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第10話 そして二三二号室へ

第10話 そして二三二号室へ


 任務遂行者カラーのひとり坂本陽輔さかもと ようすけは二階レストランで二人の生存者と遭遇しました。

 坂本は、精神状態が錯乱し始めた料理長の要求を飲み、受付にある内線電話を奪取しに厨房を出ました。

 

 厨房にいる料理長は、もうひとりの任務遂行者カラーである標的ターゲットで、命をかけて坂本が動く義理ありません。

 坂本の思惑は別にありました。

 李の任務は坂本が失敗した場合の補完的なものであり、坂本の任務が成功した場合はその存在意義を失います。

 つまり坂本の任務の方が優先度は高いのです。

 標的ターゲットを横取りしても問題はないということになります。

 坂本の任務成功の鍵は生存者の発見と確保でしたが、それ以上の問題は相手が正常の精神状態では困るということでした。

 正直、いかれているに越したことはないのです。

 それが悪人であれば余計に都合がいい。

 これらは単に坂本が感じることになる罪悪感の度合いの問題なのですが……。


 よって坂本は受付に備えられている内線用の電話以外にもうひとつ大事な物を持ち帰るつもりでいました。

 厨房に籠城していても決して手に入れることのできない物です。


 通常であれば厨房から受付まで走って十秒とかからない距離でしたが、今はそう簡単にいかない事態でした。五歩進むにも至難のわざです。


 坂本は厨房から持ってきた細い肉切り包丁を手にして物陰に隠れます。


 店内は朝日が差し込み視界は開けておりました。


 右の机の上にはバイキング用の皿が積まれています。

 その奥には客の目前でステーキを焼く鉄板。夜の食事時が終わり片づけてから事態が一変したのでしょう、綺麗に洗われておりました。


 百席ぐらいはある店内の反対側に掛けられている時計に目をやると午前七時。

 いつもだったら朝のバイキングで混み合っている時間帯です。

 しかし今はうろうろとさまよい歩く感染者の数が二十ほど。

 テーブルやイスに身体を接触させながら狭い導線を行き来しておりました。


 駆け抜けて受付まで進む間に三人はすれ違うことになります。

 気づかれれば残りがあっという間に取り囲んでくることでしょう。

 坂本といえども迂闊うかつに前に出ることができません。


 坂本は皿を一枚手に取って、それをはるか向こう側に投げてみました。

 床に落ちて大きな音をたてます。

 一瞬だがやつらの動きが止まり、音がした方向へ身体を向けます。寄っていくかと思われましたが期待外れでした。さほど興味を持たずにまたそれぞれが勝手に歩み始めます。


 「さあどうするの?」


 背後から坂本の耳元に息を吹きかけるように李が声をかけてきます。

 こちらが欲情するのを楽しんでいるかのような仕草です。


 「やつらは鼻が利く。店内が血の匂いで充満しているから気づかれていないが、ここでじっとしていればいずれお前の香水の匂いでばれるな」


 「あら、私を囮に使うつもり?それで標的ターゲットを独り占めする気?」


 「それはいい案だ」


 李はむくれて口を開かなくなりました。

 もちろん坂本も本気でそれを考えているわけではありません。ここに密集されては坂本も動きがとれなくなるのですから。


 「背に腹は代えられないな……爆薬を使うか……」


 「やめてよ。ここが火事になったらどうするの?屋外にもやつらはひしめいているのよ」


 「冗談だよ」


 「本気の目だったけど」


 「その気は無いのに女にはいつも本気にされる」


 ああそう、という感じで李が首をかしげました。


 「強行突破はどう?」


 「駆け抜けるならいけるが、戻ることができなくなるな」


 「あなたはそうすれば?」


 「お前はどうする?」


 「向こう側から電話を投げてくれれば、私がそれをここでキャッチして問題は解決よ」


 なるほど。

 つまり坂本が囮になるというわけです。厄介払いもできるし一石二鳥の案なのでしょう。だが坂本に一文の得も無い話でございました。


 「代わりに情報を提供するわ。生存者の居場所。これでどう?」


 「どこだ?」


 「この二階の奥のフロアよ。二三二号室と隣の二一八号室」


 「そこの宿泊客が生き残っている可能性は?」


 「バイキングであの食品には手を出していないわ。おそらく部屋に籠って震えているはずよ」


 「宿泊客全員が何を口にしていたのか見ていたのか?」


 「もちろん。そのためにここで働いていたんですから。誰が感染していて、誰が感染していないのか見極めないと任務を遂行なんてできないでしょ」


 (だったら事前にこの感染を食い止められたんでは?)


 と、言おうとしたが坂本は思いとどまりました。それをしたのでは自分たちがここに送り込まれてきた意味が無いのです。

 どちらせよ日本全国でこの感染は発生しています。目先の情に流されていたのでは何も成し得ません。

 自分がその立場でも同じ態度をとっただろうと坂本は思いました。

 彼女を責めることなどできやしません。


 「ひとつ聞いていいか」


 「どうぞ」


 「ここの料理長はなぜウイルス混入を事前に知っていた?」


 「さあ。ウイルスのことまでは知らなかったでしょうね。金を積まれて某国の輸入品を使用していたのよ。除草剤や害虫駆除の薬、大気の汚染、土壌の汚染、大国の劣悪な環境で大量栽培されてきた安価な有毒食材なんていくらでもあるわ。あなただっていくらでも口にしているはずよ。まあ、そのタバコが一番有毒だと思うけど」


 「そうとは知らずに使っていたということか……」


 「さすがにこうなると知っていたら使わないでしょうね。でもこんな事態になって、もしかしたらって気づいたのかも。あの食材を口にしてないのはこの店内の従業員では私と彼だけだし。私もそれとなく伝えたから……それで自分を責めておかしくなってきたんじゃないかしら」


 だとしたらあの男も被害者だと言えるでしょう。国が許可した輸入品を使用しただけのことです。自分が口にすることを拒むような物を客に提供していることは許しがたいですが、そんなことは世界中の日常茶飯事。彼だけを責めることなどできやしません。


 「お前はさっきウイルス混入を知っていたと言っていたはずだが?俺の聞き間違いか?」


 「フフ。そう言ってあげたほうがあなたの任務は遂行しやすいかと思って」


 「男の胸の内を読むのはお手の物ってところか」


 「褒め言葉として受け取っておくわ。実は彼、意外に従業員には優しかったのよ。私もそれなりにお世話になったし。あなたが別の標的ターゲットで任務遂行してくれれば彼は助かる」


 「なんだ。意外に義理堅いな。あいつに抱かれたのか?」


 李はにっこりとほほ笑んで答えませんでした。


 「受け損なったら電話は壊れて終わりだぞ。しっかり受け止めろよ」


 坂本の決心は決まり、そう言って李に別れを告げました。


 「心配しないで。男からの贈り物は大事に受け止めるタイプよ。次会ったらお礼にキスしてあげるわ」


 聞き流して坂本は猛然と駆けました。


 低い体勢で一気に目前の感染者の横をすり抜けます。

 相手は気づきもしていない様子でした。


 二番目の感染者にはさすがに目にとまったようで、唸り声をあげて坂本に突っ込んできます。

 それを紙一重でかわすと、受付はもう目と鼻の先でした。


 正面に三番目が立ち塞がります。

 右に行くと見せかけて左へ。

 坂本が巧みなフェイントで三番目を躱しました。


 その時には店内は唸り声と歓喜の雄叫びで満ちておりました。

 テーブルやイスをはねのけ、やつらが一目散で集合してきます。

 先ほどまでのそりのそり歩いていた姿が嘘のようでございました。


 受付に到着すると一秒も惜しいようで、坂本は電話のケーブルを引きちぎり、一瞬だけ辿ってきた道筋を振り返って電話を投げます。

 まるでアメフトの試合のように、追いすがる集団の頭上を越え、真っ直ぐに李の方向へ飛んでいきました。


 李は両手でそれを受け止めると、


 「グッジョブ!!!」


 大きな声をあげたのです。

 それで集団の足が止まり、李の方に振り返りました。

 李は慌てて厨房へ駆けます。


 坂本もこの一瞬の間に助けられ、店を出て廊下へ駆け出せました。

 それでも追ってくるのが数人います。

 手前にいた感染者に回し蹴りを食らわし吹っ飛ばすと、また駆けました。


 宿泊用の客室は同じフロアでも新館、旧館と別れていてレストランとは別の棟です。そこまでは駆け続けなければなりません。


 坂本は二一八号室と二三二号室に近づいていきます。


 二一八号室は石和麻由希いさわ まゆきと幼馴染が、そして二三二号室は高橋守たかはし まもるがそれぞれチェックインした部屋でございました。


 こうして坂本陽輔は高橋守と運命の出会いを果たすことになるのです。



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