第5話 襲撃
第5話 襲撃
二千十六年九月二十六日、午前三時。
任務遂行者のひとりである坂本陽輔は、自称「中学三年」の家出娘、久門翔子の要求に応え、九階にある自室のツインルームに一時避難しておりました。
翔子は窓側のベットを占拠し、布団に潜り込んで頭だけを出して坂本の方に向けています。
坂本はバルコニー前の椅子に座り、スタンドの電灯の下、テーブルに置いた銃を分解し、ひとつひとつのパーツを念入りに確認しておりました。
銃のことや、さっきの感染者のこと、坂本自身のこと、聞きたいことは山ほどあったでしょうが、翔子は口を開かず重い瞼と必死に格闘しながら坂本を見つめています。
時々眠りに落ちて枕に顔を埋めて寝息をたてるのですが、坂本が少しでも動く気配をするとピクリと反応して目を開きました。寝ている隙に坂本が姿を消すのではないかと心配なのでしょう。
無論、坂本はそのつもりでしたが、なかなか寝付いてくれないので困っていました。まるで赤ん坊に対峙し眠るタイミングを計っている母親のような心境でございます。
そう言えば、実の妹の祥子にも同じように寝つかせていた頃がありました。何十年も昔の話。両親を幼い時分に亡くしていたので坂本が父親代わりであり、母親代わりだったのです。
何よりも大切な国家から課せられた任務の真っ最中でしたが、坂本は懐かしさを感じるとともにこの少女を見捨てられない自分を発見して驚いていました。
自分でも理解できないような感情が芽生え始めてきています。
(いっそこのベットに縛り付けておこうか……)
坂本がこの部屋を黙って出れば、この少女も自分を探しに来るでしょう。
どんなに念押ししても来るに違いありません。そのとき単独でやつらに出会えばひとたまりもないのです。危険を回避させるためにはここに拘束しておくしかありません。
先ほど二名の感染者に遭遇し、実際に戦闘してみてわかったことがいくつかありました。
まずはあの驚異的なスピード。
一片の人間性も残していない獰猛姓。
そして、首を折られても動き始める耐久力。
これらを鑑みると、戦闘のプロである坂本をもってしても凌げて三人が限度だと判断しました。四人を相手にしたら確実にこちらは負傷することでしょう。この場合の負傷はかすり傷であったとしても即、死に繋がります。
とてもこの少女を庇いながらの任務遂行など不可能でした。
そんな坂本の葛藤を知ってか、翔子は無駄口を叩かず、随分と大人しいものでございました。
ジリジリジリジリ!!!!
というけたたましい非常ベルの音が静寂を破りました。
それに合わせて狼狽えるような場内アナウンスが流れます。
「……不審者がうろついております。お、お客様のみなさまは室内で待機していてください。危害を加えてくる可能性があります。た、ただ今警察を呼んでおります。けっして部屋を出ないでください……」
翔子が驚いて上半身を起こし、枕を抱きしめながら心配そうに坂本を眺めました。
「……不審者は集団です。気を付けてください。絶対に部屋のドアを開かないでください。繰り返します。何があっても部屋のドアは鍵のかかったままにしていてください」
その間もアナウンスは続きました。
坂本は手際よく銃を組み立て懐に収め、掛けていた黒のコートを手にとります。
窓には強い風と雨が打ち付けておりました。
「お兄ちゃん?」
翔子の想いがたっぷりと詰まった自分を呼ぶ声。
その声に答えることはしませんでしたが、坂本はため息をついてまた椅子に腰を下ろしました。
焦る必要はありません。
目標を探す時間は十分にありましたから。
動き出すのは明日でも明後日でも問題は無いのです。
そう自分に言い聞かせました。
ドンドン!!
何かが衝突する音がすぐ傍でした。
暴れた人間がぶつかる音。
玄関口からではありません。
枕もとの壁の向こうからです。
隣の部屋で何かが起きている……。
静かになったと思ったら、また
ドンドン!!!
繰り返される度に翔子は怯えて身体を震わせました。
坂本が動きました。
足音を全くたてずに玄関口に近づくと、ドアを開いて廊下の様子を窺います。
誰もいません。ただ、背後には息を殺した翔子の気配はありました。坂本のため息が廊下に漏れます。
まあ隣の部屋を覗くくらいだから一緒にいても問題はないだろう。そう自分に言い聞かせます。
隣の部屋のドアは半分開いておりました。
中からは衝突音がさらにはっきり聞こえてきます。
坂本は静かに部屋に潜り込みます。と、目前に男の背中。暗がりの中で何かをしています。
シュ、シュッ
何かを噴出しているような音。
さらに音をたてずに近寄っていきます。
男の向こうにはもうひとつ人影がありました。
唸り声をあげています。
感染者か……。
男は霧吹きのスプレーのような物をもってその人影に吹きかけていました。
どうやら中身は部屋に備え付けられている手を洗う用のアルコール消毒液です。
「誰だ、君たちは!?」
男が気が付いてこちらを向きました。
疲れ切った表情の中年の男性。
すると奥から別の人影が大きな唸り声をあげて突っ込んできたのです。
男が慌ててスプレーをその顔に吹きかけました。
吹きかけられたのは女性です。
口元が血で真っ赤になっています。目を見開き、歯茎を出して迫ってきていたが、消毒液をかけられると明らかに嫌がる素振を見せて奥に引っ込んでいきました。
よく見ると床にアルコール消毒液が入ったスプレーの容器が幾つか転がっている。翔子はすかさずそのひとつを手に取りました。
時間を数分おいて奥からまた先ほどの女性が迫ってきました。
その度に男がスプレーを吹きかけて撃退します。
一時的でも確実に感染者に効果があるようです。
坂本には事前の説明では聞かされていない事象でした。
撃退とはいかないまでも身を守る手段がひとつ新発見されたことになります。
「ウー ウー ウー……」
今度は背後の廊下からやつらの声。
間違いなく集団です。
「来い」
坂本はあまり大きな声を出さずに翔子を呼ぶと、ドアへと引き返します。
一度だけ振り返って必死に抵抗している男を見ると、その背中に明らかにやつらに噛まれた跡が見えました。血が微量だが服に滲んでいるのがわかります。
やつらの襲撃を堪えたとしてもいずれ感染するでしょう。この男は助からないのです。
坂本は翔子の手を引き、廊下に出ました。
右手の向こう側からこちらに走ってくるやつらの姿が見えました。七人はいます。それが脇目も振らず全速力で向かってくるのです。
坂本は部屋の前に急いで戻ってポケットからキーを探しました。
オートロックだったことはわかっていましたが、すぐにドアを開ける状態にして出てこなかったのです。
軽い気持ちで部屋を出たことを悔いました。
翔子を連れて出てしまったことも。
どんな任務でも恐怖は感じたことなどなかったのに、今は息が切れています。 鍵をようやく取り出し、鍵穴に差し込もうとするのだが震えて上手くいかないのです。
(なぜ……?)
バタバタという足音とともに、歓喜の叫びをあげながらやつらが迫ります。
坂本は右手で鍵穴をまさぐりながら、左手で懐の銃を取り出しました。
すると逆方向からも三人が階段を駆けあがって来て目前に現れたのです。
その瞬間に鍵が入りました。
(間に合わない……)
三人の顔がすぐ横にありました。
先頭の禿げ上がった男の大きく開かれた口が坂本の喉元に食らいつく……と思われた寸前で、翔子がその顔目がけてスプレーを噴射したのです。
「ウギヒー!!」
異様な声を発して男はたじろぎました。
その隣にも同じように吹きかけたが、三人目には間に合いません。
間隙を縫って、翔子のスプレーを持つ右手に噛みつこうとます。
坂本の中段蹴りがそいつの腹に突き刺さり、大きくのけぞりました。
この時、反対側からきた集団に合流されていたら坂本と翔子の命はなかったでしょう。
幸いだったのは、やつらは坂本の目前で隣に部屋に矛先を変えたことでした。 室内に残った男の負傷していた傷口から流れた血がやつらを呼んだのに違いありません。
恐ろしい悲鳴と唸り声、格闘する音が部屋から響いてきました。
(しまった……)
反射的に身体を捻ったときに、鍵穴にはまっていた鍵を右手の指で折ってしまったのです。
ドアノブを確認してみましたが、まだ鍵は開いていませんでした。
「行け!!」
坂本は翔子の背中を押して階段へと進ませました。
スプレーを吹きかけられた二人はまだたじろいでいましたが、蹴りを食らわせた一人はすでに立ち直って獲物を見定めています。
「先に行け!!必ず後を追う。七階のバーだ。行け翔子!!」
名前を呼ばれてようやく翔子の固まっていた足が動きました。
つられてやつらのひとりが動きます。
坂本がその側頭部に回し蹴りを入れると、吹っ飛んでドアに激突しました。普通の人間ならば致命傷といかないまでも数日は動けなくなるダメージを負っているはずです。
普通の人間ならば……。
やはり、すぐに起き上がってきました。
手ごたえは十分なのにまるで効いていません。
(これは兵士としての俺の心の方が数倍傷つくな……)
こうして坂本は任務遂行のため是が非でも確保しておかなければならない安全地帯、補給地点への道を安易に断たれてしまったのです。




