3章 層雲峡謎解明編 第1話 カラー・レッド
はじめに
日本各地では桜の開花が始まった頃でしょうか。
私、山岡朝洋が住む北海道の旭川市でも幾分寒さが和らぎ、春の訪れを感じるようになって参りました。
今年は例年以上に積雪が多く、雪解けは四下旬、桜の開花は五月中旬になるかもしれません。
自宅二階から望む鷹栖神社の桜色の景色を、どうやら楽しむ時間は私たちには無いようでございます。
時折舞い降りる小鳥を二階で捕獲し、それを食して命を長らえてきましたが、それも限界を迎えました。
極度の栄養失調で体力はギリギリの状況です。
このまま雪解けを待っていれば、ここを脱出する計画は頓挫いたします。かと言って車を走らせることができる環境ではございません。外へ出ればやつらの歯牙にかかり命を落とすことになるのは間違いないのです。
私たちに残された選択肢はひとつなのでございます。
いえ、自害などいたしませんよ。ここまできたのです。多くの犠牲の上でここまで生き残ってきたのです。無下にその命を捨てるわけにはいきません。
そんなことをすれば、あの世で李さんに叱られます。
生き延びるための選択肢は、たったひとつ。
そして私は妻と、北海道の最東端「知床」を目指すつもりです。
さて、私たちの未来を語る前に、この男の記録について正式にこの掲示板に綴っていきたいと思います。
私たちが地獄のような層雲峡を彷徨った、あの二千十六年九月二十六日から九月三十日までの期間、その背後で繰り広げられていた信じられないような事実について触れておかねばなりません。
この内容につきましては、インターネットで情報を集め加工したものです。
途切れた部分の修繕のため、多少の脚色が含まれています点をご了承ください。
出来うる限り真実に近いお話をしていきたいと思います。
ここからのお話の主役の名前は、そう、坂本陽輔でございます。
3章 層雲峡謎解明編
第1話 カラー・レッド
北海道の中央に位置する旭川市(人口約三十五万人)から、自動車で一時間余りの距離に上川町(人口約五千人)という場所があります。
ここには大雪山山系の中の「黒岳」の登山口があり、北海道有数の温泉街「層雲峡」としても知られています。
北海道でも珍しく「熊牧場」が存在し、季節を問わず観光客でにぎわっていた。
漆黒のロングコートに身を包んだ男が、高級日本車の助手席から降り、この地に立ったのは二千十六年九月二十五日の夜半でございました。
後部座席の窓が少しだけ開き、スモッグガラスの奥から威厳に満ちた男の声が聞こえてきます。
「期待しているぞ」
ただ一言でしたが、降り立った男は深く感じ入っている様子でした。
降り立った男の身長は百八十五cmほど。線は細いが迫力を周囲に与える威容があります。長髪がかった黒髪、目は鋭く、鼻は日本人と比べると幾分高いでしょうか。
漆黒のロングコートの右ポケットからシルバーのジッポを取り出し、咥えたタバコに火を付けました。
北海道も神無月に近づく頃になると吐く息も白いですが、それ以上に濃い白煙が月に向かって昇っていきました。
男をひとり残して車は走り去りました。
男の名は坂本陽輔。
元は陸自(陸上自衛隊)特作(特殊作戦群)に所属し、国防軍に編成されてからは特殊部隊イーグルソードの隊員として国家機密の作戦に従事しております。 作戦遂行能力、戦闘力ともに部隊屈指のエリート兵士でございました。
しかし二か月前、中京工業地帯での作戦中に大きな失敗を犯して謹慎処分となり、それ以後は部隊の作戦への参加を許されておりません。
日本国を守る最強部隊の看板を背負ってきた自負があるだけに、彼の受けた挫折感は尋常ではありませんでした。
軍を飛び出し、夜の繁華街を酒に溺れて暴れ回り、警察に保護されたところで、彼は今回の作戦の指揮をとる沖田勝郎という人物に出会ったのです。
そして名誉挽回のチャンスを与えられました。
作戦名は「虹」。
坂本が事前に聞いた話だと、日本全国八千二百十八か所で同時作戦が展開されるらしく、坂本が送り込まれたのは、NO.六六六地点。
東京以北では最高の戦力が集結してくる戦場との前振りでございました。
坂本に対する期待度は、国防軍第二師団北鎮司令部の将補(MG)である沖田勝郎が、直接こうして送り出していることからも十分に伝わっております。
任務に関しては幾つかの規定が設けられておりました。
① 九月三十日午前八時までに任務を遂行すること。
② 他者の任務に関しては干渉しないこと。(妨害工作は絶対に許されないが、協力は一部認めるとされていた)
③ 任務完了時には必ずメイン基地局にアクセスし確認が必要であること。
④ 九月三十日午後一時をもって作戦は強制的に終了すること。
⑤ 任務完遂者は作戦後、首都移転先とされる「知床」への居住権限が与えられること。
他にも項目はまだまだありましたが、中でも坂本の興味を惹いたのが②でした。
NO.六六六地点に送り込まれるメンバーは七人で、それぞれがそれぞれの任務を帯びております。
任務に携わる七人を「カラー」と呼ぶことになっておりましたが、一般市民とカラーの区別は事前の情報にはありません。
誰がどんな任務なのかも伏せられておりました。
とにかく優先すべきは、自分に課せられた任務を遂行すること。
例え他人と協力態勢になったとしても、よほど強いコンタクトを取り信頼関係を築かない限りは、お互いがカラーであることを打ち明けないでしょう。
八千二百十八×七という膨大な数の人間が極秘任務を遂行するため日本中の作戦ポイントで励むことになります。
その数は実に六万人弱。
人数が人数なので軍関係者ばかりとはいかなかったようです。脛に傷を持っているような有象無象のやからが、多数参加していたようでございます。
説明を聞いていても、坂本にはどうという感想もありませんでした。こんな馬鹿げた作戦が日本を救う任務だとは信じられませんでしたが、そんなことはどうでもよかったのです。挽回できるチャンスがあり、部隊に復職することだけが彼の願望だったからでございます。
与えられた任務はたったひとつ。
この任務を果たせば部隊に戻してもらう約束になっておりました。
東京のマスメディアで働く妹も一安心してくれるでしょう。
ちなみに任務遂行以外での禁止事項は特にありません。この作戦中は超法規的処置が施されており、ようは「何をしても許される」わけです。
国がそれを認めたということだけでも事の重要性は認識できると思います。
注意事項のひとつとして、他国からの妨害工作についても説明を受けておりましたし、その対応については「断固たる処置」で徹底されております。
話から全体像を想像するに、これは軍事作戦というより何らかの軍事臨床実験でございました。
カラーの称号を得た兵士は、この実験の「被験者」と言っても過言ではないでしょう。
坂本は層雲峡の温泉街の片隅にあるホテルまで足を運びました。
ここがN0.六六六地点。
坂本の戦場となる場所でございました。
この数時間後、作戦は静かにスタートされました。
そしてその静寂を破る唸り声と悲鳴に、層雲峡は包まれていくのです。




