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第4話

第4話


 お待たせいたしました。

 日本中の諸国から神々が姿を消し出雲に集まる十月を、旧暦で神無月かんなづきと呼ぶそうでございます。

 地域を守る土着神が居なくなったこの期間は、いったい何者が蔓延はびこるのでございましょうか。

 鬼か魔か、おそらくは邪悪な者たちが台頭たいとうしてくるに違いありません。

 神々の加護無くして人はどのようにして身を守るべきなのでしょうか。

 脱出のリミットとなる九月三十日は「神送り」の日とされ、御馳走を供える風習もあるそうでございます。

 今年はまたどれほどの数の生贄が捧げられ、今後も捧げ続けるられるのでしょうか。

 千八百万人の犠牲者を横目に神々は何を想われるのでございましょう……。

 この地から神がいなくなるまであと四日。

 ご加護があるのも、祈りが通じるのもあろ四日でございます。


 さて、層雲峡そううんきょう脱出編のお話を進めていきましょう。


 九月二十七日の成果としましては、二階の食事処の厨房に一名の女性が潜んでいることを発見できたことだけでしょうか。

 このホテルの従業員で名前をさんという方でございます。

 彼女の話では一階にある大浴場にも生存者がいるらしいということでした。

 大浴場の脱衣室は私たちの部屋八一0号室の真下にあたります。

 その人たちと上手く連携できれば脱出の際に大きな力となりそうです。

 私は丸一日をかけてホテル中の部屋に一往復、二往復と内線電話をしてみましたが繋がったのは李さんだけでございました。


 李さんとはその後も定期的に連絡を取り合い情報を交換しております。

 李さんはとても素直で話もしっかりとできる女性でございましたから私としても頼もしい協力者を得ることができたと喜んでおりました。

 彼女は日本人と中国人の両親を持つハーフで歳は二十二でございました。二十歳まで中国の田舎で暮らし、日本に移り住んでから二年が経過しているそうです。一年間は札幌に住んでいたそうですが、訳あってこの層雲峡に住み込みで働くようになったそうでございます。

 ほとんどの従業員が犠牲になっている中で運が良かったと電話の向こうで涙ながらに神に感謝しておりました。


 生存者は発見できたものの、ホテルの正面玄関側、駐車場がある方の様子をどう確認していくのかは解決しないままでございました。

 こうなると方法としては私自らが強行して探索に向かうか、狂信者のような高橋守たかはし まもると連絡を取り合うか(彼の安否は確認しておりませんが)の二つに絞られます。

 依頼されていた石和麻由希いさわ まゆきさんを死なせてしまった罪悪感もありましたし、その後の彼から送られてくるLINEのメッセージの歪んだ内容から、正直彼に私たちの生存を知られたくないという事情もありました。

 気づかれると彼はずかずかと私の世界と計画に踏み込んでくるに違いありません。もしかすると石和さんの死を知って私たちの脱出を妨害し、直接危害を加えてくるかもしれないのです。

 彼との連携が脱出の可能性を高めるとは思えませんでした。

 そうなると、危険をかえりみず偵察におもむくくより他に無いのでございます。


 この案は妻に真っ向から否定されました。

 当然でございます。

 脱出同様の危険な行動になるからでございます。


 代案として妻が、


 「そのひとにお願いして高橋に連絡を取ってもらえし」


 なるほど、その手がございました。

 私は早速次の定期連絡の時間を待って電話をします。それ以外の時間は互いの受話器をはずしておく約束になっておりましたからすぐにとはいかないのでございます。


 九月二十八日の早朝六時に、私はその旨を李さんに伝えました。

 もちろん私たちのことは伏せて話してもらうことも確認済みでございます。


 その日の昼十二時に再度李さんと連絡を取り合いました。


 「どうでしたか。高橋さんとは連絡できましたか」


 「はい。取れました。生きている人から電話があって高橋さんはかなり驚いていました。何度も石和麻由希さんという人の事を聞いてきました」


 やはり生きていた様子です。

 おそらく彼の頭の中に脱出のことなど無いのでしょう。石和さんの安否だけを気にしているはずです。

 今は高橋守の状況などどうでもいい話です。必要なのは彼が持つ情報なのでございます。


 「外の様子は分りましたか」


 「はい。駐車場には四人いるそうですが、車を動かす通路は確保されているようです」


 四人……。

 陽動を上手くできれば十分かわすことができる人数です。

 脱出を試みた他の車が失敗して通路を塞いでいる懸念もありましたが、杞憂きゆうだったようでございます。ということは、車にさえ辿り着ければ脱出は成功したも同然です。


 「李さん、ありがとうございます。必ず一緒に脱出しましょう」


 「はい。山岡さんを待っています」


 ロープ代わりにとカーテンや布団を切って結んだ紐も完成に近づいてきました。

 明日、九月二十九日には脱出の行動に移せそうでございます。


 「そういえば山岡さん。高橋さんはあなたのことも随分気にしていました」


 彼女の最後の言葉を聞いて私はドキリとしました。

 彼女は笑いながら


 「私は自分を救ってくれる大切な人を売ったりはしませんよ」


 と言い残して電話を切りました。

 彼女のその言い方だけが、なぜか脅迫めいたように感じましたが気のせいでしょう。切羽詰まった状況で私も心の余裕を失い疑り深くなっていたと思います。


 事態が急変したのは、その日、九月二十八日の午後三時ごろだと思います。

 日が短くなって午後三時でも薄暗くなっておりました。

 私は妻の作業を手伝い最後の仕上げに取り掛かっているところでございました。

 そんな中、突如外から物凄い叫び声を聞いたのでございます。


 「グウォー!!!」


 という正真正銘の獣の咆哮ほうこうに部屋が揺れる思いが致しました。


 私と妻は驚いて手を置き、外の状況を窺いに窓へと向かいます。

 眼下はホテルの裏庭でやつらがひしめておりましたが、その中に大きな影が二つ。まるで岩のように見えました。


 「熊……」


 その岩は確かに微妙に動いておりました。

 腕、脚、顔と思われる部分も遠目からですが確認できます。

 こんな大きな熊を私は見たことがございません。動物園で見たヒグマの五倍はありそうです。


 「やつらを食っている……」


 信じられない光景でございました。


 その大きな熊はしきりに地面の何かをかじっているのでございます。

 そこには頭を噛み砕かれ、腕を引きちぎられた人の姿がありました。

 やつらを食っているのでございます。


 聞いた話を思い出しました。

 熊は一端味をしめた獲物ばかりを狙う習慣があるそうなのです。人間の女を襲って食べると次からは女ばかりを襲うそうでございます。

 今回の場合は、感染者を襲って食べたのだから今後は感染者ばかりを狙う可能性もあります。

 周囲にはやつらがまったくそんな事を気にせずにうろついておりました。

 この大きさであれば一晩で全員を食べ尽してしまうことも考えられます。そうであればこれほど強い味方はありえません。

 しかし、いくら北海道とはいえ、こんな場所に熊が出没するなど聞いたこともございませんでした。ましてこんな大きな熊がこの山に存在するとも思えません。

 この層雲峡にいったい何が起きているのでしょうか。


 (私はこの随分後にある男の掲示板を見て衝撃の真相を知ることになるのですが、この話はまたいずれさせていただきます)


 「グウォー!!!!!」


 また咆哮です。

 今度は反対側から聞こえてきました。

 確実にこのホテル内からです。


 「いったい何匹いるんだ……」


 もちろん生きた人間を襲わないとも限りません。

 やつらを陽動する手段はあってもあの熊に出会っては逃れるすべは無いでしょう。やつら以上に警戒すべき存在ということになります。


 妻は元来猛獣好きで、動物園でも虎やライオンをこよなく愛し、どうせ死ぬならライオンに食べられて死にたいと日頃からうそぶいておりましたから窓のサッシに頬杖をついてその光景に見とれております。

 まさに旭山動物園名物の「モグモグタイム」ともいうべき光景です。

 それにしても人間の声や足音にあんなに反応するやつらが、この大きな咆哮を聞いても何ら興味を示さないのもおかしな話でございました。

 私は必死に情報と状況を整理しようとするのですが、ひっきりなしに聞こえてくる熊の咆哮がそれを邪魔するのです。


 結局私と妻は作業に戻り、それを完成させる以外にできることはありませんでした。


 明けて九月二十九日早朝。

 新たに出現した熊の咆哮のお陰で一睡もできずに朝を迎えました。

 定期時刻を迎えて李さんと連絡を取ると、彼女も熊の声に驚いていた様子です。

 層雲峡に来て1年経つが熊を見るのは初めてだということでございました。

 その大きさと獰猛さに驚愕ししばらくは動けなかったそうです。


 熊の話はとりあえず横に置いておき、私は脱出の方法を簡単に彼女に伝えました。

 まず私たちが外をロープ代わりの布を伝って二階に下りる。

 そこは無人の従業員部屋なはずなので、その窓を叩き割って室内へ。

 その後二つ離れた李さんの窓へ紐を投げ、それを彼女が伝ってきて合流。

 そして再度外から一階の大浴場の脱衣室へ。

 脱衣室に侵入後はおそらくそこへ避難している人たちの協力を受けながらホテルの正面玄関へ向かい駐車場へ。

 最大の問題は脱衣室から正面玄関までどう進むのかということですが、これは正直その状況になってみないと分りません。

 陽動を駆使して進むことになるでしょう。

 脱出は目前ですから車のキー以外は何を使って何を失っても構いません。

 二階の従業員部屋に着いた時点で一階の脱衣室とは何とかコミュニケーションをとる手段を考えるつもりでもありました。


 まずは命綱無しで八階から二階まで降りられるかどうかでございます。


 このような訓練など受けたことはありませんし、ロッククライミングなども映像で見たぐらいです。

 ぶっつけ本番で命がけの試みに挑戦することになるのです。

 男の私は腕力で自分の身体を支えることができたとしても、運動をこよなく嫌う妻に可能なのでございましょうか。ジェットコースターなどのアトラクションとは違うのです。

 一歩誤れば落下して命を落とすか、骨折などの重傷を負った後でやつらに生きたまま食われるかどちらかの運命です。妻はおそらく熊に食べられることを望むでしょうが……。

 

 決行は午前八時と決まりました。


 私と妻は窓を開き、反対側を室内の柱に括り付け、紐を垂らします。


 用意は整ったのでございます。


 後は勇気を持って進むだけでございました。


 無論、そんな簡単に事が運ぶわけもありませんでしたが……。


 この続きはまた次回とさせていただきます。


 それでは一度失礼させていただきます。



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