3章 終幕
第15話 終幕
国家の命運を握る一大軍事作戦「レインボー」
NO六六六地点、北海道上川市層雲峡温泉街。
作戦開始から八十八時間が経過。
任務遂行者の七名のうち、カラー・レッドは任務完了。
カラー・グリーン、イエロー、インディゴは順調に任務遂行中であり、有効な情報が数多く報告されている。
カラー・パープル、オレンジは任務遂行目前。
唯一カラー・ブルーのみ作戦開始初日で死亡したため破棄。
カラー・レッドの標的は依然としてウイルスを保有しながらも人間としての自我をはっきりと維持。肉体は完全に感染症状にあり、他の感染者の中にあっても襲撃を受けることもなく自由に実験場内を動き回っている。
この一点から見ても他地点とは比べものにならないほどの成果を上げている。
全任務の遂行の質をとっても八千百二十八地点の中で最も優秀な結果を導いたと言っても過言ではない。
ここで得られた数値や情報、サンプルは今後の首都防衛に大きく活かされることになる。
以上
この作戦は絶対に六日目を迎えることを許されてはおりません。
科学者たちの見立てでは、このウイルス感染を六日放置すれば世界は劇的に変わるそうです。そうなればもはや手の打ちようもなく人類は滅亡します。
カラー・レッドの坂本陽輔が、生き残りの集団の中で目を覚ましたのは、二千十六年九月二十九日午後四時三十分のことでございました。
ホテルの二階の一室。
焦げ臭さを感じながら坂本は静かに瞼を開いたのです。
すぐ目前には椅子に座った男。
あたかも眠り姫の目を覚ますために口づけでもしようとしているのかと思うほど坂本に顔を近づけておりました。
「高橋守か……」
坂本はすぐにその正体に気が付きました。
任務遂行の標的として感染者の肉を食わせた被験者です。
それにしても最後に別れた時とは雰囲気がまるで違います。別人のようでございました。
ギラギラとした熱い眼差しで坂本の表情を見つめております。
「しっ!あまり大きな声を出すなよ。他の連中はまだあんたが目を覚ましたことに気づいてはいない。静かに話でもしよう」
「なぜここに?何を企んでいる」
坂本がそう問うと高橋がゾッとするほど口角を上げてニヤリと笑いました。
(そうだ。何が違うのかと思ったら、こいつ笑顔が多くなったんだ……まるで感染者が生きた人間を見つけた時のような笑顔だな)
「借りを返さないといけない相手がいるんでね。まあ、あんたには関係の無い話だ。余計な詮索は無しにしようぜ。あんたにもまだやらなければならないことがあるんだろ?一緒にいたあの小娘……」
「知っているのか、居場所を」
「ああ。あんたのお陰で俺と麻由希はひとつになれた。そうするとどうだ……やつらは俺を恐れて誰も手を出してこなくなったんだ。俺は自由にどこでも行ける力を手に入れた。あの山岡の居場所も簡単にわかったよ!!」
「山岡?誰だそいつは」
「あいつの話になるとついつい興奮してしまう……そんなことよりあの小娘は三階だ」
「三階のどこだ!?」
「あんたがこいつらに余計なことを話さず黙ってここを去るのなら教えてやる。あんたは特別だからな。サービスだ」
坂本はチラッと奥にいる体格のいい男を見ました。
駒田光という名前の男です。カラー・パープル。
高橋が生存者に対して何を企んでいるか知りませんが、このカラーは標的と戦いその力を測るのが任務だと話をしておりました。
駒田に標的が高橋だと伝える暇が無かったのが残念ですが、いずれは発覚することでしょう。
そしてこの男の邪悪な企みも未然に阻止されるに違いありません。
「わかった。条件を飲もう」
「よし。小娘は三階だ。三一八号室」
「チッ!さっきのフロアか……」
「どうする?廊下はやつらで溢れているぞ。仮に無傷の状態であっても突破は無理だ」
「窓から行くさ」
そう軽く答えると坂本はベットを下り立ち上がりました。
この段階で周囲の生存者たちもようやく坂本の意識が戻ったことに気が付いた様子です。
感染者たちがこぞってドアを破ろうと突進を繰り返しています。
室内の人間たちは外の状況を固唾を飲んで見守っているところでした。
他の生き残りは傷を負っていないようなので、やつらがここまで興奮しているのは確実に坂本の血の匂いが原因です。
坂本の血は感染しているのでやつらを引きつける力は弱いはずだったのですが、もしかすると抗ウイルス薬の効果で人間の力を取り戻しているのかもしれません。
噛まれた箇所は数知れないのに症状が弱まっているということは、この抗ウイルス薬は凄まじい効果を持っていることになります。
どちらにせよここに居る生存者たちのことを考えると一刻も早くこの部屋を立ち去る必要がありました。
「何をする気だ坂本さん」
背後から駒田に呼び止められましたが、坂本は振り向きませんでした。
窓を開き、身体を乗り出します。
すぐ下にはやつらが唸り声をあげて彷徨っていましたが、坂本の血の匂いを嗅ぎつけて一斉に顔を見上げました。
「まるでステージに立つアイドルの気分だな。こんなに注目を浴びたことはない」
そんな冗談を独り言のようにつぶやきながら坂本はロッククライミングの要領で窓の珊や壁のへこみに足をかけて上階を目指します。
先ほどよりも身体が軽くなっているし、手足の自由は効きます。
本当に完治に向かっているのかもしれません。
だとしたら同じように感染している久門翔子も感染を免れているはずです。
上空を見上げると日が落ちて暗くなった空を十階、九階から立ち上る火がわずかに照らしておりました。
スプリンクラーなどの消火機器が効果を発したようで思ったより火の手は進んでいないようでございます。
三階の窓を叩き割って室内に侵入するとあっと言う間に室内を通過して廊下に出ました。
じっとしていても匂いで感染者を引き寄せることになります。
だとすれば可能な限り迅速な行動が求められました。リスクは承知の上。坂本の身体の中にある発信機が接近を桂剛志に伝えているはずです。それ以上の機動性がなければ追いつくことはできません。
予想に反して三階には感染者の姿がありませんでした。
おそらく二階の生存者たちの部屋に殺到しているからなのでしょう。
坂本は悠々と目的の三一八号室に到着しました。
銃を構えます。
銃弾は三発。
相手は歴戦の勇であり、おそらくは無傷。装備も完璧のはずです。勝ち目はありません。
(今までも随分と分の悪い戦いをしてきたが、その度に生き残ってきた……まあ、なるようにしかならないだろう)
坂本はためらうことなくドアの取っ手に手をつけました。
針金で簡単に鍵を開けます。
同時にドアに何かが当たる音がしました。
いや、銃弾が貫通する音です。
桂が持っているサイレンサー付の銃。坂本は左肩と左の脇腹を撃ち抜かれ、そのまま倒れ込みました。
ドアが開き、桂が油断なく銃口を向けて近づけてきます。
坂本の手にしていた銃を蹴り飛ばした。
その後ろからは沖田春香が怪訝そうな表情でこちらを覗いています。
間を縫って翔子が飛び出してきました。
一目散に坂本の胸に飛び込みます。
「お兄ちゃん、なんで来たの!?なんで!?」
坂本はそれには答えず、桂の方を向いて、
「まったく、怪我人相手に容赦が無いな、桂」
「お前は相変わらずあまい。隙が多すぎる。殺されるのがわかっていてなぜ来た?」
「よく言うぜ桂さんよ。どのみちお前に殺される運命なんだろ?お前のカラー・オレンジは感染者はおろか、係わった全ての人間の抹殺だ。全てを闇に葬る気だろうが」
「それが分っていてここまで来たとはな。潔いことだ」
「この子の最後の役目は俺を誘き寄せることだろ。おそらく俺に投与した抗ウイルス薬は劇的な効果を持っている。感染で死なないと分った場合の保険ってところか」
坂本のその言葉に沖田は静かに頷きました。
「信じられないことですが、坂本さんの身体からウイルスが死滅していっています」
それを聞いて翔子が涙ながらに叫んだ。
「抗ウイルス薬が出来たんだったらもういいでしょ。こんなこと続けて何の意味があるの?もう感染は脅威じゃなくなるのよ!」
沖田は気の毒そうな表情をするだけで何も答えません。
代わりに坂本が口を開き、
「こいつらが抗ウイルス薬を国民にばらまくことなどしないさ。むしろその存在をひた隠しにするだろう」
「ど、どうして……」
「この事件は実は他国からのバイオテロじゃないからさ。自作自演もいいところだ」
傷の痛みを堪えながら坂本がそう言い放ちました。
桂の眼光がより鋭くなり、
「そこまで気づいていたのか……相変わらず勘だけは鋭いな。そうだ。この作戦はG6(先進6国)主導のもと世界規模で行われた一大プロジェクトだ」
「某大国の仕業ってことにしてだろ。大方、BRICS(ブラジル・ロシア・インド・チャイナ・南アフリカ共和国)やOPEC、ASEANなどが力をつけていくにつれ、先進国がどんどん先細りしていくことに焦りを感じてたんだろ。このままじゃ世界の主導権は奪われてしまうと」
「ひどい。自国の国民に対してどうして……」
「さあな。どうせ超政治的理由ってやつさ。俺たち兵士はいつもその捨て駒」
ここでようやく沖田が口を開き、
「地球の資源に対して人類の数が多すぎるんです。環境も恐ろしいスピードで悪化してきている。それでも人口を増やし続け、経済の活性化のために環境を汚染していく国は増えるばかりです」
「先進国も昔はそうだったはずだ。自分たちがやっておいて後に続く連中にやらせないとは勝手な言い分だな」
「ええ、そうでしょうね。しかし、人間が生きていける地球の環境は限界に達しているようです。だからG6は自国の国民の数を百万人まで減らして再スタートを切る約束をしたんです」
「それ以外の国はどうなる?」
「滅びるんでしょう。人間の大部分の数が感染者となり、その肉体を使って環境改善に尽力することになる。地球は、人類はそうして生まれ変わるんです。この犠牲は生みの苦しみですよ坂本さん。人類再生のね」
「御大層な言い分だな沖田。それがお前の父親の意見なのか」
「もちろんです。今回の実験の成果によって日本はどの国よりも強固な国造りができるようになります。あなた方の死は決して犬死なんかではない。国の発展のため、新しい日本のための礎になったんです。名誉な事でしょう」
「ふふふ。ははは」
坂本は大きな声で笑いました。
翔子も驚きます。
沖田は、
「何がそんなにおかしいんです?」
「いや。そんな話を聞いて生き残った連中が黙っていると思っているのか?」
桂はそれを聞いて鼻を鳴らし、
「残念だがお前がそれを話して回ることはできない。ここで死ぬんだからな」
「ふふふ……ははははは!!!!」
「何がおかしい!」
「いやな、話してなかったが俺の身体にはカメラが埋め込んである」
「なんだと?そんなもんは事前のボディチェックで確認されているはずだ」
「最新式でね。この作戦に臨む前に左目と交換してきた」
桂と沖田が同時に息を飲みました。
「リアルタイムで東京のマスコミ関係者と繋がっている。ここまで起こったこと、お前たちが話したこと、すべてそのまま伝わっているんだ。悪かったな、言うのが遅くなって」
「なるほど、それで殺されるのがわかっていながらここまで来たのか。国に対する反逆罪だな。それがお前の復讐か?」
坂本は勝ち誇ったように、
「どうやら本当にあまいのはお前の方だったな、桂」
数時間後、左目をえぐり獲られた坂本は三階の廊下に投げ捨てられました。
銃弾跡から流れる血も止まることはありません。脇腹の傷は致命傷です。もはや歩くこともできない状態。傍には翔子が心配そうに付き添っております。
「俺の近くにいると感染者が寄ってくるぞ。離れろ。お前は逃げろ」
必死の言葉にも翔子は同意することはありませんでした。
坂本の手を取り、自らの頬に近づけます。
「私ね。もうギリギリの状態なんだ……自分でもわかる。もうすぐ、やつらのようになっちゃうんだよ」
皮膚がめくれて血が流れていました。
坂本の視界はほとんど無くなっていて目視できていませんでしたが、翔子の顔はズタズタな状態です。緑の液体が膿のように噴き上がっております。
「いやだな……そんな死に方はいやだよ。お兄ちゃん」
坂本はそう言って泣く翔子の頭を優しく抱きました。
「そう言えば、桂がお前を妨害者と呼んでいたが、そうなのか?」
翔子はしばらくじっと坂本を見つめていたが、やがてゆっくりと頷きました。
「どうしてカラー・ブルーを名乗った?実際の任務遂行者はどこにいたんだ」
「五階の露天風呂の脱衣室よ。石和麻由希っていう女」
「石和麻由希……」
高橋が熱中していた女だ。
感染者に殺され、その遺骸を高橋が食った。
「あの場所を感染者の分析用の部屋に活用しようとしていたみたいだけど……。トイレの中から色々な資料が出てきてわかったの。感染者をコントロールするための薬があったわ。効果は無かったみたいだけど」
「一般人では無かったわけか」
「表向きはね。ウイルスの基礎理論については玄人・素人問わず研究を呼びかけていたから、それでエントリーされたんじゃない。おそらく裏の世界じゃ有名な人だったと思うよ。どこかの組織に属してバイオ兵器を研究していたみたい。理論を確立したら懸賞金五億ドルだからね。主義主張なんて吹っ飛んじゃって、みんな目の色変えて参加していたわ」
「お前は?」
「私は逃げ出した口よ。母親はそりゃもう張り切ってたけどね。ある程度研究に係わっちゃったから追われてたの。そんな中であなたの噂を聞いた」
「ろくな噂じゃないだろ」
「気になる?噂通りのジェントルマンだったわよ。そして誰よりも強かった」
「お前に褒められるとこそばゆいな」
翔子が涙を流しながらにっこりと笑ったような気がしました。
やつらの唸り声が聞こえてきました。
獲物の存在を嗅ぎつけて興奮しているようです。
「悪いが、動くの手伝ってもらえるか」
「もう無理よ……」
「いや、そこまで行くだけだ。そこにピアノがあったはずだ。頼む」
三階の廊下の岐路があるところには使用しなくなったピアノが置かれていました。
翔子はなんとか坂本を支えながらやっとの思いでそこに辿り着きます。
やつらの唸り声も足音ももうすぐそこ。
命の終着駅は目前でした。
「弾けるの?」
坂本を椅子に座らせ、その横に翔子も寄り添うように座ります。
「作戦前に死ぬほど練習させられた曲があってな。弾かずに死ぬのも悔いが残る」
「そう。じゃあ、ずっと聴いてるね」
坂本は凍えて縮こまっている両手を鍵盤の上に置きました。
すぐ背後にやつらの気配。
坂本は頼りない指の運びでベートーベンの「月光」を奏でたのです。
やつらの唸り声が止まりました。
翔子は寝息をたてるようにして坂本の肩に頭を乗せて聞き入っております。
静かな時間が過ぎていきます。
思えばよく戦った。
何のために戦ったのか……。
国のため、名誉のため、そんな時も確かにあった。
常に自分の信じた道を進んできた。それだけは胸を張って言える。
無念な事など何も無い。
充分に生きた気がする。
横を見ると翔子の顔がすぐ傍にありました。
この子も充分に戦ってきたのだ。
自分と同じようにいろいろなことに耐えてきた。
残酷な最後ではあるが、誇りをもって死のう。
意識が遠のいてきます。
やつらよりずっと近いところに死が迫ってきていることを感じました。
翔子が低い唸り声を発しています。
もう自我は無いのでしょう。
坂本はそっと翔子の唇に口づけをしました。
生きているうちにしてあげれば喜んだかもしれない……。
坂本は最後にそんなことを思いました。
ピアノの音は、そこで止みました。




