第2話
4章 死霊所潜入編
煉獄の巻 第2話
お待たせいたしました。
私、山岡朝洋と妻は、ヘリコプターに乗るのがまったくの初めてでございました。
狭い空間のうえ、メインローターの回転音が随分とやかましく、快適とは言い難い乗り物でございます。
運転席にはヘッドホンを付けた好青年の工藤洋平。
助手席には誰も座っていませんが、アイボリーの布袋が置かれておりました。
後部座席は四人用で、そこに私と妻が隣同士に座り、対面に大久保崇広が難しい顔をして腕組みしながらドカリと座っております。向かい合わせに座るものですからなんとも目のやりどころに困窮いたしました。
「どこに向かっているんですか?」
ヘリが動き出してから十五分ほど経過した時点で、私が痺れをきらして大声でそう尋ねました。
大久保翁は聞こえているのかいないのか、表情ひとつ変えず私を見つめています。
「すみません!!どこに向かっているんですか!!」
さらに大きな声を上げても返答が無いのです。
この老人は耳を傾けようともしません。
運転席の工藤がそれに気が付いて、ヘッドホンを付けて話すよう私にジェスチャーで教えてくれました。私と妻がそれに倣います。ヘッドホンにはマイクも付いており、それでお互いにコミュニケーションをとるようにできているようです。
「工藤さん、教えていただいてありがとうございました」
私のマイクを通しての第一声はこのようなものでした。
目前の大久保翁が何も教えてくれないことに対しての皮肉も含んでおりました。
「いえいえ、何かご質問がありましたら気軽に言ってください」
「重ね重ねありがとうございます。工藤さんは国防軍の方ですか?」
やや沈黙があり、また工藤が明るい調子で話始めました。
「いえ。単なるヘリのパイロットです」
「そうですか」
何か聞いてはいけないことを、いきなり訪ねてしまったような後ろめたさがございました。
すると岩にように口を閉じていた大久保翁が、
「実験の生き残りじゃよ」
「実験?」
「お主も巻き込まれた軍部の実験じゃ。たしかレインボーとか言ったかの」
「そうなんですか工藤さん?」
先ほどよりも長い沈黙があり、
「私はNO.一0八地区の担当でした。任務はインディゴでした」
「インディゴ……」
私は、記憶にある坂本の動画から、それが何を示しているのか思い出そうといたしました。そこで大久保翁がニヤリとほほ笑み、私の横を指さしたのでございます。
「ほれ、助手席の袋を開けてみ」
指の先にある布袋を見つめました。
動いております。
袋の中に何かがいるのです。
「ゾンビの腕じゃない?さわっちょ、トモ」
妻が怯えた表情で私の袖を引きます。
大久保翁は意地の悪い笑みを浮かべたままです。
私は何かなめられているような気持ちがいたしました。
これでも散々修羅場を潜り抜けているのです。
今更ゾンビの切り取られた腕などに恐怖を抱くことなどありません。
ただ怯えて潜んでいた生存者たちとは違うのです。
それをこの老人に見せつけたい衝動にかられました。
私は布袋の口の紐に手をかけました。
運転手の工藤が慌てて何かを言っていましたが耳には届きませんでした。
私自身が興奮していたからかもしれません。
「見栄を張る」などいつ以来だったでしょうか……これまでは見栄を張る相手すら周囲にはいなかったのです。
口の紐を緩めた瞬間、何かが飛び出していきました。
私の顔面に襲いかかろうとした刹那、それは工藤に捕まえられ、私は驚いて席から転げ落ちました。
「アハハハ!!」
背後で大久保翁の高笑いが聞こえてきます。
工藤の左手に掴まれたものは、猿でございました。
獰猛な牙をむきだしにした日本猿です。
工藤が操縦しながらも懸命にその猿を袋に戻そうとしております。
「私の任務は対ゾンビ用に改良された動物を操り、その効果を確かめるものでした。NO.一0八地区には猿が二十八匹放たれましたが、生き残ったのはこの一匹だけでした」
そう語りながらようやく猿を袋に戻すと、工藤は紐を結び直しました。
私は唾を飲み込みながら、
「それで効果はあったんですか?」
「これでも相当な戦闘力があるんです。ゾンビの目、耳、鼻を食いちぎる訓練を受けています。餌もゾンビの肉だけ。それ以外は食べません」
なるほど、それで私に襲い掛かってきたわけです。
自我があるとは言え、私の身体はゾンビと何ら変わらないのですから。
袋に戻されてもこの猿は興奮状態が抜け無いようで、キーキー言って暴れ回っています。
「護身用に連れているんですが、今回はお二人が搭乗されるということでこの中で我慢してもらっているんですよ」
工藤がそう言って、すまなさそうに私と妻を振り返って見やりました。
妻は唖然として何も発しません。
大久保翁だけが尚もおかしそうに笑い続けています。
「それで、このヘリは知床に向かっているんですか?」
私は席に座り直し、大久保翁にやや威圧的にそう尋ねました。大久保翁はチラリと私を見て、
「なんでそう思う?」
「知床には日本の新政府があり、百万人の日本人が平和に暮らしていると聞きました。復興には協力が必要なのでは?」
「それでこのヘリで知床へ向かうと?」
「ええ」
そうあって欲しいという私の願いを多分に含んだ予想でございました。
大久保翁は嘲笑しながら私の期待を一瞬で切り裂きました。
「知床に近づいた途端にミサイルで迎撃されて終わりじゃ。馬鹿げたことを言うな。……いや、馬鹿だからこそゾンビの腕を食うという狂気の沙汰も可能なのかの……」
こんな意地悪じじいには出会ったことはありません。いちいち癇に障る物言いなのです。
「山岡さん、気を悪くしないでください。我々のヘリは坂本祥子副リーダーと合流すべく、網走を目指しています」
工藤のフォローがなければ、私はこの老人に唾を吐きかけていたかもしれません。
「網走……」
「合流した後で知床への潜入を試みます。現在、マシガニオのメンバー十部隊が知床潜入の任務を帯びて作戦実行中です。知床への道は網走方面からと根室方面からしかありません。ギリギリまではヘリで飛び、そこから先は徒歩になります」
「徒歩……」
妻が青い顔をして反芻いたしました。
私は運転席側を向き、
「新政府は生存者を見殺しにするんですか?生き残って必死の思いで知床に来る自国民を撃ち落とす?ありえませんよ」
工藤が私の問いに対して答えに詰まると、大久保翁が口を開き、
「知床に住むことの許された住民は百万人ちょうど。これに例外は無いんじゃよ。ひとりたりとも百万人をオーバーすることは許されない。受け入れは絶対に無いんじゃ。自国民?やつらは我々を自国民などとは思っちゃいないよ。新首都に住む人間を新人【ニューハビタント】と呼ぶのに対し、外の旧文化にすがって生きている我々は何と呼ばれているか知っているか?」
私も妻も無言で首を振りました。
「和人じゃ。かつてこの北海道が蝦夷と呼ばれていた頃、アイヌという先住民がこの地に繁栄を築いておった。それを和人という我らの祖先が奪い取ったんじゃ。今度は和人の地を新人類が奪い取る番という訳じゃな。差別されておるんじゃよ我々は、新首都の人間とは」
「大久保様、そのようなことは……」
工藤のそんな横やりを遮って、大久保翁は話を続けた。
「お主はヘリで知床に辿り着けると思っているようだが、それも与太話じゃ。辿り着く先は野生の大国、険しい山々だけじゃ。あそこに平地がどれほどの面積で存在するのか知っておるのか?そんな所に百万人の人間が居住できるとでも?」
「存在しない。ということですか?」
いつの間にか大久保翁の表情が真剣なものになっておりました。
「存在はする。しかし、お主の考えているようなものではない。そして外に生きる我々「和人」と中に住む「新人」にさほど差は無いんじゃ……どちらも同等の苦しみに喘いで生きておる。」
この時、私にはこの老人の話は理解することができませんでした。
「下を見てみろ。旭川市から網走市まで続く中央道路だ。ロシア帝国への軍備を進めるため明治政府は囚人を使役して突貫工事を行った。何百人という囚人がこの過酷な自然の猛威の中で命を落とし、この道端に葬られたんじゃ」
聞いたことのある話でした。しかし、それが今回とどう繋がりがあるのかはわかりません。
「フン。わからんか。いいか、新首都は知床の地下じゃ。知床一帯に広がる火山帯の下に存在するんじゃ。旧首都の東京からも海底トンネルで繋がっておる」
「そ、そんなものをいつから開発していたんですか……聞いたことがない」
「あたりまえじゃ。知っておったのは一部の人間だけじゃ。知床の地下に百万人の居住スペースを作り、本州から物資を運び込める海底トンネルを作る。この難事業をわずか一年で日本政府は果たしたんじゃ。国家の金庫が空となり、多くの人的犠牲を払いながらこの新国家を創り出した。一国がその気になれば可能な話。いいか、知床はもう、我々の知る日本ではない」
「では、なぜ知床へ向かっているんですか。なぜ潜入部隊が組織されているんです」
今度は大久保翁が口を閉ざした。
やや時間をおいて工藤が、
「抗ウイルス薬が開発されたからです。新政府は密かにそれを保有しています。外に住む我々には絶対に必要な物なのです。ゾンビの腕を食べてもそれで生き残る確率は八千百二十八分の一.そんな賭けをしたところで我々の未来はありません。薬の奪取が今回の大きな目的です。知床の首都には我々の仲間もいます。彼らの決死の活動のお陰で初めて知床の入口が判明しました。どれほどの被害が出ようとやり遂げる覚悟です。特にあの女性、坂本祥子さんは……。しかしこの作戦成功にはあなた方ニオの力も必要なのです。ゾンビの中を動き回れるあなた方の力が……」
私と妻はこの北海道の地の支配権を争う渦中に、いやその最前線に駆り出されたというわけでございます。
いつの間にか外はすっかりと日が暮れ、漆黒の闇に包まれておりました。
何とも言えぬ不快感だけが私の胸に湧き上がってきておりました。
「おや。猿が騒がなくなったの……どれ、ちょっと袋から出してみるか……」
そう言って席を立つと、大久保翁は助手席の袋を手にして紐を緩めました。
私と妻が身構えます。
工藤が心配そうに何度も振り返りました。
猿はきょとんとした顔を袋から出して辺りを窺います。
先ほどまでの私たちに対する敵愾心など微塵も無い様子です。
大久保翁は、ずれた眼鏡を直しながらキラリと私たち夫婦を見やり、がっかりした表情で、
「昼型か……なんじゃ……完全体のニオでは無かったのか……」
それでは、この続きは私の命が続いた場合に更新させていただきます。
失礼致します。
 




