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第11話

第11話


 お待たせいたしました。

 十九世紀の数学者レオポルトクロネッカーいわく、

 「神は整数を創られた。他はすべて人間が作った」

 紀元前六世紀の数学者ピタゴラス曰く、

 「宇宙は有理数によって支配されている」


 「数」はただ使われるものではなく、それ自体に強烈な意味を持っているそうでございます。


 インド人がどこよりも早く「ゼロ」が無を表していることに気付いたと言われております。やがてその概念が無限大を定義するに至ります。


 紀元前一世紀には、エウクレイデスが無理数の証明を完成しました。

 分数を使えばどんな微小なものでも正確にその値を求めうることができると思われていましたが、無限に細かくする分数であっても正確にその実体を表すことができない数が存在することが明らかになったのです。

 例えば1cmと1cmの2辺を持つ直角二等辺三角形の斜辺の長さ。

 現代の私たちは無理数を使って√2と解を導くことができます。

 しかしどんなに細分化された目盛りをもつ定規を使っても、コンピューターを使っても分数(小数)で表すことは不可能でございます。

 以前こちらで記載させていただいた「円周率」とまったく同義のお話です。

 小数で表した場合、循環しない数が永遠に続くのでございます。

 無限や永遠は確かに身近に存在するのです。


 「数」を理解していく。それは「宇宙の真理」に近づいていくことに等しいのかもしれません。


 さて、層雲峡そううんきょう脱出編のお話を進めていきましょう。


 二階フロアの廊下に溢れていたやつらはさんを追って姿を消しました。

 李さんの決死の行動によって私は妻と合流することができたのでございます。

 妻が隠れていた部屋には他に、駒田こまた親子、若い男二人、老夫婦、従業員らしき女性一人の計七人の生存者も一緒でした。

 窓横の壁には別に脱出した坂本陽輔さかもと ようすけという男が書き残した数字が四つ、

 

 「6  28  496  8128」


 私の興味は七人の生存者よりもこの数字にそそられておりました。


 「トモ、意味わかるけ?」


 妻が私に寄ってきてそう尋ねました。

 規則性が理解できましたが、それがここに印されている意味などわかるはずがございません。


 「その男の人、坂本さんっていうんだけど。私を助けてくれたんだ……。さっきまで意識を失っててそこのベットで横になってた。うなされながらずっと数字を繰り返してたさ」


 「数字を繰り返してた?これ以外にも?」


 「たぶん……」


 「覚えてる?」


 「覚えてるわけないら。私が数字に弱いの知っててそういうこと言っちょ」


 「ごめん。けどこの後は、33550336、次は8589869056じゃなかった?」

 

 私がそう言うと妻は睨みつけながら首を振りました。

 これ以上この話題を続けると妻はキレそうです。


 すると隅にいた若い男のひとりが、


 「八十五億?なんでそう思うわけ?」


 歳二十そこそこでしょうか。

 茶髪のボサボサ頭同様に軽薄そうな男です。

 おそらく説明しても納得はしないでしょう。それ以上の説明を求めてくるはずです。


 私は愛想笑いを浮かべてから話題を変えました。


 「駒田さんの言う通りやつらが戻ってくる前にここを出ましょう。今なら一階のロビーも無人です。このホテルから脱出できます」


 部屋に歓声が上がります。


 しかし先ほどの若い男が横やりを入れてきます。


 「なんでそんなことがわかるわけ?」


 私はこれまでの経緯を要約してみんなに伝えました。

 一階の状況と合わせて、自分がここに辿り着けたのも、やつらがここから去ったことも全て李さんのお陰であると話しました。もちろん彼女がどれほどの美人であったかは伏せておきます。卑しい気持ちなど微塵もありませんでしたが、無用な勘繰りを妻にされないためです。


 「その女性には感謝しなければな。しかし、やはりどこかで火災が起きているのか……。それをずっと恐れていた」


 私の話を聞いて駒田さんがそう言って何度も頷きました。


 妻は私の服を摘み、

「だからこんなに濡れているんだ。風邪ひいちょし」


 小さな女の子も面白がって妻の真似をして私のズボンを引っ張ります。


 「で、廊下に出てやつらが戻ってきたらどうするわけ?」


 茶髪男は執拗に横やりを入れてきます。

 もうひとりの若い男は逆に寡黙かもくで何も口を開きません。眼光だけは炯炯けいけいとして私を睨んでおります。


 「今ならやつらはいないんです」


 私は同じことを繰り返しました。

 茶髪男は薄ら笑いを浮かべ、


 「いや、それじゃ答えになってないから。戻ってきたらどうするのって聞いてんじゃん」


 「戻ってきたら……逃げるしかないですね……」


 「ハア?逃げる?やつらのスピードを知らないの?逃げられるわけないじゃん。俺のダチなんてラグビーやってて、脚も速いし体重も八十㎏はあるけどやつらに挟み撃ちでタックルされて簡単に倒されたんだぜ。命の保証が無いんだったら俺は御免だね。やつらに喰われるのは嫌なんだ」


 「だけどここに残っていても死ぬだけですよ」


 「やつらに喰われるぐらいなら焼け死んだほうがマシ。待ってたらやつらのほうが燃えちゃって、それこそ逃げやすくなるかもしれないしね」


 滑らかな軽口でございました。

 大人の忠告を無視する生徒はよく見かけたものでしたが、状況が状況なのでさとしている心の余裕が私にはありませんでした。

 憤りが表情に出るのが自分でもわかります。

 それを見て茶髪男は失笑し隅に戻りました。


 「わしらにはもう走るのは無理じゃ。ここで救援を待つよ」


 老夫婦は互いにそう言うと頷きながら椅子に腰を下ろしました。

 八十歳ぐらいでしょうか。疲れ切った表情をしております。


 「救援なんて来ません。国防軍がもう少ししたら到着するようですが、ここを焼き払うつもりのようです。逃げるしかないんです」


 私の必死の語りに対し、茶髪男はわざとらしいあくびをして応えます。

 老夫婦は深いため息をして首を振りました。


 「山岡さん、その情報は確かなのか?もしかしたら軍が我々を救出してくれるかもしれん。今逃げるのは早計かもしれんぞ。幸いにここには負傷者はいない。やつらが血の匂いを嗅いで戻ってくる可能性は低い」


 駒田さんの言葉に数名が頷きます。


 その中に私の妻が含まれていることに私は落胆致しました。


 もちろんこの情報が確かなものかどうかは証明できません。

 ですが信用できる人物からのアドバイスなのです。私はもどかしさでいっぱいになりました。こんな話をしている時間が無駄なのでございます。


 「私、その李っていう子知ってますけど……」


 従業員の女性が重い口を開きました。

 李さんと違って純粋な日本人のようです。黒縁の眼鏡の奥に厚ぼったいまぶたが印象的です。

 私は彼女の言葉に期待を致しました。李さんの人柄を話してもらえば真実味が増すのですから。


 「他の従業員と会話しているところはほとんど見たことがありません。こんなことを言うのもなんなんですが……何度かお客と親密な関係になったって聞きます。盗難の噂もよく聞きました。あの子が出ていった部屋から物が無くなっているって」


 私の期待とは裏腹のとんでもない話を続けます。

 私は慌てて、


 「噂ですよね。実際にあなたは見たんですか!?」


 「いえ、直接見たことは……部署が違いますし……聞いた話です」


 「であれば迂闊うかつに他人を中傷する話をするもんじゃない!あのひとはそんなひとではない!」


 私が急の語気を荒げたので驚いたのか駒田の娘が泣き出します。

 それを妻が抱きかかえて慰めました。

 

 茶髪男がまた口を開き、

「だったらあんたの聞いた話も同じだろ。軍がここを焼き払う?誰がそんな話を信じるんだよ!」


 私は何も言えずに口を閉じました。あ

 まりに感情的になり、結論を焦り過ぎていたことを後悔しました。


 シクシクという女の子の泣き声だけが狭い室内に響きます。


 誰もが黙りこくり時間だけが過ぎ去ります。


 焦げ臭い匂いと停滞ムードが充満し始めました。


 「国防軍の話は置いておいても、この火災は本当のようだ。やはりこのホテルを脱出するしかない」


 口火を切ったのは駒田でした。

 私とは違い、表情に愛嬌があり、どっしりと構えていて落ち着きもあります。周囲のひとに安心感を与えられるタイプです。言葉にも説得力がありました。おそらく集団をまとめていくことにも慣れているのに違いありません。

 私も集団の子どもたちを長年指導してきましたが、校則や規律、立場を利用してまとめてきたに過ぎません。

 人間の格、器のようなものの差を感じさせられました。


 「ホテルの外はやつらでいっぱいじゃん。どうすんの?車で逃げようとしてエンジンかけたらすぐにやつらに囲まれて動けなくなっていたやつを俺は見たぜ。そのうち窓を叩き割られて引きずり出されて喰われてた。車じゃ逃げられねえ」


 茶髪男は先ほどよりかは幾分冷静にそう話しました。

 それについては私に一計ございましたが、この時の私は勝手に自らを卑下ひげしており発言の力を失っておりました。


 「ホテルの出入り口のすぐ傍に小屋がある。そこに移るのはどうだろうか。火災の煙も吸わなくて済む」


 駒田の話になんとなくみんなが頷きます。そこだと軍が到着したときにすぐに救出してもらえるというメリットもございました。


 「本当にやつらは廊下にいないのかよ」


 「わかった。俺が先頭に立とう。みんなは俺の後に続けばいい。危険を感じたらこの部屋に戻れ」


 駒田がそう言って立ち上がります。

 娘が不安そうに父親を見つめておりました。

 その横で妻が私をじっと見つめております。その目からは、なんであなたが先頭に立って行かないの?という妻の無言の訴えを感じることができました。この子の父親にそんな危険なことをさせてはダメということなのでしょう。私にはもちろん子どもがおりませんから……。  

 そう言われてみると、妻は私を死地に向かわせるのにあまり抵抗がなかったように思えます。高橋守たかはし まもるの依頼を受けたときもそうでしたが……。


 まあ、これも私たち夫婦の絆の一面なのでございます。


 時刻は午後八時。この十七時間後、国防軍の層雲峡攻撃が一斉に始まるのです。


 この続きはまた次回とさせていただきます。


 それでは一度失礼させていただきます。




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