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第4話

 お待たせいたしました。

 後日改めてと申しましたが、一晩考え、やはり一刻も早く本題に進みたいので続きを書かせていただきます。


 この掲示板をご覧になられた新潟県六日町の女性から情報をいただきました。


 「やつら」の記憶が持続する時間は五分だそうです。


 五分隠れとおせば状況はリッセトされ、静寂が訪れるそうでございます。私のこれまでの経験を振り返ってみても確かに合致がっちするお話でございました。


 しかし当初はそんな余裕はありませんでしたから必死でございました。


 必死に逃げ、とことん隠れていた毎日でございました。


 さて、九月二十六日未明の話をいたしましょう。


 高橋守たかはし まもるという大学生からの内線電話で、私たちは突然襲ってきたこのハプニングの一端を垣間かいま見ることができました。


 ただ、彼の意図までは見抜けてはいませんでした。


 単なる情報交換のために彼はいろいろな部屋の内線に電話をかけていたわけではなかったのでございます。


 「お願いします山岡さん。おれの部屋の外にはやつらがいるんです。気配でわかります。やつらは待っているんです。おれがこの部屋を出ること、彼女がここに戻ってくること、それをじっくり待っているんです。助けてください山岡さん」


 なんという哀願あいがんに満ちた声なのでしょうか。

 内線電話のスピーカーを通して話を一部始終聞いていた妻も、身を乗り出して彼の言葉の続きを待っておりました。


 「私たちに何ができるのでしょうか。しがない中年夫婦ですよ」

「できますよ。そこの部屋の外にはすぐにエレベーターがありますよね」


 確かに私たちの部屋のすぐ前がエレベーターになっておりました。

 五階の露天風呂ろてんぶろに行くのが便利で喜んだものでございます。


 そう思い出して途端にギクリとしました。


 まさかの展開を予想したのでございます。


 彼は私のそんな悪夢のような予想通り、


 「行ってほしいんです。山岡さん。五階に降りておれの彼女に会ってほしいんですよ」


 こんな無茶なお願いを私はこの人生の中でされたことはございません。


 「無茶苦茶言っているのはわかっています。ありえないお願いです。でも、この状況では誰かに助けを求めるしかないんです。おれの彼女に会って、この部屋に戻ることは危険だと告げてほしいんです。そしておれが無事だということ、愛しているということを伝えてほしい」


 妻は感激で涙がこぼれそうになっておりました。

 まるで自分が言われているような錯覚に陥っているのではないでしょうか。

 

 そしてついにこんなことを言い出し始めたのです。


 「トモ、行こう」


 トモ、とは私の名前でございます。

 女性とはみなこうなのでしょうか。見ず知らずの男の恋人のために夫を死地に送り出そうとしているのでございます。

 私はいろいろな意味で恐ろしくなって参りました。


 「と、途中でやつらに出会ったらどうするんです。私には立ち向かうすべがありません」


 言い訳している自分が情けなく感じてもきましたが、だいたいとんでもない提案なのでございます。自分の愛する人を助け出したのであればまず己が努力すべきです。それを何もせず電話一本で何とかしようとは、虫が良すぎる話ではありませんか。


 「行ってあげようよトモ。エレベーターで降りて少し歩けば、すぐに浴場につくから」


 その少し歩く間に危険がひそんでいるのでございます。


 妻はもはや現状が全く把握はあくできておりません。

 愛は盲目もうもくとよく言いますが、混乱した世界ではその症状は伝染していくようでございます。


 「一生のお願いです。山岡さん、お願いします!」


 一生のお願いも何もさっき出会ったばかりの間柄でございます。

 そしてもう二度と会うこともなかろうと思います。

 そもそも彼の顔すら知らないのです。


 「わかりました。彼女の名前を聞かせてください」

「行ってくれるんですか!ありがとうございます」


 そう答えざるを得ない状況に私は追い込まれておりました。


 彼は今まで以上に勢いのある口調で話を続けました。


 「麻由希まゆきと言います。石和麻由希いさわ まゆきです。髪は黒で肩までの長さです。歳は二十三歳。区役所勤めです。身長は、そうですね、百五十五cmぐらいでしょうか……」


 怒涛のような彼の言葉に対し、私のメモは間に合っておりませんでした。


 部屋中を探してみましたが、武器と呼べるものは何もありませんでした。

 しかし何も持たずに部屋を出る勇気もありませんでしたので、多少頑丈がんじょうにできていた木製のハンガーを手にしました。

 これで思いっきり頭を殴れば相当なダメージは与えられるはずでございます。 私は趣味でゴルフをしておりましたので多少なりともスイングには自信がありました。もちろん他人の頭など殴ったことはありませんでしたが。


 「私も行かないと」


 妻も一緒に浴場に向かうと言い出したのです。


 理由は簡単でした。


 「トモだと女湯には入れないでしょ」


 状況が状況なだけに何とかなるのではないかと思うのですが、もしそれで入れなかったら危険の中を辿り着いた努力が水の泡です。

 しかし、私は咄嗟とっさのときに妻を守りきる自信がありませんでした。 ですが、妻は一度口にしたことは決して曲げません。

 結婚して十三年になりますが、自分の嫌いな物は夫の私が大好物であっても絶対に口にしませんでした。作ってはくれるのですが。


 先の事を考えて私は彼とLINEラインでつながりました。

 電話自体が混線してもネットならばいつでも交流できます。

 ちなみに妻は未だにスマートフォンではないのでLINEを使用することができません。

 私の携帯電話と彼の携帯電話だけが、五階までの道筋で情報を伝え合える唯一の手段ということになります。


 「麻由希に愛していると伝えてください。お願いします」


 自分で伝えればいいのに、とはもう思いませんでした。

 こんなにも他人に頼られたことは人生で初めてだったからでございます。

 中学校では数学を教えていましたが、生徒は塾の講師に質問をよくしていたようでございます。

 北海道は中学一年生の内申点から高校入試に係わってきますので、表立って問題を起こしたり、私に対し敵愾心てきがいしんを燃やすような生徒はいませんでしたが、反面、頼ってくる生徒もおりませんでした。


 だから燃えたのかもしれません。


 妻が他人のために何か行動を起こしたいと言ってくれたことも。少なからず私の背中を押しました。


 今考えると世間知らずの乙女おとめのような初心うぶな決断でございます。


 おそらく今後の生涯で二度と同じ決断を下すことはないでしょう。


 十中八九殺されることがわかっているからです。


 二人が無事に戻ってくる可能性は、限りなくゼロでした。


 まあ、知らぬが吉ということもあるのかもしれません。


 私たちは電話を切り、私服に着替え、恐る恐るドアに近づきました。


 のぞき穴がないので外の様子がわかりません。


 これがビジネスホテルと温泉宿の違いなのでしょうか。


 私たちは音だけを頼りに外の危険を察知しようとしたのでございます。


 遠くから悲鳴が聞こえてきます。


 遠く、おそらく別のフロアだと感じました。

 近くには足音も唸り声も聞えてはきません。


 それでもやはり意を決してドアを開くことができなのです。


 もし、外で待ち受けていたら……。


 もし、高橋守が犯罪者の集団の一員だったら……私たちはまんまとだまされたことになるのでございます。


 一抹いちまつの不安というよりも、想像力を高めれば多くの不安要素が頭をよぎります。


 踏ん切りがつかない状態が十分ほど続いたでしょうか。

 妻が脈絡もなく突如ドアを開いたのでございます。

 そして真っ先に向かいのエレベーターへ駆け、ボタンを押しました。

 私は茫然自失ぼうぜんじしつでその姿を見守っているだけでございました。


 女は度胸どきょう……誰かがそう言っていたのを思い出しました。


 部屋を出てからの記憶は正直、確かではございません。


 とにかく無我夢中だったからでございます。


 そんな中で印象に残るエピソードがいくらかございます。


 次回はそのお話をしていきたいと思います。


 それでは一度失礼させていただきます。


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