第5話
お待たせいたしました。
みなさまもご覧になられたことと思います。
昨日ネット上で大炎上したゴシップネタのことでございます。
私は事の真相よりも、書き込みの数にびっくりしました。日本中でまだこんなにも生き残っていらっしゃる方々がおられることに驚き、また強い希望を抱いたのでございます。
頑張りましょう、みなさん!!
どんな不幸や災害が起こっても日本人はあきらめず、そのたびに逞しく復興してきたのでございます。
歴史がそれを証明しております。
生きていれば、私たちが平穏に生活できる日々を必ず取り戻せるはずでございます。
諦めてはいけません。
自暴自棄になっても駄目でございます。
みんなが同じ境遇で歯を食いしばりながら懸命に生き抜いているのでございます。
それにしても昨日のニュースには私も驚きました。
某大国から輸入された食品の中にウィルスが混入されていたなど……。
確かに日本、アメリカ合衆国、ロシア連邦、そしてインドに今回の伝染病の発生が集中していることから考えてもあながち眉唾とは言えない話でございます。
あの九月二十六日に日本国中で一斉に症状が現れたこともこれで説明ができます。
しかし、これまでも多くの原因解明とされるニュースがネット上を騒がせてきました。
そしてその都度偽りの話であることが明らかにされてきました。
今回の件も決して鵜呑みにはできないはずでございます。
ただ、「あの食品」に関して思うところはございます。
私の妻は国産のみしか購入しないと日々こだわっておりましたから、私たちが口にすることはありませんでしたが、あの日、ホテルの夜のバイキングには見かけた気はいたします。
いえ、無かったかもしれません。
申し訳ありません。記憶が定かではないのでございます。
どちらにせよ、私も妻も偏食でございましたから、あっても口にすることはありませんでした。
さて、九月二十六日未明の話に戻しましょう。
私と妻は高橋守という横浜から来た大学生に頼まれ、五階にある露天風呂まで石和麻由希という女性に会いにいくところでございました。
足の竦んでいる私を余所に妻はドアを開き、辺りの様子を窺うことも無く、エレベーターまで駆けだしました。
ボタンを押すと、エレベーターは運よく八階で止まっており、すぐに開きました。
「トモも早く来いし!」
「~しろし」というのは甲州弁でございます。
「しなさい」を「しろし」と山梨県の人々は言うのです。私も最初は驚きましたが、「~しろ!」という命令口調よりも「~しろし!」の方が優しさを感じます。私も妻と話をするときはよく使っておりました。
とにかく私は慌ててエレベーターへと向かいました。
右手はずっと奥まで続いている直線で部屋は二十室以上あったと思います。
左手はすぐに曲がり角になっており、南北に続いておりました。
エレベーターから手招きする妻だけを見て一目散に駆けたとき、右手の方向で人影を感じたのでございます。気のせいだったかもしれませんが、五mほど向こう側で何かが動いていたように思えます。
私は振り向いて確かめることなど一切しませんでした。
走り込むなり私はすぐにボタンを押しました。
エレベーターにはどうしてあんなにも多くのボタンが存在しているのでしょうか。冷静であれば特に気にもならないことですが、パニックになっていた私は「開」のボタンを連打していたのでございます。
なぜ閉まらないのか……
私は気持ちだけが先走っておりました。
堪らず妻が私の手を跳ね除け扉を閉めました。
その時に妻は、何か叫びながらボタンを押していたような気がするのですが覚えておりません。血走った表情で壊れるほど強くボタンを押しておりました。
押しのけた私の背後の廊下に何かを見たのかもしれません。
私は首筋に息のような空気の流れを一瞬感じた気もいたします。
お互いにそれが何だったのかを確認する間も無く、エレベーターは五階に到着いたしました。
ここを左手に進めば目的の浴場でございます。
途中で分かれ道があり、道なりで問題ないのですが、曲がってしまうと宴会場に行きつきます。
たしかこの日は団体客も少なく、宴会は行われていなかったように覚えております。
温泉帰りに通ると、薄暗く、どうにも近寄り難い雰囲気でございました。
妻もここにきて怯え始めておりました。
唇も青紫色に染まり、がたがたと震えておりました。
私はふと、大学生時代のことを思い出しました。
山梨県の河口湖近くに富士急ハイランドという遊園地がございまして、よく妻と遊びに行ったものでございます。
妻はジェットコースターなどのアトラクションには強く、何度も乗っておりましたが、お化け屋敷には滅法弱いところがありました。
当時は病院をそのままアトラクションの舞台にした施設がありまして、懐中電灯一本を持って三階建てのお化け屋敷を彷徨うのでございます。
妻が、途中に隠れていたお化けに驚き、追われたときに転んで膝をすりむき、泣きながらギブアップした姿を思い出しました。
妻はこういう恐怖は苦手なのでございます。
そもそも宿では、トイレ前の玄関の電気を消さずに寝るぐらいの怖がりでございました。
しかし、戻ることもできません。
八階に戻れば、必ず何かに待ち構えられている予感がございました。
私たちには進むしか他に選択肢が無いのございます。
「私、無理かも……」
先ほどとは百八十度変わった妻のか細い声。
今頃そう言われても私はどうすることもできません。
軽率な振る舞いをここで叱りつけている時間も無いのでございます。前を向いて私が先導するしかないのでございます。
「静かに……」
私は意を決して、そう言うと、妻の手を取り、エレベーターを出ました。
走れば三十秒とかからぬ距離ではございましたが、警戒し、ゆっくりと足を進めました。
冷えた小さな妻の手を握りしめながら。
窓の外は激しい雨でございました。
ふと外を眺めると大きな橋が架かっておりました。
オレンジ色の街灯の下、車はまったく通っておらず、寒村とした景色でございましたが、ふとそこに人間の影が動いたのでございます。
向こうからこちらに走ってくる一人の女性のようでございました。
傘をささず、転げるように走って参ります。
すると手前にも人影が……五名くらいでございましょうか、彼女を待ち構えるようにしております。
その姿に気づいた女性は慌てふためき反転しました。
今度は逆方向から十名くらいの集団が彼女の後を追ってくるのです。
前後から追い立てられ、八方塞りの状態になりました。
この激しい雨のなかを誰も傘をささずに……。
何とも言えない違和感がありました。
と、前後から来た集団が一気に彼女に群がったのでございます。
あっと言う間に女性の姿は見えなくなりました。
死骸に群がるカラスたちのような光景でございました。
それが一瞬のことでございましたので、私は現実味を帯びたものと捉えることはできませんでした。
妻は外の景色など気にはしておりません。
周囲を雀のようにキョロキョロしております。
私はこの件が悟られぬよう、窓を身体で隠しながら進んだのでございます。
この恐ろしい光景を目にしたとき妻がどんなリアクションをとるのか、私には容易に想像がつきました。
マッサージの店を過ぎ、私たちは浴場の前に着きました。
数台あるマッサージ器の裏などに何かが隠れてはいないかと充分見渡しましたが、特に変わった様子はございません。
私たちは何ら異変に遭遇することもなく、無事に目的地に着いた訳でございます。
なんという幸運。
ビギナーズラックとはまさにこのことでございます。
私たちはそのまま女湯の入口へと向かいます。
ほっと胸を撫で下ろしながら暖簾を潜ったのでございます。
あの時は自らの幸運を喜んでおりましたが、実は運ではございませんでした。 それを知ったのはすぐ後にことでしたが、これは高橋守の策略だったのでございます。
だからと言って彼に唾を吐くようなことも私たちはできません。
なぜなら私たちは思いもかげず彼の思惑に救われることになったからでございます。
浴場内に入った私たちはついに、惨状を目の当たりにすることになります。
それは実に衝撃的な光景でございました。
未だにあの光景が悪夢として蘇って参ります。
そしてその夢がもう覚めないことに気が付き、また絶望にかられるのでございます。
さて、本日はここまでとさせていただきます。
起きている時間を極力短くすることもエネルギー消費を抑える大切なポイントなのでございます。生き残る術でございます。
それでは一度失礼させていただきます。