第7話 再会
第7話 再会
久門翔子は坂本陽輔と離れてから間もなく感染者に襲われました。寸前のところを沖田春香という少年に救われ、二人は七階の客室へと避難していたところです。
「随分と何も無い部屋。ほんとにここに宿泊してるの?荷物は?」
翔子はずかずかと室内に入り込むと辺りを見渡してそう言いいました。
沖田は苦笑して何も答えません。
「まあいいわ。そんなことよりどうやってあの店に行くかよ」
腕を組んで独り言のように話を続けます。
先ほどの恐怖はどこへ消えたのか、沖田は感心気にそんな翔子を見つめていました。
「さっきのハゲおやじも復活しているだろうし……このスプレーで撃退するしかないか」
階段から七階フロアに転がり落ちたアルコール消毒液を、翔子はしっかり拾い上げてからこの部屋に訪れていました。
「翔子さん、でしたっけ。それがあいつらに効果あるの?」
面白そうに沖田が口を開きました。
翔子は一瞥すると、ニコリと笑って、
「そうよ。私の身体に触ろうとするやつはこれで両目をやられるの。あなたも気を付けたほうがいいわ」
「いやいや、そんな存分ありませんがね」
今度は沖田が独り言のようにつぶやいて手を振りました。
「それにしても間が悪いですね。こんなタイミングでこんな所に来るなんて。お連れさんは?」
沖田がそう言いながら手渡してきたペットボトルの飲料水を、翔子は礼も言わずに受け取ると、一気にグビグビと飲み干します。恐怖と緊張でよほど喉が渇いていた様子でした。
「私は出家よ。あなたと違ってダンディな中年男性と一緒。とっても強いのよー。今頃私を探して必死になっているはず」
「でいえって……家出のこと?それに今どき、援交ですか?」
翔子はジロリと沖田を睨みつけ、
「下種の極みね。プラトニックな関係よ。そんなことよりあなたはどうなのよ。まあ、この荷物の無さを見たら一目瞭然だけどねー。どうせ出家でしょ?私と一緒じゃない」
「僕にはそんな親不孝な真似はできないなあ。してみたいけど。どちらかと言うと僕は父親の言いつけでここに来たんですよ」
「へー。興味ないけど」
そう言って翔子は玄関口のドアに近づき通路の様子を窺ってみます。
誰もいません。これならば行けそうだ、と判断したとき、
「ウー!!!」
僅かに開いたドアの隙間に突然目と口が現れました。
翔子は驚いてのけぞります。
先ほどの小太りの中年男性です。血走った目がギロリと翔子を捉えました。
チェーンロックのおかげでドアが大きく開くことはありませんでしたが、その隙間から腕が入り込んできます。
その指先が翔子の髪に触れようとした瞬間、その腕を射るような沖田の蹴り。 踏み込みから腰の回転、そこから放たれる長い脚、まるで一陣の疾風のようでした。
ガチャーン!!
チェーンが大きな音をあげます。
「早く奥へ!君の足の傷口がやつらを引き寄せてる。君がいると僕の音の効果が薄れるんだ、早く奥へ!」
沖田に強く言われ翔子は部屋の奥へ駈け込んで襖を閉めました。
そして膝の傷口を抑えます。
閉められた襖の向こうから沖田が奏でるバイオリンの音色が流れてきました。
七階の通路を奥へと目指していた坂本は、背後でバイオリンの音を聞きました。
これを奏でている者が任務遂行者のひとりであることは容易に推測できました。事前に聞いていた話の中にこのメロディが感染者の攻撃性を抑制する効果があると聞いていたからです。
格闘中であった目前の感染者二名の動きもやや緩慢になっています。
(なるほど。確かに効果があるようだ。しかし……)
目前の二人の奥にまだ人影があるようでした。
僅かなダメージも受けてはいけないという束縛のなかでの戦闘は、想像以上の疲労とストレスを坂本に与えております。これ以上相手が増えると捌ききれない可能性がありました。
(あのドラ猫がここをかいくぐって先に行ったとは思えないが……どうする……)
迷いが坂本に一瞬の隙を作ってしまいました。
右手にいた男の爪が坂本の頬を裂いたのです。
反射的に上段蹴りを放ち、それ以上の距離を詰めさせはしませんでした。
(し、しまった……)
頬に触ってみると皮一枚切られたほどの傷。指先に滲むように微量な血がついております。
その匂いをかいで目前の二名が興奮の声をあげました。
さらに奥から走ってくる影。
こうなるともはやバイオリンの音は効果が無いようです。
「坂本、こっちだ!!」
背後で自分の名前を呼ぶ声。
振り返ると桂剛志がこちらを向いて立っておりました。
右手にはサイレンサー付の銃。
坂本は瞬時に走り始め、ほぼ同時に感染者二人も駆け出すします。
シュン、シュン
桂が引き金を引くと、頭を撃ち抜かれた二人が背後に吹っ飛びます。
その後ろから猛然と走り込んでくる女性に対しても、桂は容赦なく銃口を向けます。その女性はバーの店員でした。明るく気さくな表情は消え去り、歯茎を剥き出しにして白い涎を垂らしながら迫ってきます。
シュン
弾が発射された音。
女性も脳を吹き出しながら吹っ飛びました。
桂の銃の腕は凄まじく正確です。
「まさか、お前の助けを借りることになるとはな……。すまない」
「いいから来い。ぼやぼやしているとやつらが起き上がる」
「頭を正確に撃ち抜いていたぞ」
「意味が無い。脳を破壊してもやつらはとめられないんだ」
そんな桂の言葉通りにやつらがゆっくりと立ち上がろうとしています。
低いうめき声が漏れてきました。
「その傷。まさか、やられたのか?」
「ああ。不覚だった」
「チッ!お前のことだ、どうせ女、子ども絡みだろう。つくづくあまい男だ」
「返す言葉もないよ」
「いいから来い。特効薬がある」
「本当か?このウイルスに対抗できる薬が開発されているのか……」
桂が銃を構えながら後退するのに坂本も続きます。
桂はチラリと坂本を見て、
「期待はするな。開発段階のものだ。効果があるかはわからん。試作品を人体で試すのがカラーグリーンの任務だ」
「お前の任務か?」
追ってくる感染者三人の額にまたも桂の銃弾がめり込みます。
今度は倒れてもすぐに立ち上がってきます。
「いや、連れの任務だ」
一方、翔子と沖田の二人は、
「何か方法は無いの?例えば他の部屋にあいつらを惹きつける方法とか」
なんとか感染者の侵入を防いだ沖田に向かい翔子がそう尋ねました。
突然ドアを開くという失態に対しても、翔子には何の反省の色もありません。 失敗は成功の基、というのが翔子のポリシーです。
沖田もそんな翔子の行動を注意するわけでもなく、思案顔でしばらくいた後
「誘導か……なるほど、面白いことを考えつきますね。窓を伝って他の部屋に侵入すれば仕掛けはできるな。スマートフォンのアラームが使えるか……」
「そんな悠長な時間は無いの!こうしている間にもお兄ちゃんが……」
耐えられないといった感じで翔子が顔を両手でふさぎました。
「お兄ちゃん?なんだ兄妹旅行ですか。それにしてもどうしてあそこのバーなんです?確かに食料はいろいろありそうだけど……もしかして翔子さんのお兄ちゃんはアル中とか?」
言った瞬間に翔子の平手が沖田の左頬を赤く腫らしました。
怒りに燃えた目。
「あんたには頼らない!私ひとりで行くわ!」
そう言うと翔子はまたドアの方に近づいていきます。
沖田はひとり茫然と立ち尽くしてその後ろ姿を見送っておりました。
「最近の女の子はどこが地雷なのかわかりにくいな……」
ガン!
と、ドアが勢いよく開かれ、翔子がまた飛び上がって驚きました。
しかしその後、待ち焦がれた声が聞こえてきたのです。
「こんなところで油を売ってやがったか、このドラ猫」
慌ててチェーンをはすずと疲れ切った表情の坂本とともにレスラーのような体躯の男が一緒に入ってきました。
「お兄ちゃん!!」
翔子が坂本の胸に飛び込みます。
坂本はフッとため息をつきました。
「やつらよりいいダッシュだ」
翔子の頭の上で坂本の皮肉めいた言葉。見上げると坂本が優しい目でこちらを見ています。翔子の目から涙がこぼれ落ちました。
「まったくお似合いのカップルだ」
沖田の横に立った桂がそうつぶやきました
この時から坂本は己の命のタイムリミットと戦うことになるのでございます。




