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第13話 反転

第13話 反転


 数少ない生き残りのひとり高橋守たかはし まもるは、坂本陽輔さかもと ようすけの勧めに従って、五階露天風呂の脱衣室にて感染して果てた石和麻由希いさわ まゆきの遺骸を隅々まで食べ尽したのでございます。

 一大軍事作戦「レインボー」の任務遂行者カラーのひとりである坂本は自身の流血任務レッド・カラーをこうして果たしました。


 感染が始まって四日目、二千十六年九月二十九日。


 坂本と合流した任務遂行者カラーのひとり、創造任務ブルー・カラー久門翔子ひさかど しょうこは、感染の症状が危険域まで達しており、進行を抑える抗ウイルス薬の投与を必要としておりました。

 薬を所持しているのは九階に隠れ潜む任務遂行者カラーのひとり安全任務グリーン・カラー沖田春香おきた はるかでした。


 ドアの向こうの五階通路はやつらでひしめき合っております。

 露天風呂の方角からもやつらの唸り声が重なり合って聞こえてきます。

 愛する人の酷い姿を前にして、高橋が散々喚き散らしていたのが原因です。これ以上やつらを刺激すればやつらがここに殺到することになります。

 この脱衣室に監禁されているような状態となってしまいました。


 動きがとれずに時間だけが過ぎ去り、坂本は焦ります。

 翔子は息をきらしながら壁にもたれかかったまま微笑みながら坂本を見つめていました。

 その表情からは将来の展望に観念した様子がありありと見られました。

 高橋は未だ這いつくばって茫然としております。


 何も出来ずに午後三時を過ぎた頃です。


 日暮れが近づき、窓の外も薄暗くなっておりました。

 その静寂を引きちぎる乱暴な獣の咆哮がホテルを包んだのです。

 それは爆発音のような、地面が裂けマグマが放出されるような迫力に満ちた音でございました。


 窓の向こうの屋外から聞こえ、ドアの向こうの屋内からも聞えてきます。

 沖田が言っていた感染者の天敵たちが放たれたのだろうと坂本は予想しました。

 コンピューター制御された六匹のヒグマたち。

 誰の仕業かはわかりませんが、おそらく任務遂行者カラーのひとりがどこかで操作しているはずです。掃討任務インディゴ・カラーの何者かが。


 ドアの向こうでは一体どんな光景が繰り広げられているのか……激しくぶつかる音や地面を踏みしだく音、獣の咆哮、様々な音がごちゃ混ぜになってドアを揺らします。


 「今ならここを出られるな」


 坂本は懐から銃を抜きました。こうなると銃声など気にする必要もありません。


 「やったー……サファリパークに行ってみたかったんだよねー」


 力なく翔子がそう返答しました。


 高橋は這いつくばって地面を見つめたままです。


 坂本はここで高橋とは別れるつもりでいました。

 最後まで見届ける責務はありません。おそらくその任務は、九階で沖田と隠れ潜んでいる任務遂行者カラーのひとり黄昏任務オレンジ・カラー桂剛志かつら つよしの仕事でしょう。


 「念願が叶って良かったな。実際の熊はお前の想像しているような動物とは違うぞ。がっかりするなよ」


 「どうかしら。熊のプーさんかもよ」


 「フン。人間性が低下するのはやむを得ないが、幼児化するのは困るな。手がかかる」


 坂本は翔子を背負い脱衣室を出ます。


 取り残された高橋は周囲の変化にまるで気が付かず、自分の世界に籠っていました。


 廊下はまるで地獄絵図。

 バラバラにされた感染者の身体の部分が所構わず散らばっております。

 それがビクビクと魚のようにのたうち回っているのです。

 さしずめ揺れ動く血のカーペットというところでしょうか。


 肝心の熊の姿はありませんでした。

 他の獲物を探しにここを離れたに違いありません。


 「お兄ちゃん。お願いがあるんだけど」


 坂本の首元で翔子がそう口を開きました。

 子どもの息遣い。

 しばらく前に共に行動していた任務遂行者カラーのひとり防護任務イエロー・カラーの円熟した女の香りとは対称的でした。

 男を知らずにこの世を去ることになる翔子が憐れにも思え、またなぜか尊くも思えました。


 「なんだ?プーさん探しなら御免だぞ。お腹いっぱいで巣穴に帰ったんだろう」


 「それは残念。お兄ちゃんと熊の戦闘バトル楽しみにしてたのに……」


 まだ皮肉を言う元気はあるようです。

 翔子は言葉を続けます。


 「九階に行くなら私たちの部屋にも寄ってほしいんだけど」


 「なぜだ?」


 「部屋に元気になる薬忘れてきちゃったんだ……」


 「元気になる薬?抗ウイスル薬のことか?」


 「違う。いつも使っている薬。これが無いと頭がぼやけてきちゃうんだよね。勉強し続けていると集中が切れちゃうでしょ。そんな時に母親が打ってくれたんだ。一気に頭が覚醒するの」


 そこまで聞いて坂本には薬の正体がわかりました。

 ドラック漬けにしてまで娘に勉強させる親の気持ちは理解できませんでしたが……。

 坂本の両親は、坂本が小さい頃に亡くなっていたので親と子の関わり合いがどんなものなのかよく知りませんが、到底許される話ではありません。


 坂本の内に今までに感じたことの無い怒りが込み上げてきました。


 こうまでしてこの子を追い込む翔子の親に対して。


 それは同時にここまで自分たちを追い込んだ国に対して、軍に対して、沖田勝郎おきた かつろう将補に対しての憤りでもありました。


 そして、こんなウイルスを開発した世界に対して。


 こんな実験を敢行する日本に対して。


 国と国とが争わなければ成り立たない人類に対して。


 それは「人間」に対しての怒りだったのかもしれません。 

 または自分自身への怒り。

 なぜこうなってしまったのかなどという理屈は関係なく、現状を作り上げたすべてのものに対し純粋な怒りを覚えたのです。


 通路の突き当りにあるドアを開いて非常口に出ました。


 六階、七階、八階、九階と駆け上がっていきます。


 「お兄ちゃん見て、綺麗な夕焼けね……」


 柱状節理の岩肌に黄昏の光が反射しておりました。


 自然は何億回、何兆回とこんな美しい光景を繰り返してたのでしょう。なのに人間は醜い姿を晒し続けております。


 「滅びるべきなのかもしれないな……」


 ふとそんな言葉が坂本の口をつきました。

 つぶやきにも似たもので背の翔子の耳には届かなかったようです。


 「夜が来る前が一番好き。切なくなる」


 また翔子が泣いているようでした。


 九階の通路に出ました。

 肉眼で見える範囲にはやつらの姿はありません。

 部屋のドアノブに鍵を差し込んだままそれを折ってしまったので、直接部屋に入ることができません。

 隣の部屋から入り、ベランダを伝って侵入するしか方法はないのです。

 もちろんドアをぶち破って入ることも可能ですが、そこに感染者たちが押し寄せると防ぎようがなくなります。


 坂本はピックの技術で他の部屋の鍵を開け、室内のベットに翔子を横たわらせました。布団を優しく掛けて休ませます。


 坂本は窓を開き身を乗り出しました。

 歴戦の勇を誇る兵士には楽な仕事です。

 辺りはすっかり暗くなり、眼下の裏庭にはオレンジの街灯が灯っておりました。

 時折そこから大きな雄叫びが聞こえてきます。馬鹿でかい黒い影が動いたりしていましたが、坂本はまったく気にすることなくスイスイと隣に移っていきます。


 肘で窓を割り、室内に侵入しました。


 翔子の荷物を探します。


 机の引き出しや洗面所などを捜索するが見当たりません。


 枕の中からようやく目的の物を発見した時には随分と時間が過ぎていました。


 内線を鳴らし隠し場所を聞こうとも思いましたが、その音でやつらを引き寄せる可能性があったので結局は自力で見つけることになったのです。


 と、内線電話が鳴りました。


 不審に思いながらも受話器を取ります。


 「坂本か……」


 桂の声。


 「ああ。この後すぐに抗ウイルス薬を取りに行く」


 「無駄だ。諦めろ。もう薬は効かない」


 バッサリとした桂の発言に対し、怪訝そうに坂本が聞き返します。


 「どういう意味だ?沖田は可能性があると言っていたぞ」


「 お前をあの場から引き離すための方便だよ。今頃、被験者は裁定任務パープル・カラーの男と合流しているはずだ。この娘はもうどうしようもない。直にやつらと同じになる」


 「この娘?」


 坂本はハッとしました。

 しかし壁の向こうの様子は窺えしれません。


 「悪いが捕獲させてもらったよ。ここからは俺の任務が始まるからな」


 「なんだ、桂、お前の任務は?」


 「何度も言わせるな坂本。俺はここの後片付けをするだけだよ。感染した人間はひとり残らず抹殺する。それが女、子どもでも。昔の戦友でもだ」


 「あの娘を返せ。どちらにしても俺たちは死ぬ。抗うつもりはない。せめて最後くらい気ままにやらせてくれ」


 「お前はそうでもこの娘は違う」


 「俺たちは任務を果たした。自由の身のはずだ」


 「この娘は果たしていない」


 「カラー・ブルーの事か」


 「カラー・ブルー?この娘が任務遂行者カラーのひとりだと?」


 「そうだ。貴重な情報を提供してもらった」


 「馬鹿な。この娘がそう言ったのを信じたのか?であれば、お前は救いようのないお人よしだな。この娘は妨害者カーリーだ。カラー・ブルーは他にいる」


 「なんだと?」


 「情報は事前に漏れていた。これほどの大規模な軍事作戦だ。関与している人数は十万を下らない。すべてをシャットダウンすることは不可能だった。嗅ぎつけて妨害を企てる者の数もまた相当数いる。作戦開始前にそう言い含められていたはずだが」


 「馬鹿な……」


 「隙の多い男だからな、お前は。小娘の方が近づけやすいと考えたんだろう。まんまとその手にのったな」


 翔子が作戦の妨害者……にわかには信じがたいが、最初の出会いが怪しかったのは事実でした。しかしここまで妨害らしい妨害などなかったはずです。


 「この娘の情報は作戦遂行に対し、危険水準にある。悪いが死んでもらう」


 「6、28、496、8128……の話か」


 「その数字は他言無用だ。知った人間は死ぬことになる」


 「翔子が妨害者とわかっていて放したな。なぜだ」


 「もうお前には関係無い話だ。ご苦労さん。お前は見事勤めを果たした。それで充分だろ。名誉は回復したはずだ。お前は国のため、人類の存亡のために名誉ある戦死を遂げたんだ」


 「それで俺が納得するとでも思っているのか」


 「まあ、思ってはいない。情け深い男だからな。しかし諦めろ。お前にはセンサーがついている。俺たちを見つけることは絶対にできない」


 「そうか……だったら俺は高橋を殺す。お前の任務は見事に失敗ってことだ」


 「面倒な男だなお前は……好きにしろ」


 電話がぶつりと切れました。


 これより坂本は翔子の救出のためホテル内を彷徨うこととなるのでございます。


 すべてを敵に回して。


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