表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/94

第6話 カラー・グリーン

第6話  カラー・グリーン


 久門翔子ひさかど しょうこはやつらの襲撃を逃れ、十階のフロアから七階にあるバーを目指して階段を下りていました。


 薄暗い照明の中、グレーの壁に寄り添うように進みます。

 いつもだったらすんなり下りられるような階段ですが、恐怖と混乱で足がもつれます。

 心細くなり、坂本のいる階に戻ろうと何度も考えましたが、彼の言葉を信じて振り返るのをやめました。

 必ず後を追うと言ったのです。


 八階の踊り場でつまづき転倒したときに、消毒液の入った容器を手放してしまいました。容器は翔子より先に階段を転がり七階へと落ちていきます。慌てて起き上がろうとすると右足首に痛みが走りました。膝もすりむいて血が滲んでいます。


 「お兄ちゃん……」


 自然と声が出ました。


 と、自分の耳を疑いたくなる音が聞こえてきたのです。


 コツン、コツン……


 下の階から誰かが上ってくる足音。


 逃げ場を探すのですが、挫いた右足首が悲鳴をあげます。

 翔子は踊り場に高く積まれたダンボールに掛けられている布をとって潜り込みました。薄く白い布きれ。いかにも頼りない。それでもこれにすがるしかないのです。


 コツン、コツン……


 足音が近づいてきます。


 翔子は息を殺しながら祈りました。


 (どうか気がつかないで……)


 コツン、コツン……


 ついに足音は目の前に……。


 コツン、コツン……


 ……通り過ぎていきました。


 (良かった……)


 ほっとしたのも束の間。

 通り過ぎた足音はピタリと止まりました。

 クンクンと匂いを嗅ぎだした。

 信じられないことにこちらに戻ってくるのです。


 (どうして……どうして……)


 コツン、コツン……


 翔子には足音と自分の高鳴る心臓の鼓動しか聞こえませんでした。


 ガサリ


 布に手をかけた音がしたとき翔子は心臓が止まりそうなほど恐怖しました。 

 ゆっくりと布が開かれていきます。

 ホテル用のスリッパをはいた足が翔子の目に飛び込んできました。


 「どうしたんだ?こんな所で?」


 小太りの中年の男が不思議そうにこちらを見ています。


 襲ってくる気配はありません。


 「非常ベルは止まったようだが、まだまだ安心はできないぞ。こんな所にいちゃいけない。一緒においで」


 翔子に手を差し伸べてきました。

 そして言葉を続けます。


 「キミは何か持っているかい?なぜかここからいい匂いがしたんだ……たまらない美味しい匂い……食欲をそそられる匂い……焼きたてのステーキでも持ってるのかい?」


 そう話す男の口元から、白い涎が流れるようにして下に垂れました。


 「ほら、早くおいで。ここは危ないぞ。襲われでもしたらたいへんだ。おじさんと一緒に隠れよう」


 動かない翔子の肩に男の手が触れました。

 ビクリとするだけで翔子は動けません。

 声も出ないのです。


 翔子を見つめる男の目は血走っていました。

 獣の目。

 獲物をいたぶる目……先ほどから何度も見てきた目。

 翔子の肌に鳥肌が立ちます。


 相手が抵抗しないことを知ると、男の行為は大胆になっていきました。

 翔子の左腕をとり、シャツをまくり上げるとそこに頬ずりをし始めたのです。

 気味の悪い液体が腕を汚すのを翔子はまるでテレビの向こうの光景のように眺めていました。

 暴行から自らの心だけは防衛するすべ

 それは翔子が経験から学んだ唯一の方法でした。

 

 「なんて張りのある肌なんだ……この弾力……う、うまそうだ……うまそう??そ、そうだ。若い娘は美味いんだ!!おお、なんと美味そうなんだ!!」


 歓喜の声をあげながら男の舌が翔子の顔に近づきます。



 一方、十階で感染者三人と向き合っていた坂本陽輔さかもと ようすけは、銃を手にしたものの躊躇っていました。

 ここで大きな音をあげれば隣の部屋に突入したやつらがこちらに向かってくるだろうからです。そもそも銃で撃ったとして倒せる保証がありません。


 牙をむいて襲いかかってくるひとりをかわし、その胸に蹴りをくらわすと相手は階段下に転がり落ちていきました。


 「チッ!」


 それを確認して坂本は遠慮無く舌打ちしました。

 翔子を追う道筋を塞がれた形になったからだです。


 間髪入れず背後からもうひとりが襲いかかってくるのを感じました。

 平時であればその腕を取って投げ捨てるのですが、なるべくなら接触は避けたい。態勢を低くするとそのまま相手の脚を払いました。

 息もつかせずもうひとりが猛然と突っ込んできます。

 坂本は地を這うように転がってその先鋭を躱すとすぐに立ち上がり、すれ違ったひとりの背中に飛び蹴りを入れました。

 壁に勢いよく衝突し反動で大きく跳ね返って倒れます。


 考えずとも勝手に身体が動く。

 数限りなく潜り抜けてきた修羅場と血の滲むような訓練の賜物でありました。


 坂本は深追いせずに通路を奥へと走り、別のルートで下の階を目指します。やつらが追ってくる気配がありましたが、速度はこちらの方が上でした。

 突き当りの非常階段のドアを開くと、屋外のらせん階段になっています。

 雨と風が闇夜の中から吹き付けてくるなかを坂本は一気に七階まで下りました。


 七階の廊下は静かでした。

 直線の通路を早歩きで進んでいきますが、誰にも遭遇しません。

 階段前を通過。

 すると向こうに人影があります。

 翔子かと思ったが、身長が高い。ふらふらと千鳥足で歩んでいます。感染者です。その奥にもひとりいるようでした。

 待ち合わせの場所はその向こうのバー。

 翔子単独ではここを突破できなかったはずです。


 (あのドラ猫め、どこに行った!?)



 一方、八階の踊り場で絶体絶命のピンチに陥っていた翔子。

 男の舌が翔子の頬に触れる瞬間、男がグッと引き戻された。


 「オヤジ狩りってダサいからイヤなんだけどなあ、まあ状況が状況だから」


 悶える男の背後から妙に明るい声が聞こえてきました。

 ひょいと顔を覗かせてきたその表情は驚くほどに笑顔でした。そして若い。翔子より幾分か年上という程度でした。声を聞かなければ女の子と見間違えるほどの美形の少年です。


 「な、なんだ、お前は!!?ん……お、お前も美味そうな匂いがするな」


 「あらあら、末期症状ですね。こりゃダメだ」


 少年に振り返った男が舌なめずりをして迫っていきました。

 少年は随分な余裕ぶりで一向に逃げようとしません。


 「うー!!!うー!!!」


 男が唸り声をあげました。

 少年の首に食らいつこうとしたとき、翔子の脚の金縛りが解け、男の背に体当たりを食らわしました。

 男は悲鳴をあげながら階段を転がり落ちていきます。


 「わお」


 少年は素直に驚いたという表情をして翔子を見ました。


 そして自分自身を指さして、


 「あれ?僕が助けられたってこと?」


 「いいから、ここを逃げよう!!」


 翔子が少年の手を引き七階へ。

 転がり落ちて呻いている男の横を通り過ぎます。

 右足首の痛みが激しく翔子を襲いました。


 「ちょっと待って、待って、この先は不味いな。ここに僕の部屋があるからここに逃げ込もう」


 そう言って少年が立ち止まります。

 翔子はキッと睨みつけて


 「随分と革新的なナンパね。この状況だと効果的だわ。命を助けてもらったけど、だからって喜んで身体を許すとでも?」


 少年は参ったなという表情をして、


 「そんな気はないですよ。僕はもっとおしとやかな女性が好みですし……」


 「悪かったわね大和なでしこじゃなくて。私もチャラチャラしたのは好みじゃないのよ。だったらそこのハゲおやじの方がましだわ」


 指さすとちょうどその男が起き上がるところでした。


 「面白い子だなあ。僕は沖田春香おきた はるか。君は?」


 客室の部屋の鍵を開けながら少年は自己紹介をしました。

 起き上がった男がこちらに気づき走り始めたところです。


「翔子よ。久門翔子!!」


 二人はドアを開くと室内へ。


 そして、すぐにドアを閉めたのでした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ