声が続いております。
「ヒコちゃんを探しに行かないと……」
妻が泣き出しそうな顔でそう懇願してきます。
日の出までまだ数時間あります。
日中であれば私と妻はゾンビを回避することができますが、夜では駄目です。 昼型は夜は人間に戻り、ゾンビたちの餌食になるそうでございます。
「ぼけっとしちょ。早く進めし」
妻がそう言って私の腕を引っ張ります。
妻は小さな子どもや動物に簡単に愛着を持つことができました。それは大きな長所であり、愛すべき性質でしたが、この場合は短所と言う他ありません。猿一匹のために妻の命を危険に晒すわけにはいかないのです。
私は躊躇し立ち止まりました。
「聞こえた?今……奥から人の声が聞こえたら。」
~ら、も甲州弁のひとつでございます。
私は首を振りました。
「ほら、聞こえてくるら……トモ、奥に人がいる……」
妻は何かに憑りつかれたようにフラフラと奥へと進もうとします。
ガタン!!!!
右手で大きな音がして私はビクリとしました。
そして、何かが動き出した音が聞こえてきました。
激しい足音、歓喜の雄叫び……間違いなくやつらです。
すると一番左の廊下からも同じ大きな金属音がして、やつらの走り出す音が聞こえてきました。
左右から同時にかなりの数のゾンビたちが迫ってくるのでございます。
私は慌ててライトを消し、妻の手からも奪い取りました。
右の二番目の廊下でも大きな金属音。
何かの錠がはずれるような音。
廊下に溢れたゾンビたちの声がすぐに聞こえてきました。
正面、真ん中の廊下からもです。
外に逃げるか、中に逃げるか、私は一瞬戸惑いました。
もし、ヒコが左から二番目の廊下の奥へ消えていかなかったら私は悩まず外に飛び出していたと思います。そしてやつらに捕まり五体を食いつくされていたことでしょう。
私は妻の手を引いてヒコが消えた廊下へ走り出しました。
そこだけが唯一金属音が聞こえてこなかったのでございます。
背後の監視所にゾンビたちが勢いよくぶつかる音が聞こえてきました。
激しい唸り声。
十や二十じゃありません。
相当な数のゾンビたちが押し合いながら銃声のする外へ飛び出していきます。
深い暗闇の中を私は妻の手を引き、壁伝いに奥へと進みます。
唸り声は……それが、聞こえてくるのです。
錠がはずれる音がしないことだけを祈りながら私は進みました。
せめてヒコはいないかと声を探しますがわかりませんでした。
無数のやつらの唸り声だけがはっきりと聞こえてきます。
妻が堪え切れず嗚咽を漏らしました。
私は暗闇でまるで何も見えていませんでしたが、壁を背にして妻を抱きしめました。
愛する妻が生きて傍にいることだけが私に認識できる全てでございました。
そしてそのすぐ傍らで大きな金属音が響いたのでございます。
天を仰いで息をこらす他に術はありませんでした。
それでは、この続きは私の命が続いた場合に更新させていただきます。
失礼致します。




